全盲難聴・のんたんのGW日記 8 - 水陸両用バス「スカイダック」で水の中にダイブ!⑤ 「旧中川・川の駅」から東京スカイツリーへ(2023年5月1日/3日め)
2023年5月1日 水陸両用バス「スカイダック」と。(全盲難聴・のんたん 27歳)
5月1日(月)
旧中川・川の駅でスロープを上がり、
スカイダックは再びバスに戻りました。
車体についた海水を洗い流す作業のあいだ、
私たちはあたりを散策しました。
ここは、「旧中川・川の駅」というスポットです。
【旧中川・川の駅】
江戸最初の運河である、小名木川が開かれた場所です。1590年(天正18年)、江戸に城下町をつくることにした徳川家康が、江戸への物資の輸送路として、小名木川を開きました。江戸に通じる最初の運河で、下総国行徳産の塩を江戸へ運ぶために開いたとされていますが、以後、米、醤油、野菜など、多くの物資や人がここを往復しました。沿岸はしだいに町場となって、現在の江東区の原型が作られていきました。
その後、関東各地の河川が整備され、関東一円で整備された水体系と江戸の運河がつながりました。水運による人やモノの動きをおさえるため、1661年(寛文元年)、江戸幕府はこの地に中川番所を開きました。これ以降、中川番所は、水路における江戸への入口となりました。
2013年、新たな水辺の賑わい拠点として、「旧中川・川の駅」が開設されました。かつて、江戸の入口として舟運でにぎわっていた、中川の風景を復活させることをコンセプトとしています。水陸両用バスが入出水するスロープや、カヌー・カヤックなど、地元密着のウォータースポーツが利用可能な乗船上を整備しています。
「御江戸大絵図」(1843年・天保14年・人文社)です。旧中川の中川番所から江戸市中へ向けて、小名木川が一直線に作られています。そのまま隅田川を越えれば、江戸初期からの経済の中心地である、日本橋本町周辺に最速で到着しました。
スカイダックから見た、現在の小名木川です。この先に隅田川、そして日本橋があります。
「各所江戸百景 中川口」(歌川広重)
左下に番所の柵と川への石段が見えます。乗り合い船や材木の筏が行き交い、左上の新川(船堀川)にも荷船が見えます。
番所の柵と川への石段が描かれています。現在はこのあたりが、水陸両用バスの入出水スロープになっています。
現在の写真です。スカイダックの入出水スロープが設置され、右手には、江東区中川船番所資料館が見えます。
反対側から見た、入出水スロープ。
江東区中川船番所資料館です。
こういう資料館があるとは、全然知りませんでした。カメイドクロックと合わせて、ぜひ、訪ねてみたいと思います。
冠木門の前で。長男、楽しそうです。^^
さて、休憩時間が終わったので、バスに戻ります。
きれいに洗ってもらって、ピカピカになったスカイダックと。^^
再びスカイダックに乗り、
下町界隈を通り過ぎました。
亀戸マダム御用達の「マル三(まるさん)」洋品店です。「マルミ」洋品店ではありません。笑 店頭にずらりと並んだ衣料品が、いかにも下町らしい雰囲気です。価格もとってもリーズナブルだそうです。
「亀戸升本 すずしろ庵」です。
店頭に、亀戸大根が飾られています。小さな大根なんですね。^^
【亀戸升本 すずしろ庵】
明治38年創業。「亀戸大根」を味わえる、割烹弁当のお店です。もともとは、酒屋さんだったそうです。このあたりは、荒川水系によって出来た肥沃な粘土質が大根作りに適していて、文久年間(1861~1864)の頃から、大根がさかんに栽培され始めました。明治時代に「おかめ大根」とか「お多福大根」と呼ばれていたものが、大正時代に「亀戸大根」となりました。が、住宅化が進んだ現在では、「幻の大根」となってしまいました。近くの香取神社には、「亀戸大根之碑」があります。
「亀戸升本」では、この江戸伝統野菜「亀戸大根」を、契約栽培に寄って今に甦らせ、名物「亀戸大根あさり鍋」をはじめとした、オリジナルの「亀戸大根料理」を提供しています。亀戸升本秘伝の辛味の「亀辛麹(かめからこうじ)」が自慢で、「すみだ川あさり飯」などのお弁当や、有機醤油と紹興酒でつくった秘伝のたれにじっくり漬け込んだ「亀戸大根たまり漬け」が人気です。
こんなお店があるのも知りませんでした。
カメイドクロック、中川船番所資料館
に出かけたあとは、
このお店にも寄ってみたいです。
テイクアウトの、
「亀戸大根まんじゅう」がおいしいそうです。^^
そんなことを考えているうちに、スカイダックの屋根ごしに、東京スカイツリーが見えてきました。
そろそろ、出発地に戻ってきたようです。
(つづく)