MIYO'S WEBSITE - 全盲難聴のんたんの記録と卵巣ガン、そして旅日記。

超未熟児で生まれた後遺症で、全盲難聴(盲ろう)となったのんたん、双子の妹あみちゃんと共に楽しく生きる家族のお話です。
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新緑の箱根で、美味しいものを食べ歩いた3日間 17 - 恩賜箱根公園② 湖畔展望館・資料室、中央広場、弁天の鼻展望台(2024年5月18日/3日め)

2024年5月18日 旧箱根離宮・恩賜箱根公園で。(神奈川県足柄下郡箱根町)


最終話です。
連載にお付き合いくださり、ありがとうございました。


5月18日(金)- 3日め


恩賜箱根公園にある、湖畔展望館に来ています。


「目の前に絶景があるのに、こんなの撮らなくても…。」と言ったのですが、「まあいいじゃない。横に立って。」と。多動夫はなぜか、この写真が撮りたかったようです。😓


湖畔展望館の2階は、
カフェと展望スポットになっているのですが、
1階には、箱根離宮と恩賜箱根公園に関する、
資料が展示されています。


竣工当時の箱根離宮です。日本館(左)と西洋館(右)が並んでいました。


【箱根離宮】
明治時代に、皇室の避暑・避病の地として作られました。計画したのは、箱根の温泉治療効果にいち早く着目したドイツ人医学者ベルツ(お雇い外国人)と、後に初代内閣総理大臣になる伊藤博文です。
1866年(明治19年)に完成し、日本館御殿西洋館御殿を中心に官舎・兵舎が建ち並び、華麗な姿を芦ノ湖に映していましたが、関東大震災によって被害を受け、さらに1930年(昭和5年)の北伊豆地震によって、倒壊してしまいました。離宮跡地はその後、1945年(昭和20年)に神奈川県に下賜され、県立都市公園として整備が進められました。1946年(昭和21年)より、恩賜箱根公園として一般公開が始まりました。
当初の建築は現存していませんが、その園地は、皇族の離宮時代の姿をそのまま踏襲しています。現在の湖畔展望館と休憩所は、1992年(平成4年)に造られたものです。湖畔展望館には、かつての西洋館御殿にちなんだ洋風建築様式を、また、休憩所には、日本館御殿の和風建築様式を取り入れています。中央広場には、西洋館御殿の礎石が残っており、当時の面影をしのぶことができます。


【恩賜箱根公園】
明治時代に造営された、「箱根離宮」の跡地にあり、芦ノ湖と富士山を一望できる都市公園です。皇室の避暑地であった「箱根離宮」の庭園の姿を、今も残しています。公園のある「塔が島」は、関東大震災、北伊豆地震の被災を経て、建築の大半は失われましたが、多くの痕跡が残り、またそれらを生かした公園整備が行われていることから、近代造園文化の発展に寄与した意義深い事例といえます。2013年(平成25年)、「国登録記念物」(名勝地関係)に登録されました。


箱根離宮時代に作られた絵葉書です。西洋館と日本館が並び、その後ろには、芦ノ湖と富士山が見えます。まさに絶景スポットです。

竣工当時の、箱根離宮西洋館です。

当時は、各地方長官やドイツ、ロシアの皇族たちとの御陪食があり、明治天皇皇后両陛下の行幸もあったようです。以後、昭和に至るまで、160人余りの皇族が使用しました。


【訪れた賓客たち】
箱根離宮には、各国の皇族や大使館員なども、多数訪れたと言われています。
 ドイツ:皇族フリードリッヒ・ウェルヘル殿下
 ロシア:皇族グランシュリ・アレキサンドル殿下
 オーストラリア:ヘンリー親王同妃殿下
 イタリア:公使ビンシ氏
 ドイツ:大使エルテルド氏
 イギリス:大使館書記官
 ルーマニア:カロルー親王
 イギリス:エドワード皇太子
 シャム(タイ):公使夫妻


1930年(昭和5年)の北伊豆地震で被災した、箱根離宮・日本館です。華やかな歴史を重ねてきた箱根離宮は、度重なる震災と共に、その規模を縮小していきました。


【離宮の変遷】
箱根離宮は、関東大震災で相当の被害があり、昭和4年に大改修を行いました。その際、西洋館を取り壊し、日本館は、当初の約半分の規模となりましたが、御座所を中心に残しました。その後日本館は、北伊豆地震によって大打撃を受けたため、一部を残し、竣工当初の約1/7に縮小されました。


