新緑の箱根で、美味しいものを食べ歩いた3日間 9 - 菊華荘① 庭園(2024年5月17日/2日め)
2024年5月17日 富士屋ホテル・菊華荘で。(神奈川県足柄下郡箱根町)
5月17日(金)- 2日め
箱根の、富士屋ホテルに来ています。
ショップのドアを抜けて、本館の外に出ると、
目の前に車道があります。
車道を越えた向こう側に見えている、お邸の門。ここが、この日予約していた、旧御用邸・菊華荘です。
【菊華荘】
「宮ノ下御用邸」として、1895年(明治28年)に建造されました。現在は、富士屋ホテルの別館で、日本料理のレストランと、1日3室限定の宿泊施設として使用されています。
この御用邸は、明治天皇の第8皇女子、富美宮允子(のぶこ)内親王の避暑を目的に建てられたもので、随所に菊の紋が残されており、皇室の歴史を今に伝えています。良質の材料を用いて過度の装飾を押さえた瀟洒な姿には、当時の優れた技能が発揮されています。設計は宮内省内匠(たくみ)寮。数寄屋風書院造りで、純日本建築の落ち着いたたたずまいと、美しい日本庭園を特徴とする菊華荘は、国の登録有形文化財になっています。
富美宮允子内親王は、1891年(明治24年)に誕生。宮ノ下御用邸は、4年後の1895年に建造されました。かつては、昭和天皇も皇太子時代によく利用していたことが、『昭和天皇実録』に記述されています。その後、1934年(昭和9年)に、高松宮の別邸となりましたが、終戦と共に皇室が解体されたことにより、1946年(昭和21年)、富士屋ホテルに払い下げられました。その際に、富士屋ホテルによって、「菊華荘」と命名されました。
箱根には、以前から、箱根離宮(現在の恩賜公園)という、皇室の建物がありましたが、避暑を目的とした建物は、菊華荘が初めてでした。皇室の御用邸の中では、最も小さい規模(1682坪)ですが、日本で6番めの皇室の別荘で、葉山の御用邸の翌年に建てられています。
【允子内親王】
1910年(明治43年)、19歳で、旧皇族の朝香宮鳩彦(やすひこ)王と結婚。1922年に、鳩彦王が留学先のパリで交通事故にあい、重傷を負うと、急遽パリに向かい、夫の静養に同行して、2年間パリに滞在しました。このときに、当時流行していたアールデコへの造詣を深め、帰国後、アールデコ様式の朝香宮邸を新築するのに注力したことで知られています。この宮邸は、その後、東京都庭園美術館(港区白金台)の本館となりました。
朝香宮鳩彦王と允子内親王。
1933年(昭和8年)に完成した、朝香宮邸(現・東京都庭園美術館)。日本を代表するアールデコ建築と言われています。
その允子内親王が4歳の時に建てられた宮ノ下御用邸。現在の菊華荘です。
門を入ると、夫ははやる気持ちをおさえきれないようで、MIYOをおいて、どんどん先へと歩いていってしまいました。😔
ほどなく、菊華荘のお邸が見えてきました。
時刻は12時半。予約していた時間までまだ30分くらいあったので、先に庭園を歩いてみることにしました。
りっぱな多宝塔の隣りにある小道を、奥へと歩きます。
菊華荘を左に見ながら、夫はどんどん歩いていきました。
落ち着いた佇まい。このガラス戸の内側が、レストランになっています。
少し遅れて、同じ道を歩くMIYO。勝手に歩いていいのかな、とちょっと心配。
お邸の反対側に出ました。
近づいてみると、中で食事している方々が見えました。😄
L字型のお邸に囲まれるようにして、庭園が広がっています。御用邸当時、皇室の庭師によって造られた回遊式庭園です。
この池は心字池(しんじいけ)です。上から見ると、「心」という字になるように造られています。
多動夫は池よりも花の方が気になるようです。😅
このときに夫が撮っていた写真。
池の向こうには小高い丘があり、
その上まで、庭園が続いています。
が、予約した時間が近づいてきたので、
ここで散策を中断し、
お邸に入ることにしました。
(つづく)