骨折でも信州2。小諸から千曲へ 3 - はりこし亭でお昼ごはん③ / 小諸城址 懐古園①(2024年11月14日/1日め)
2024年11月14日 はりこし亭で。(長野県小諸市)
11月14日(木)- 1日め
小諸市郊外にある、
「はりこし亭」に来ています。
「花かご膳」です。季節の小鉢、蕎麦、デザートが付いています。(2750円)
手前右側から時計回りに、野菜の煮びたし、炊きこみごはんのおにぎり、お漬物、信州サーモンのお造り、炊き合わせ、地元のとれたて野菜のシャキシャキサラダ。サラダにかかっているのは、信州名産「白いも」のドレッシングです。
「地産地消」が基本のお店だけあって、
野菜がとれたての歯ごたえ。
どれも食べてもおいしい。^^
お蕎麦です。
デザートは、ジャージー乳ソフト。神津牧場の牛乳を使っているそうです。おいしかった!^^
【神津牧場】
群馬県甘楽郡下仁田町にある、日本最古の西洋式牧場です。日本で初めてジャージー牛を育てたところでもあります。1887年(明治20年)に、妙義荒船佐久高原国定公園内の標高1000メートルの地に、神津邦太郎によって開設されました。387haの広大な土地には、約150頭のジャージー牛が自然豊かな環境で育てられています、ここから生産される乳製品の数々は、品質・風味ともに一級品と言われ、特に牧場で食べるソフトクリームは絶品です。作曲家の神津 善行氏は、神津邦太郎の子孫にあたるそうです。
新鮮な素材で作られたお料理を堪能しました。
最後に、「はりこし亭」の周りをウロウロして、写真を撮りまくる多動夫。🤣
うだつに設けられた、小さな棟飾。「水」の字があります。
先月訪れた青鬼集落で、それぞれの家の棟飾に文字が書いてあったのを思い出しました。^^
骨折でも信州。8回めの須坂へ 5 - 山村集落「青鬼」⑤ 棟飾と石段(2024年10月16日/1日め)
秋まっさかりの「はりこし亭」を後にして…、
次に向かったのは、「小諸城址 懐古園」。はりこし亭から2キロくらいのところにあります。
【小諸城址 懐古園】
仙石秀久によって完成された城です。武田信玄の家臣、山本勘助らによって現在の領地が築かれたあと、豊臣秀吉の時代に、仙石秀久が小諸城主となりました。城下町より低い位置に城を築いた「穴城」は、全国でも珍しく、日本百名城のひとつです。
当時の建造物として現存しているのは、石垣と現在の懐古園の入り口の三之門、そして市街地に存在する大手門のみです。大手門と三之門の2棟は、共に国の重要文化財に指定されている。
紅葉をながめながら、駐車場から少し歩いて大手門へ。
三の門です。ちょうど陽があたって、こちら側の方がきれいだと思うのですが…、
多動夫は、反対側が正面だと言いはります。扁額がかかっているので、たぶんそうなのでしょうが。
【三の門】
懐古園のシンボル的な門です。仙石忠政の時代に創建されましたが、寛保戌の満水(1742年)と呼ばれる洪水で流失してしまいました。現在の門は、1765〜66年頃に再建されたものです。二層寄棟造瓦葺の風格のある楼門で、矢狭間、鉄砲狭間も設けられています。(国の重要文化財)
「もう、どっち側でもいいじゃん」とか文句言いながらも、ちゃっかり写真を撮られてます。🤣
そして、三の門の前で入場券を買って懐古園の中へ。
正面の巨石は、復元したものだそうです。ここは二の門跡。
【懐古園】
小諸城跡で、酔月城とも呼ばれており、情緒ある風情が漂います。春には、桜の名所としても知られ、天守跡から見下ろす雲海のような桜が園内を彩ります。ここにしかない「小諸八重紅枝垂」は、濃い紅色が際立ちます。園内には小諸とゆかりの深い文豪・島崎藤村の藤村記念館もあります。
【懐古園の石垣】
1871年(明治4年)に北国街道が整備された際、ここにあった石垣は、道路の端縁石(はしぶちいし)に用いられました。その後長い間、火山灰の崖だけが残されましたが、石垣を懐かしむ声が多数寄せられ、1984年(昭和59年)に、当時よりも大きな石を用いて復元されました。
人力車がやってきました。
美しいグラデーションに、ため息がでました。
紅葉の懐古園を歩きました。
(つづく)