MIYO'S WEBSITE - 全盲難聴のんたんの記録と卵巣ガン、そして旅日記。

超未熟児で生まれた後遺症で、全盲難聴(盲ろう)となったのんたん、双子の妹あみちゃんと共に楽しく生きる家族のお話です。
子どもたちは24歳になり、毎日元気に楽しく暮らしています。
卵巣ガンになって思ったことも、少しずつ書き始めました。
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小学生だったころの子どもたちの育児日記は、こちらです。
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コロナでもウポポイ3。札幌2週間ホテル暮らし 118 - 旧黒岩家住宅④ 和室④と、「ANAホリデイ・イン札幌すすきの」でお昼ごはん(2021年11月14日/12日め)

2021年11月14日 旧黒岩家住宅(旧簾舞通行屋)で。4つの和室を、順に歩きました。(北海道札幌市)


11月14日(日)


旧黒岩家住宅(旧簾舞通行屋)に来ています。


前回までに、
 玄関
 定山渓鉄道資料コーナー
 馬小屋
 納屋(通路を含む)
 居間
 台所
 広間
 旧玄関
 和室①-③
を見てきました。


和室③で、クマの敷物とともに。

こちらは、玄関に飾ってあった、巨大なクマの毛皮です。


旧黒岩家住宅の中には、
計3体のクマが展示されています。
こんなにもたくさんあるということは、
それだけ、簾舞に多くのクマが出没した、
ということを意味します。


日常、山や畑で仕事をしていても、
いつクマが襲ってくるかわからない。
そんな恐怖に怯えながらの
生活だったようです。


さて、残るのは、和室④のみとなりました。

写真の奥が和室④です。ここは、なにもない6畳間でした。和室③との間には襖一枚があるだけなので、宿泊客が多い時には、襖をはずして広い部屋にしたのかもしれません。


すべての部屋の見学を終えました。
最後に、この家の主であった、
黒岩清五郎について書いておきます。


【黒岩清五郎(1824-1890)】
未開の地だった簾舞(みすまい)の開拓は、1872年(明治5年)、簾舞通行屋の屋守として黒岩清五郎とその家族の計3名が入植したことから始まりました。
清五郎は福岡県三井郡の出身で、江戸を経由して安政年間に渡道し、当初は有珠善光寺の寺侍を務めました。その後、軍川(いくさがわ)に移って農業に従事しました。水田の試作に好成績をあげたことにより、箱館奉行所から同地の通行屋屋守を命ぜられました。

その当時の軍川にあった民家の写真です。清五郎も、このような家で暮らしていたと思われます。

明治4年、有珠新道の開通に伴い、清五郎は、簾舞通行屋屋守として簾舞の地に入植しました。当時の簾舞は無人の地で、通行する人もほとんどなく、明治15年に入植者が現れるまでの10年余りは、清五郎一家のみが、通行屋経営と開墾を行いました。一家は、開拓使の援助と自らが開墾した畑作からのわずかな収入によって生計をたてました。実直な人柄であった清五郎は、開拓使の信任が厚く、手厚い援助を受けながら、通行屋経営と開墾の仕事に堪えました。
地区農業の先駆者として、旧豊平町の開拓に生きた清五郎は、明治23年、この簾舞の地で亡くなりました。


北海道開拓の村で見た、
「開拓小屋」を思い出しました。
コロナでもウポポイ3。札幌2週間ホテル暮らし 30 - 北海道開拓の村③(旧小川家酪農畜舎、旧菊田家農家住宅、開拓小屋)(2021年11月6日/4日め) - MIYO'S WEBSITE - 全盲難聴のんたんの記録と卵巣ガン、そして旅日記。


開拓小屋です。「本当にここ?」 と、地図を見て、何度も確かめました。出入り口にムシロを下げただけの小屋で、冬の北海道をどうやって生き抜いたのでしょうか。

開拓時代の写真です。開拓時代の人々は、たしかに、このような家で生活していたようです。(画像をお借りしました)


