快気祝いのタイ10日旅 23 ワット・スタット④ 礼拝堂(大扉と、シーサーカヤームニー仏)(2024年7月6日/3日め)
2024年7月6日 ワット・スタットの礼拝堂で。(タイ・バンコク)
7月6日(土)- 3日め
バンコクの第一級王室寺院である、
ワット・スタットの礼拝堂に来ています。
礼拝堂です。
周囲に巡らされた回廊を歩いたあとは、
本堂の中に入ります。
本堂の入口です。中には、礼拝堂の本尊であるシーサーカヤームニー仏が鎮座しています。
この入口は開け放たれた状態なので、
写真に写っていませんが、
両側に扉がついていて、
「大扉」と呼ばれています。
ただし、現在ここにある「大扉」は、
レプリカです。
【礼拝堂の大扉】
礼拝堂の扉は、チーク材でできた手工芸品です。現在はめ込まれている扉はレプリカで、本物は、バンコクの国立博物館に展示してあります。この大扉は、ラーマ2世王自らがデザインして彫ったものと言われており、タイの伝統技術を伝える木彫美術の白眉として知られています。
この大扉、実は、7年前に
日本まで運ばれて来たことがあり、
そのときに私たちも見ることができました。
2017年7月に、上野の国立博物館で開催された「日タイ修好130周年記念特別展」。このときの出口付近に、なんとこの大扉が取り付けられていたのです。😮(画像をお借りしました)
このときの展示は、
すばらしいものばかりでしたが、
展示場内はすべて撮影禁止。
なので、写真は一枚もありません。
唯一、撮影スポットとされていたのが、
この大扉の向こうに見えている、
シーサーカヤームニー仏でした。
ただし、本物の仏像ではなく、
壁一面に貼られた、仏像の写真です。😅
大扉の向こうに貼られていた、シーサーカヤームニー仏の大写真。
このときの日記です。
日タイ修好130周年記念特別展(2017年7月17日)
「国宝級の大扉の向こうに鎮座する、
シーサーカヤームニー仏(写真ですが)」
というのは、
ワット・スタットでの風景をそのままに
再現しようという企画だったわけで、
すばらしい発想でした。
でも、その演出を理解できた人は、
ほとんどいなかったのではないか、と…。
私たちもそのひとり。いえ、そのふたり。🤣
たとえばそれは、中宮から、
「香炉峰の雪いかならん」
と言われて、すかさず、
清少納言が御簾を高くあげたように。😄
白居易の詩を熟知していたからこそ、
ツーカーの行動がとれたわけです。
同様に、ワット・スタットを熟知していて、
「ワット・スタットの大扉が取り付けてある。
ならばこの奥には、
シーサーカヤームニー仏があるはず。」
などと、すぐに連想できる人でないと、
この演出は理解できなかったかと…。
私たちは残念ながら、当時、
ワット・スタットをよく知らなかったので、
この演出の意味深さを
よく理解できませんでした。
(説明文があったかと思いますが、たぶん、読んでも頭に入っていない…。😔)
それは私たちだけではなかったようで、
すばらしい展示品(実物)の数々を見た後で、
最後に仏像の「写真」に注意を払う人は
そのときは少なかったと記憶しています。
けれどそこは、
撮影が許された唯一の場所でした。
係の方から、
「どうぞ、写真をお撮りください。」
と言っていただいたので、
撮らないで帰るのも申し訳ない気がして、
それでは、と撮ったのが、上の写真でした。
7年もたった今頃になって、あの特別展での、
「大扉」と「その奥にあった仏像写真」の、
本当の意味を知った私たち…。😅😅
7年前の記憶の中で、
ただなんとなく通り過ぎていたことが、
今頃になって鮮明に思い出され、
当時はわからなかったことまでが
「ああ、そうだったのか。」
と、理解できるようになる…。
それはとても楽しいことでした。
「旅をして、なにかを知る」
というのは、すごいことだな、
…と、あらためて実感しました。
さて、礼拝堂です。大扉のある入り口を入ると、まずは大きな柱が並びます。
壁画は、ラーマ3世の時代、釈迦の前世講であるジャータカに材をとって描かれたものです。ジャータカに材をとった壁画は、バンコクではここでしか見ることができないそうです。また、三界経に材をとった壁画もあります。
【ジャータカ物語】
ジャータカとは、釈尊が前世に菩薩として修行していたとき、生きとし生けるものを教え導いたエピソードを集めた物語です。親しみやすい物語形式の中で、ブッダの教えが説かれています。歴史的には、「イソップ物語」や「アラビアン・ナイト」にも影響を与え、日本にも「本生話」「本生譚」としてその一部が伝えられました。仏教の教えを親しみやすく説いたジャータカは、テーラワーダ仏教の諸国で広く語り継がれています。
*ビルマのシュエズィーゴン・パゴダで、装飾として描かれていた「ジャータカ物語」はこちらです。
埃まみれのビルマ。バックパッカーの10日間 15 - モンモンさんの家と、シュエズィーゴン・パゴダ(1987年5月5日/5日め)
そして、壁画に囲まれながら、たくさんの僧侶や人々が手を合わせる先には…、
シーサーカヤームニー仏が、穏やかな表情を見せていました。
【シーサーカヤームニー仏】
ワット・スタット寺院は、タイ国ラタナコーシン朝第2代ラーマ2世王(1766-1824)が創建した王室寺院ですが、本尊には、スコータイから請来したブロンズの大仏(15世紀)を安置しています。これが、シーサーカヤームニー仏です。この大仏は、「王朝年代記」によれば、1361年スコータイ王朝、リタイ王の治世に鋳造されたと記録されています。右手を地に垂らし、マーラに対して勝利を宣言している、いわゆる「降魔印」が特徴で、もとはスコータイのワット・マハータートに設置されていました。その後、ラーマ1世によって発見され、スコータイから水路を使ってバンコクまで運ばれました。しかし、シーサーカヤームニー仏はあまりに大きすぎ、城壁を通すことができませんでした。そのため、一説では、城壁や城門(ターチャーン門)が壊されたと伝えられています。
この大仏を運ぶ作業は、ラーマ1世自らが指揮をとったそうです。苦労の末、最終的に本堂に仏陀が移されると、彼は、「安置された。私の仕事は終わった。」と言い、その数日後に崩御したと伝えられています。
夫、感動しすぎたのか(?)、仏像の後ろ姿と仏座まで撮っていました。😓
【シーサーカヤームニー仏の仏座】
あまりめだたないのですが、仏座の後部には、ドヴァーラヴァティー様式のレリーフがはめこまれています。これは、ラーマ5世(チュラーロンコーン)がナコーンパトムから持ってきたものと信じられています。
細かい装飾がびっしりと施されています。写真の中央にあるのが、ドヴァーラヴァティー様式のレリーフです。
礼拝堂の中から外を眺めました。手前に見えるのは、仏陀像が並ぶ外壁。その後ろに、美しい布薩堂も見えます。
このあとは、礼拝堂の周囲(中庭)を歩きました。
美しく磨かれた中庭の床は、日差しを受けて輝いていました。
(つづく)