骨折でも信州2。小諸から千曲へ 9 - 北国街道 小諸宿③ 小諸郵便取次所跡、合名会社 塩川五右衛門、旧大塚魚店、そば七、萬屋骨董店、つるやホテル、大塚酒造本店(2024年11月14日/1日め)
2024年11月14日 本町・そば七で。店舗は、江戸時代に本陣代として建てられたものです。(長野県小諸市)
11月14日(木)- 1日め
北国街道 小諸宿の街並みが今も残る、
ほんまちエリアに来ました。
ここまでの道のりです。小諸城址 懐古園から始まって、小諸宿本陣と大手門を経由し、旧北国街道本町エリアまで歩きました。
【小諸宿本町エリア】
旧北国街道本町エリアは、江戸時代前半には「本陣」が置かれており、宿場機能の中心となっていました。旅籠や店が並び、通りの中央には用水が流れ、17か所の井戸も設けられていたそうです。現在でも、軒先の揃った江戸時代の町並みが残されています。
上の地図で、
「本町」と書いてある通りを歩いたのですが、
実は本町エリアというのは
この通りの周囲も含みます。
私たちは、この通り沿いに歩いただけなので、
訪れることができなかったスポットもあります。
でも、この通りを往復しただけでも、
とても楽しいひとときでした。^^
ということで、
本町エリアのすべての見どころを
網羅してはいないのですが、
私たちが訪れたところの写真を、
旅のアルバムとして掲載したいと思います。
まずは、通りに入ってすぐのところにある、薬医門。建物はなく、門だけが残されています。「小諸郵便局発祥の地」と書いてありました。1872年(明治5年)、この地に、小諸郵便取次所が開設されたのだそうです。手前の箱が、ポストだったのでしょうか。^^
そこから先には、低い軒が連続した、江戸時代や明治時代の町並みが続きます。
中華そばやまさだ (江戸時代)
もともとは、長屋のようにつながった数軒の商家のうちの1棟でした。江戸時代からの板金・金物屋でしたが、現在は中華そば屋さんになっています。
竹内金物店だった頃の写真です。小諸市の補助を受けて、現在は美しくリフォームされています。^^
右:合名会社 塩川五右衛門 (江戸後期)
江戸時代には本町の庄屋や問屋を勤めており、多くの使用人が住み込みで働いていました。建物の主屋は、寛保の大洪水の後に建てられたものです。現在は、「株式会社 まちづくり小諸」の社屋です。
左:旧大塚魚店 (江戸後期)
旧大塚魚店(江戸後期)
2006年(平成18年)、明治~大正時代の格子戸や看板を修復・復元。2010年(平成22)年に、国登録有形文化財になりました。建築当初の構造を残しながら、江戸時代から伝わる神棚、明かり取りの天窓やタイル張の冷凍冷蔵室など、江戸~昭和・平成の時代の変遷を今に伝えています。看板には、「食料」「缶詰」「大塚奥店」などの文字が読めます。
ショーウインドーをのぞいてみたら…、
1914年(大正3年)に、店舗の前で撮った写真が飾られていました。
低い軒が連続した、江戸時代の町並み。
古い家屋をリフォームした店舗。現在は、メキシコ料理のお店になっています。
Calaveraはスペイン語で、「しゃれこうべ」という意味。
そして、とてもりっぱな佇まいだった、そば七 (江戸後期)。
【そば七】
江戸時代に本陣代として建てられた建物です。文化・文政期に造られた唐破風の向拝屋根が、今も店の正面に残されています。主屋は、他の江戸時代の建物と同じように、厨子二階となっています。店内には、緑豊かな庭があり、店の天井には、昭和になってつけられた明かり取りが見られます。
1996年(平成8年)、そば七の先代が、空き家だったこの建物を残そうと借り受け、自力で改装して、土日に蕎麦屋を始めました。このできごとは、本町の町並み再生の先駆けとなる取り組みとなり、その後、周囲の建物も徐々に修復されていきました。
昭和59年ごろの同じ建物です。文化財というものは、「必ず残す」という強い意思がないと、後世へ伝えることはできなのだということを実感します。
現在の写真です。文化・文政期に造られた、唐破風の向拝屋根。見事です。
屋根に施されたりっぱな彫刻は、見どころのひとつです。入り口の向拝は1806年ごろのものと伝えられ、当時はやった松や鳥が彫られています。
萬屋骨董店とつるやホテルが見えてきました。
萬屋骨董店です。左右にうだつが残っています。(明治期)
【萬屋骨董店】
明治26年開業。書画・浮世絵・食器などが所狭しと並んでいます。現在の当主は4代目。この建物は、小諸銀行として、1881年(明治14年)に建てられたものです。元銀行であったため、同時代の他の建物と比べると、入口が狭いデザインになっています。小諸銀行は、小諸の豪商が力を合わせて開いた銀行で、当時かなり勢いのあった商都小諸を象徴する建物の一つです。
建物は「蔵づくり」で、火事にあっても燃えないように、建物全体が土壁で塗られています。また、建物の両側には、うだつが設けられています。このうだつは、1階部分から立ち上がっている「袖うだつ」と呼ばれるものです。
2007年に、国の登録有形文化財に指定されました。
創立時の小諸銀行です。窓には鉄格子がはめられていましたが、戦争時に供出し、なくなったそうです。
萬屋骨董店のとなりにあるオレンジ色の高い建物は、つるやホテルです。
【旅籠つるやホテル(つるや旅館)】
1682年(江戸中期)から、この場所で旅籠を営んできた老舗旅館です。明治時代になってからも、商用や公用で来た客でにぎわいました。文化人の客も多く、小諸義塾の教師だった島崎藤村や画家の円山晩霞らに会いに来た画学生などが、1か月も泊まり込み、宿賃が払えなくなったというエピソードもあります。平成4年にビルを建て、ホテルとして新装オープンしました。
現在、ホテルの1階部分は、こんな風になっています。違和感のない佇まいを残し、両側にうだつも見えます。
大塚酒造本店(江戸後期)
江戸時代の中頃からの老舗の造り酒屋です。本町の古い町屋の典型と言える建物です。大塚酒造本店主屋の裏には、約160年前から続く酒蔵があり、現在も、清酒「浅間獄(あさまだけ)」を醸造しています。
江戸時代の町屋は、2階がとても低いのが特徴です。これを「「厨子二階」と言います。この建物も、低い厨子二階で、江戸時代の姿を留めています。立派な庭と、家の中の田の字型の間取りから、格式の高さがうかがえます。昭和初期に、当時流行したデザインを取り入れて店舗を改装し、ショーウインドーや腰壁のある格子窓が取り付けられました。
「2階建てであっても、家の高さが低いのが、
江戸時代の建物の特長」だそうです。
ほんと、2階部分の丈の低いこと。😮
こんな建物が並んでいることによって、
本町エリアの特長的な景観が造られました。
そして、お気づきでしょうか。
各家の前の道路に敷かれたタイルの配置も、
品が良く、心憎いばかりです。
小諸市、いい仕事をしています。^^
本町エリアの町並みは、次回に続きます。
(つづく)