MIYO'S WEBSITE - 全盲難聴のんたんの記録と卵巣ガン、そして旅日記。

超未熟児で生まれた後遺症で、全盲難聴(盲ろう)となったのんたん、双子の妹あみちゃんと共に楽しく生きる家族のお話です。
子どもたちは24歳になり、毎日元気に楽しく暮らしています。
卵巣ガンになって思ったことも、少しずつ書き始めました。
ベトナム日記は、
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をご覧ください。
ベトナム家族旅行:
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小学生だったころの子どもたちの育児日記は、こちらです。
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トキメキのトルコ。走り続けた10日間 8 - ブルサ:イェシル・モスク①(2025年1月10日/2日め)

2025年1月10日 イェシル・モスクで。(トルコ・ブルサ)


1月10日(金)- 2日め


バスの窓から、市電やサッカー場など、
イスタンブールの風景を眺めながら
移動しました。


こんな、高層ビル群もありました。

バスは、世界遺産の街、ブルサへと走ります。イスタンブールから159キロ。

トイレが無料で利用できるので、途中のトイレ休憩は、いつもガソリンスタンド。(そういえばシチリアの旅でも、休憩はいつもガソリンスタンドでした。)

コンビニ風の売店が併設されています。

セルフサービスのドリップコーヒーは、1杯300円。「トルコの物価は、日本に比べて安い」とは、あまり思えませんでした。

イスタンブールを出発して2時間後、ブルサに到着しました。

ブルサは、オスマン帝国発祥の地です。


【ブルサ】
オスマン帝国最初の首都であった古都ブルサには、歴史的建造物が数多く残されています。また、近くにあるジュマルクズクは、オスマン帝国時代の生活の様子が伺える住宅などの街並みが残っており、700年もの歴史を持つ古い村です。この二つの町ブルサとジュマルクズクは、オスマン帝国発祥の地であり、農村生活のコミュニティやかつての商業文化を今に伝えているとして、2014年に世界遺産に登録されました。


トルコ人がイェシル・ブルサ(緑のブルサ)とあこがれを込めて呼ぶブルサは、ウルダー(ULUDAĞ)山の麓の高原にあり、緑が美しい町です。

今は冬なので、あまり緑がありませんが…。😅

町の中を少し歩いて、イェシル・モスクに到着。世界遺産の碑がありました。


【イェシル・モスク】
オスマン朝の最初の首都であるブルサにあるモスクです。1424年、スルタン・メフメット1世によって建てられました。オスマン朝初期の様式で、現在のドーム式のモスクとは外観が異なっています。


こちらはモスクの背面。門を入ってさらに進み、正面に回りました。

こちら側が正面です。

多動夫はさらに曲がって、モスクをぐるりと一周しておりました。😅

それでは、正面を見ていきます。

まずは、正面入口の前にある、清めの泉亭。モスクには必ず設けられています。

お祈りをする人々は、ここで手と足を洗ってモスクに入ります。

そして入口へ。

上部をご覧ください。

すばらしい彫刻です。


ここで上を向いたまま、
しばし動けませんでした。😊


次回は、イェシル・モスクの中を歩きます。


(つづく)

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