MIYO'S WEBSITE - 全盲難聴のんたんの記録と卵巣ガン、そして旅日記。

超未熟児で生まれた後遺症で、全盲難聴(盲ろう)となったのんたん、双子の妹あみちゃんと共に楽しく生きる家族のお話です。
子どもたちは24歳になり、毎日元気に楽しく暮らしています。
卵巣ガンになって思ったことも、少しずつ書き始めました。
ベトナム日記は、
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ベトナム家族旅行:
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小学生だったころの子どもたちの育児日記は、こちらです。
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快気祝いのタイ10日旅 13 ワット・アルン②(2024年7月5日/2日め)

2024年7月5日 ワット・アルン(暁の寺)で。(タイ・バンコク)


7月5日(金)- 2日め


ワットアルンに来ています。


あまりに大きくて、なかなか一枚に収まらないのですが。^^

両側を彫像が守っている階段があります。ここから中に入ります。

入り口の階段を上がると、二つめの階段があり、その階段はさらに、祠塔の中腹に設けられた三つめの階段へと続きます。しかし、上がれるのは二つめまで。そこから先は入ることができません。(危ないですからね。^^)

でも、38年前には、この階段を上って、祠塔の上の方まで行くことができました。(1986年5月2日)

私たちも登ってみました。^^(以下7枚、1986年5月2日)

ちょっとコワいので、手すりをしっかりと握っています。笑

石段が終わるところまでは、上がることができました。

石段のいちばん上に到着。隣りの塔のてっぺんが、すぐ近くに見えました。笑

やはり、似た者同士なのか…。😓

祠塔は、いちばん上の部分まで、細かいモザイクで埋め尽くされています。

がんばっていちばん上まで登った人だけが、見ることができる景色です。^^


38年前は、祠塔の上の方まで、
上らせてもらえたんですね…。
当時は、訪れる人も少なく、
のどかな旅行でした。^^


現在のワット・アルンは、
バンコクの代表的な観光スポットなので、
(↑当時もそうだったのですが)
バンコクに来てここを訪れない人はいない、
と思います。
38年前に比べると、現在の寺院内は
観光客だらけになっています。
それだけに、安全面を考慮して、
上に上がれなくなったのかもしれません。
それはそれとして、仕方のないことですが…。


ビルマ・パガンもそうでした。
巨大なパゴダの頂上まで登る醍醐味というか、
あの、てっぺんから下界を見下ろした感動は、
生涯忘れられないものとなりました。
けれどそのパガンも、現在は、
すべてのパゴダで、「登頂禁止」となりました。


たしかに、今思うとこれはアブナイ。柵もなんにもないですから。😓(1987年5月4 日 ビルマ・パガン)
このときの日記です。
埃まみれのビルマ。バックパッカーの10日間 11 - マヌーハ寺院、シュエサンドー・パゴダ、ダマヤンジー寺院(1987年5月4日/4日め) - MIYO'S WEBSITE - 全盲難聴のんたんの記録と卵巣ガン、そして旅日記。


ビルマに行ったのは、1987年5月。
1986年5月に初めてタイを訪れてから、
その一年後のことでした。
タイにしても、ビルマにしても、
当時はあたりまえにできたことが、
今ではできなくなっていることが
たくさんあります。


その理由は、
安全面の配慮だったり、
国際的な観光化の影響であったり、
さまざまなのですが。


今になって、
「以前だったらできたのに。」
と残念がっても、しかたありません。
40年近い年月が過ぎて、こうして、
タイやビルマの古い写真を見ながら、
「この瞬間、このときでなければ、
 できないことがあったのだな…。」
と、ようやく実感するようになりました。


だから旅は、できるときにやっておかなければ。
…と、つくづくそう思います。
旅先の状況も変わって行くし、
そもそも、私の膝が心もとなくて、
いったいいつまで階段が登れることやら…。
いちばんの問題は、ソレかもしれません。🤣


現在のワット・アルンは、下から見上げるのみ。

けれどその姿は、以前にもまして美しいように思いました。

38年前は、ひとつひとつのモザイクを、こんなにじっくりと見たりしたかなあ…。

寺院の周囲で咲き誇る、スイレンの花。

その花たちを、夫はせっせと撮っていました。笑


さて。
38年前のワット・アルンでは、
伝統舞踊の衣装を着た女性が、
いっしょに写真を撮らせてくれました。


観光客を誘致しようと、政府も工夫していたのだと思います。(1986年5月2日)


でも今は、そういう女性はいません。
その代わりに…。


ワット・アルンは、民族衣装をレンタルした観光客だらけになっていました。🤣🤣

これ、ぜ~んぶ、観光客です。専属のカメラマンを雇って、いっしょに歩く人もたくさんいました。

おかあさんとかわいい女の子。ふたりいっしょにレンタル。^^


今や、民族衣装は、写真に撮るものではなく、
「レンタルして、
 自分がその衣装を着て観光する」
という時代になりました。
「民族衣装のレンタル」は、
観光地の新しい産業となりつつあります。


これは世界中で見られる現象で、
日本でも、上野や浅草では、
ちょっと怪しげな着物を着て歩く外国人を、
頻繁に見かけます。
それがいいんだか悪いんだかわかりませんが、
少なくともこれによって、観光客はお金を落とし、
地元の経済がまわっているのはたしかです。😓


上野公園で。中国からやってきた、ツアーの方々。浴衣に日傘で、みんないい笑顔でした。(2017年7月17日)
このときの日記です。
日タイ修好130周年記念特別展+LA COCORICOでローストチキンランチ(2017年7月17日)

人があまりいない瞬間を、待って待って撮った一枚。それくらいに、今やワット・アルンは、観光客がひしめいていました。


(つづく)

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