MIYO'S WEBSITE - 全盲難聴のんたんの記録と卵巣ガン、そして旅日記。

超未熟児で生まれた後遺症で、全盲難聴(盲ろう)となったのんたん、双子の妹あみちゃんと共に楽しく生きる家族のお話です。
子どもたちは24歳になり、毎日元気に楽しく暮らしています。
卵巣ガンになって思ったことも、少しずつ書き始めました。
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涼風の栃木へ。星野リゾート 界 川治に泊まった2日間 16 - イタリア大使館別荘記念公園① チェッカーボードの館(2024年8月23日/2日め)

2024年8月23日 「イタリア大使館別荘記念公園」で。(栃木県日光市)


8月23日(金)


中禅寺湖のほとりにある、
英国大使館別荘記念公園を後にして、次は、
イタリア大使館別荘記念公園に向かって、
森の中を歩きました。


10分も歩かないうちに、黒い建物が見えてきました。

イタリア大使館別荘記念公園に到着。^^


【イタリア大使館別荘記念公園】
中禅寺湖畔の豊かな自然や国際避暑地の歴史とのふれあいが楽しめる公園です。明治中頃から昭和初期にかけて、中禅寺湖畔には、各国の大使館をはじめ多くの外国人別荘が建てられ、国際避暑地として発展しました。

園内の建物は、1928年(昭和3年)にイタリア大使館の別荘として建てられたもので、1997年(平成9年)まで、歴代の大使が使用していました。その後は栃木県が同館を買い取り、修理と復元を行って一般公開されました。(国の登録有形文化財)
「本邸」は、床板や建具・家具などをできる限り再利用して復元し、「副邸」は、往時の歴史を紹介する「国際避暑地歴史館」として整備しています。また、園内からは、表情豊かな中禅寺湖の風景を堪能することができます。


なにも調べずに来たので、😅
ここに着いてみて、初めて、
イタリア大使館別荘記念公園には、
建物が2棟(本邸と副邸)あることが
わかりました。


まずは、本邸から見て行きます。


中禅寺湖のほとりに建つ、本邸です。今立っている場所よりも少し低い土地にあるので、別荘の下の部分は埋もれているように見えます。

エントランスに向かって、石段を降りました。

エントランスの右側には、苔むした井戸があり、その先へと小径が続いています。

さすが多動夫。別荘に入ることなく、小径をどんどん歩いて行ってしまったので、仕方なく、MIYOも後に続きました。これはその小径で、別荘を横から見たところです。

本邸の先には、中禅寺湖が広がっています。

本邸は、近くで見ると渋いのですが、少し離れてみると、その様相が異なってきます。

あー、夫があんなところにいる。どうやってあそこまで行ったんだか。ほんと、多動だわ…。😓

別荘の前には桟橋があり、湖上の船が横着けようになっています。


【別荘の桟橋とヨット】
別荘の桟橋は、ヨットのために設けられました。当時ヨットは、湖でのレクリエーションの代表格で、湖面を滑るたくさんのヨットは、まさに夏の風物詩でした。かつては、男体山ヨットクラブ主催のレースが毎週のように開催され、各国大使がこぞって参加しました。レクリエーションだけでなく、日常においても、別荘の行き来や買い物などにヨットは頻繁に利用されており、別荘生活の必需品とも言えました。


桟橋の上から、夫が撮った本邸です。近くで見た時とは違う建物のように見えます。

壁面はチェスボードのような、小粋な格子柄を描いていました。

和風のような、洋風のような、不思議なテイスト。

桟橋でウロウロしている夫をあきれて見ていたら、撮られてしまいました。😄

シャレた柄の壁面を近くで見ると、チェッカーボードはタイルではなく、杉皮張りで、パターンを変えながら仕上げられていることがわかります。

夫がいつまでたっても戻ってこないので、待ちきれず、MIYOだけ、エントランスに戻りました。


「いったいどこまで行ったのやら…」
と思いながらも、しょうがないので、
先に中に入って、見学することにしました。


(つづく)

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