MIYO'S WEBSITE - 全盲難聴のんたんの記録と卵巣ガン、そして旅日記。

超未熟児で生まれた後遺症で、全盲難聴(盲ろう)となったのんたん、双子の妹あみちゃんと共に楽しく生きる家族のお話です。
子どもたちは24歳になり、毎日元気に楽しく暮らしています。
卵巣ガンになって思ったことも、少しずつ書き始めました。
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新緑の箱根で、美味しいものを食べ歩いた3日間 4 - 箱根関所③ 足軽番所、石段と遠見番所(2024年5月16日/1日め)

2024年5月16日 箱根関所で、長い石段を上がりました。(神奈川県足柄下郡箱根町)


5月16日(木)- 1日め


箱根関所に来ています。
大番所・上番休息所の次は、
足軽番所に行きました。


足軽番所です。


【足軽番所】
大番所・上番休息所の次に大きな建物です。ここは、昼間は足軽が控えていた場所ですが、夜になると、足軽が寝る場所になりました。建物内には、足軽のための部屋や休息所、不審な武士などを留め置く「揚屋(あがりや)」、関所破りをした罪人などを一時的に拘置する獄屋(牢屋)などがあります。屋根は、大番所と同様に杉板を薄く割って重ねた「栩葺(とちぶき)」で、外壁の壁板は、「渋墨(しぶすみ)」で黒く塗られています。「獄屋」は格子で囲まれており、とても頑丈に造られていました。


足軽番所の左端には、獄屋(牢屋)がありました。この中に、関所破りをした罪人などを一時的に拘置しました。


獄屋には、靴を脱いで、
中に入ってみることもできましたが、
やめておきました。😅


獄屋の右隣りには、休息所があります。


【休息所】
足軽たちが休息する場所で、身の回りの日用品などを置き、夜にはここで休みました。部屋の奥には、木製の扉と土間が見えます。扉の向こう側には、下番居所と呼ばれる部屋があり、雑用をする下番が控えていました。


休息所の右隣りは土間になっていて、台所が設けられていました。ちなみに、足軽は単身赴任で、使用する米は各自が持参することになっていたそうです。

壁には、蓑や草鞋がかけられていました。

台所の奥にある出入り口から、外に出てみます。

土間から外に出ると、すぐ目の前に井戸があります。この井戸は、遺構調査の際に発掘されました。山水を蓄えていて、枯れることがなく、現在も一定の水位を保っているそうです。

さらに左方向に進むと、足軽番所用の雪隠(トイレ)があります。

そしてここから、長い石段が続きます。


石段】
足軽番所の裏から遠見番所まで、石段が続いています。この石段の復元にあたっては、発掘調査によって出土した、江戸時代の踏み石がそのまま使われ、急な傾斜も当時のままに再現されました。この石段を登ると、芦ノ湖の対岸まで見渡すことができます。


「これくらい、平気平気。」と、ホイホイ登って行く多動夫。😓

その勢いで、さらに上にある遠見番所まで上がって行ってしまいました。

「大丈夫なの? ほどほどにした方がいいよ。」と言ってもききません。😔

遠見番所です。

また階段かあ…と思いながら、MIYOも少しずつ石段を登り始めました。


【遠見番所】
箱根関所で唯一の、二階建ての建物です。四方に大きな窓が開かれており、二名の足軽が、昼夜を問わず交代で、芦ノ湖や街道沿いを見張っていました。


遠見番所から見えた景色です。手前が足軽番所、そして芦ノ湖川にあるのが大番所・上番休息所です。


箱根関所は、
思っていたよりもずっと規模が大きくて、
見どころがいっぱいでした。^^


(つづく)

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