かつて箱根離宮があった場所に建てられた、箱根展望館。私たちが訪れたときは、初夏のバラ展が開催されていました。

展望館の前は「中央広場」になっています。芝生では、結婚式が行われていました。新郎が外国人だったので、出席者の約半数が外国人。振袖を着た金髪女性も見えます。^^


こんなすごい場所で、
絶景を背に結婚式を行うとは、
なんてすてき。😍
最近、歴史的建造物を見に行くと
そこで結婚写真を撮っているカップルを、
かなりの確率で見かけます。
40年前(結婚40年!😓😓)には、
こんな結婚式、想像もしませんでしたが。
今の若い人たちは、いいなあ…。


…なんて言うと、
「40年前の結婚式は、なにもかも、
 あなたの希望通りにやったはずだよね?
 まだ足りないの?😮」
とか、多動夫に抗議されそうですが。😔


「初夏のバラ展」を彩っていた花たちです。

このあとは、富士山と芦ノ湖を眺めながら、公園内を歩きました。

手入れの行き届いた庭園が広がっています。

弁天の鼻展望台まで来ました。この場所は、離宮当時は馬場の附属施設でしたが、現在は、東屋のある展望台となっています。(画像をお借りしました)

弁天の鼻展望台で。夫の右にあるのが上の写真の東屋なのですが、このときは、東屋の周囲にあまりにも大勢の外国人旅行者がひしめいていたので、あえて、東屋をはずして撮りました。😅

弁天の鼻展望台からは、湖畔展望館がこんなに小さく見えます。

絶景を楽しみながら、少しだけ歴史のお勉強ができた、恩賜箱根公園でした。

再び、松林の中の小径を歩いて、駐車場まで戻りました。


午後3時。
恩賜箱根公園を後にして、一路、車を走らせ、
午後6時に、東京に到着。
これで、2泊3日の箱根の旅が終わりました。


夕食は、自宅の近くにある、「がってん寿司」へ。


このお寿司屋さんは、家から近いと言っても、
歩いていくのはちょっと遠い、
というところにあります。
以前は、夫の運転で、気軽にでかけていました。
でも、夫が入院し、手術を受け、
退院後は運転も禁止となったので、
もう長いこと、このお店には、
食べに行くことができませんでした。


5か月ぶりに行けた、お気に入りの回転寿司店。
こんなふうにして、少しずつ、
かつての日常が戻ってくるのかな…と、
そんな気がしました。


【今回訪ねたところ】
5月16日:

 昼食:ベーカリーレストラン「マカロニ市場」
 箱根関所・箱根関所資料館
 夕食:「箱根御膳 仙石宇京」で鰻と自然薯
 宿泊:サンダンス・リゾート箱根強羅
5月17日:
 岡田美術館
 昼食:富士屋ホテル

    旧宮ノ下御用邸「菊華荘」で「献上御膳」コース
 芝商店
 岡田美術館・足湯カフェ
 宿泊:サンダンス・リゾート箱根強羅

5月18日:
 昼食:強羅花壇

    旧閑院宮別邸「懐石料理 花壇」で「水仙」コース
 恩賜箱根公園
 ・塔の鼻広場
 ・湖畔展望館(箱根離宮西洋館跡地)
 ・弁天の鼻展望台(馬場の附属施設跡地)


一日に2、3か所まわろうとする多動夫の
耳たぶをひっぱっておしとどめ、
「ワンデイ、ワンシングだよ。
 一日に一か所しか行かない約束でしょ。」
と言い聞かせながらの、2泊3日でした。


ゆっくりのんびり、どこにも行かずに、
温泉に入って美味しい物を食べて帰る。
…というつもりで、私たちにとっては、
リハビリのような旅にする予定でした。
それにしては、内容充実しすぎちゃったかな、
という気がしないでもありませんが。😅


とはいえ。
2月に心臓の大手術をしたことを思うと、
よくぞここまで回復した、という気持ちです。


夫は今も、リハビリのために、
病院へ通っています。
生きていればいろんなことが起こりますが、
そのとき、そのときのできる範囲で、
楽しいことを見つけながら、
生きていければ、と思います。


箱根には、子どもたちと何度も来たし、
もうとりたてて行くところはない、
と思っていましたが、どうしてどうして。
いざ来てみると、
歴史的スポットがたくさんあって、
美味しい物も食べられて、
思っていたよりもずっと、
楽しく、思い出深い旅になりました。


ありがとう、神奈川県。^^


(おわり)

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