34年ぶりのラオス、そしてタイへ。歩き続けた12日間 9 - 伝統芸術民族センター(TAEC)③ タイルー族とクム族(2025年3月14日/1日め)
2025年3月15日 ルアンパバーンのシンボル、ワット・シエントーン で。(ラオス・ルアンパバーン)
3月14日(金)- 1日め
伝統芸術民族センター(TAEC)に来ています。
ここまで、
アカ族
モン族
の衣装を見てきました。
次はタイルー(TAI LUE)族です。
【タイルー族】
約700年前に、中国南部のシーサンパンナから移住してきた人々で、中国、ミャンマー、ラオス、タイ、ベトナムにまたがる地域に暮らしています。彼らは、タイ・カダイ語族に属する「タイルー語」を話し、独自の文化と伝統を持っています。とりわけ、その伝統的な織物の美しさで知られています。
タイルー族の伝統的な織物。色合いがすばらしいです。(「タイルー族の歴史と文化」より画像をお借りしました。)
タイルー族の人々が主に暮らしているところです。
上衣の裾が描くかぎ型のデザインが、多くのタイルー族の特徴のようです。
最後はクム族です。
【クム族(カムー族)】
その88%がラオス北部に住んでおり、ラオス人口全体の11%を占める最大の少数民族です。モン・クメール系の言語グループに属しており、現在のラオスに最も古くから住んでいる先住民族だと言われています。人々の一般的な生活は、焼き畑での稲作を中心とする農業を基盤とし、森での狩猟や採集によって支えられている。そのため、「森の民」とも呼ばれています。ラオス北部に暮らす人びとの中でも、森に対して豊かな知識を持ち、焼き畑耕作の歴史も長いと言われています。また、焼き畑二次林から積極的に林産物を採取してきた民族でもあります。
クム族の人々が主に暮らしているところです。
クム族の人々は、タイ諸語の人々と長い間交易を行ってきました。米や森林産物、かごを取引するほか、布や鉄、そのほかの生活必需品を作るための労働力を提供することもありました。
また、クム族の機織りの技法は独特なもので、片側を柱などに設置し、その反対側を自分の腰に巻きつけて機織りをします。こうすることによって、「機織り機を持ち運び、どこにいても機織りができる」ように工夫したのだそうです。
美しいクム族の衣装ですが、結婚した女性は白い衣装を着るようです。
多民族と交易し、独特な機織り機を作り出し、
籠などを編んでいたクム族には、
確かな文化があったのだと思います。
ですが、そのクム族も、
中国では強制移住させられたようです。
(中国・CRJオンライン2009年9月25日より)
中国西南部の雲南省シーサンパンナタイ族自治州の景洪市と勐蝋県に、人口はわずか3000人のクム人(克木人)が暮らしています。地理的に辺鄙なところであるため、交通も不便で、貧しい生活を余儀なくされていました。これを受けて、政府は昨年の春、クム人を扶助する計画を打ち出しました。
新中国が成立する前、クム人は原始社会の末期状態にあり、中国とラオス国境地帯の熱帯雨林に居住し、遊耕していましたが、1970年代、政府の援助の下で、現在の居住区に移住しました。地元のお年寄りによれば、以前、村は貧しく、農民の暮らしは困窮しており、家もひどく老朽化していたということです。地元政府は3年間にわたって6000万元を投じ、クム人の扶助に乗り出しました。これにより、住宅、水利、電気、教育、生活保障など12のプロジェクトが始まりました。このプロジェクトにより、すべての家が建て替えられ、多くのクム人の生活が改善されたということです。
胸が痛くなるような記事でした。
まず、「原始社会の末期状態」という記述は、
失礼で、いかがなものかと思います。
中国では、少数民族の強制移住を進めています。
「貧しい生活の人々を文化的な生活が送れるよう、
助けてあげる。」
という、上層部の考えのもとに行っていると思われます。
が、少数民族の実情に配慮しているかと言えば、
必ずしもそうとは言えないと思います。
中国語が話せず、文字も読めない人々が、
職につくあてもないままに移住させられ、
いきなり団地住まいをすることになるのです。
いずれは、生活扶助金もなくなります。
なにをするにもお金が必要な社会で、
自給自足で暮らしていた彼らは
どう生きていけばいいのでしょうか。
多くの人々が村に帰りたいと訴えていますが、
二度と戻ることができないように、
元住んでいた村は破壊されてしまいました。
また、村の敷地内に立ち入ることも
許されていないそうです。
少数民族を村から強制移住させたあと、
その近くに「少数民族テーマパーク」が
作られている例もあります。
しかし、そこで働くのも、
少数民族風の踊りや歌を披露するのも、
漢族であり、少数民族が生計をたてる手段には
つながっていないそうです。
同様の問題は、今、中国で少なからず起きており、
海外ドキュメンタリー番組となって、
世界に放映されています。
たとえ電気や水道がある生活であっても、
民族として自由に生きてきた彼らの文化や誇りは
奪われたも同然です。
村から町に移住するにしても、
村に住み続けるにしても、
基本は、彼らの意思に基づくべきであって、
強制移住などあってはならないこと、と思います。
中国政府は、これ以上、
少数民族の強制移住や同化政策を進めないでほしい、
少数民族の文化や歴史を尊重してほしい、
と願うばかりです。
…また話がそれてしまって、スミマセン。😅
アカ族、モン族、タイルー族、クム族の
衣装の展示コーナーを通り過ぎると、
次は手工芸品のショップが設けられていて、
さらにその奥に、テラスカフェがありました。
40年前に比べると、手工芸品はずいぶん洗練されているし、ディスプレイもぐっとよくなっていると思います。これはMIYOが撮った写真ですが…、
同じスポットでも、夫が撮るとこうなります。🤣🤣 見ているところが違うんですね。^^
少数民族の人々による、手織りの品々。
ヤオ(YAO MIEN)族による、手織りの携帯ストラップ。とてもすてきな色合いです。少し迷ったけれど、買いませんでした。
でも今、こうして写真を見返していて、「ああ、やっぱり買っておけばよかった。」と…。😅
手の込んだ手織りの品々。ポーチとして使うのがもったいないくらい。^^
アカ族の美しい上衣の後ろに、テラスカフェが少しだけ見えています。いい風が吹く、くつろぎのスペースでした。
次回は、この博物館でいちばん心に残った、
特別展示のコーナーに行きます。
(つづく)

















