MIYO'S WEBSITE - 全盲難聴のんたんの記録と卵巣ガン、そして旅日記。

超未熟児で生まれた後遺症で、全盲難聴(盲ろう)となったのんたん、双子の妹あみちゃんと共に楽しく生きる家族のお話です。
子どもたちは24歳になり、毎日元気に楽しく暮らしています。
卵巣ガンになって思ったことも、少しずつ書き始めました。
ベトナム日記は、
http://limings.muragon.com/tag/?q=2019%E5%B9%B49%E6%9C%88-10%E6%9C%88%E3%80%80%E3%83%99%E3%83%88%E3%83%8A%E3%83%A0&p=4 
をご覧ください。
ベトナム家族旅行:
https://limings.muragon.com/tag/?q=2017%E5%B9%B412%E6%9C%88%E3%80%80%E3%83%99%E3%83%88%E3%83%8A%E3%83%A0
小学生だったころの子どもたちの育児日記は、こちらです。
http://limings.sweet.coocan.jp/

秋のおでかけ - 旧磯野家住宅/銅御殿(あかがねごてん)① 表門(2024年10月11日)

2024年10月11日 旧磯野家住宅/銅御殿(あかがねごてん)で。(東京都文京区)


10月11日(金)


ようやく秋らしくなってきた金曜日。
文京区にある国指定重要文化財
旧磯野家住宅/銅御殿(あかがねごてん)
に行ってきました。


実業家の磯野敬が建設した近代和風住宅で、
竣工は1912年(大正元年)。
明治末から大正初期にかけての
和風建築の粋を凝らした、
極めて技術の高い建築作品
と言われています。


主屋の屋根と外壁に銅板が張り巡らされており、
その独特の外観から、
「銅御殿(あかがねごてん)」
と呼ばれるようになりました。


茗荷谷駅を出て春日通りを渡り、数分歩くと、旧磯野家住宅/銅御殿(あかがねごてん)の表門が見えてきました。この門は、国の重要文化財に指定されています。

夫が予約していたのは、11時半からの見学コース(1時間)。この表門の前に集合することになっていましたが、少し早く着いたので、まだ誰もいませんでした。

ちなみに、このむくり屋根の大門は、京都の大徳寺龍光院の兜門(重要文化財)を模して造ったものだそうです。(画像をお借りしました)


【旧磯野家住宅/銅御殿(あかがねごてん)】
実業家で政治家の磯野敬によって建てられた近代和風の住宅です。主屋は1909年(明治42年)に着工し、1912年(大正元年)に竣工しました。明治末期から大正初期にかけての和風建築の粋を凝らしており、材料・意匠・技法における伝統的な木造建築の技術と、明治以降の大工技術を見ることができます。中野貫一の所有を経て、現在は、ホテルニューオータニの創業者大谷米太郎の子孫が運営する公益財団法人大谷美術館が所有しています。
銅板葺きの屋根や銅板が張りまわされた外観から、「銅御殿(あかがねごてん)」として知られており、主屋および表門の2棟が、国の重要文化財に指定されています。
主屋は明治末期に着工し、1912年(大正元年)に竣工しました。車寄せを備えた書院棟、3階建ての応接棟、旧台所棟などから成ります。

表門は1913年(大正2年)竣工で、尾州檜の太い丸太材を用いた四脚門です。
主屋、表門共に、吟味された木材がふんだんに使われており、建具や欄間などの意匠や造作から、熟練した木造建築技術の一端がうかがわれます。
伝統的な木造建築の技術と明治以降の大工技術が融合した、近代和風建築の作品であり、東京に残る、明治末期から大正初頭にかけての数少ない邸宅建築のひとつとして、貴重な文化財です。
*見学は予約制(定員8人)で、以下のサイトから申し込めます。(見学料はひとり3000円)
銅御殿(重要文化財・旧磯野家住宅) 特別見学会 | Peatix


待っている間、ヒマだったので、記念撮影など。😄

ここで、MIYOの右手の包帯にご注目。バリから帰国した翌日に、またやっちゃいました。5年ぶりの骨折です。😓


診断は、橈骨遠位端骨折。
橈骨(とうこつ)って単語、初めて見ました。
添木をあてて、包帯で固定して、
全治一ヶ月だそうです…。😔


そうこうしているうちに11時半になり、
表門の左側に設けられた小さな出入り口から、
中に入れていただきました。
見学者は、全部で8名でした。


表門の内側です。

表側と裏側に、それぞれ2本の柱がある、四脚門です。柱には尾州檜の太い丸太を使っています。

屋根は美しい曲線を描いており…、

垂木の構造も他では見られないものです。白く見える部分には貝殻の粉を塗ってあるのだそうです。

中央の扉は、楠木の一枚板。厚さは7cm。

この太い柱は、「そで柱」というそうです。

そで柱の下部、礎石部分です。「光付け」という高度な技術で、木材をぴたりと取り付けてあります。



【そで柱の光付け】
礎石の凹凸(おうとつ)に合わせて木を削り、隙間なくぴたりと取り付けるという高度な技術で、日本建築の伝統的な大工技術のひとつです。また、そで柱から礎石には「ホゾ」が一尺(約30.3cm)ほど通されていて、地震でも倒れにくいような構造になっています。

石を切って造ったモザイク模様は、海の水面を表現しています。

表門の隣りに設けられている出入口。私たちはここから入りました。中央に写っているのは郵便受けで、建築当初からあるものです。ごく最近まで使用されていました。が、「レターパック」が入らないことが問題となり、やむをえず使用を中止したそうです。

表門を後にし、係の方の案内で先へと進みました。

緩やかな曲線を描く砂利道を進み、つきあたりを右に曲がると…、

庭の奥に、主屋が見えてきました。

銅御殿(あかがねごてん)です。


銅板が張りめぐらされた邸宅は、
かつては、まるで新品の10円玉のように、
あかがね色に輝いていたそうです。
しかし現在は緑青に覆われ、
緑の館となっていました。


(つづく)

×

非ログインユーザーとして返信する