北海道の開拓者は、
まず、生い茂る笹や草を刈り、
木を切り倒して土地を拓き、
そこに小屋を建てることから始めました。
移住者が最初に建てたこのような住宅を、
開拓小屋と言うそうです。


困難を極めた、初期の開拓者たち。
そして、黒岩清五郎もまた、
このような開拓小屋に住みながら、
開拓を続けたひとりでした。


現在残っている「簾舞通行屋」の遺構は、
いくつもの部屋を擁する、大きな家屋です。
ですがそれは、たやすく手に入れたのではなく、
開拓者としての清五郎が、
その人生を賭して作り上げたものでした。


見学を終えて、玄関まで戻ってくると、木製の机といすが置いてあるのに気がつきました。簾舞の小学校で、かつて使われていたものだそうです。


ああ、そうでした。
MIYOが小学校の頃も、こんな机といすに座って、
授業を受けていました。
なつかしい。^^


そして小学校4年頃だったでしょうか。
新品の机といすが、全員に支給されました。
ピカピカの机といすはスチール製で、
成長に合わせて高さの調節ができたので、
各自の持ち物とされ、
卒業まで、同じ机といすを使用しました。


その後、中学校でも、
同じような机といすを使いましたが、
高校に入ったら、
またも、木製の机といすに戻りました。笑
愛媛県の田舎町の話ですからね。^^
小学校と中学校はなんとかなったけれど、
高校までは、予算がなかったのでしょう。😅


そして今もなつかしく思い出す、スタッフのAさん。


見学者は私たちふたりだけだったので、
Aさんも時間に余裕があったようです。
とても熱心に、町のお話を
聞かせてくださいました。
ご覧ください。
Aさんの楽しそうな表情。^^


Aさんは、簾舞に住んでおられる方です。
現在は、リタイア後の時間を利用して、
週に何回か、郷土資料館のスタッフとして
勤務しておられるそうです。
(そういえば、札幌市資料館でガイドしてくださったOさんも、
 リタイア後、ボランティアとして勤務しておられました。)


老後の時間の使い方として、
なんと有意義なのだろう、と
このときは感心しました。


ですがその後、日本の各地を旅行していると、
多くの観光スポットが、
このようなシニアスタッフによって
支えられていることに気がつきました。


行政としては、
時間に余裕があるシニアを活用すれば、
正規職員を雇うよりも人件費が抑えられます。
そしてシニアスタッフは、
自宅からほど近いところで、
自分の都合に合わせた勤務体制で働き、
「謝礼」をいただけます。


地元の資料館や博物館などで、
有償ボランティアとして働くことは、
誇らしく、楽しく、
そしてやりがいのある仕事であるのは、
各地でおひとりおひとりと話しているうちに、
すぐにわかりました。
人生経験を積まれてきたからこその
言葉づかいや気働きを、いつも感じます。
誰もが、いい笑顔をされていました。


全国各地で、観光スポットを支える、
シニアボランティアさんたち。
こんないいこと、
いったい誰が考えたんでしょうね。^^


なにかほっこりとしていて楽しかった、旧黒岩家住宅(簾舞通行屋)。

これは住宅の裏側です。かつての佇まいをそのまま残しています。

なんだか立ち去りがたくて、このあと、町内を30分くらい、散歩しました。😄


山に囲まれた簾舞の地はのどかで、
ゆったりとした、楽しいひとときでした。


さて。
午前中いっぱいを簾舞で過ごしたあとは、
札幌にもどってお昼ごはんです。


今日のランチは、すすきのにある、「ANAホリデイ・イン札幌すすきの」でいただきます。ここまでの写真と比べるとエライ変わりようですが、同じ札幌市内です。^^


宿泊している
フェアフィールドバイマリオット札幌
のレストランは、
(我が家にとっては)高くて、
とうとう一回も利用できませんでした。
せめて最後の日くらいは、
ホテルでランチしたいね、ってことで、
ここに来ました。


MIYOはホテルの前で車を降り、
夫はレンタカーを返却しに行きました。
そして、レストランの前で待ち合わせ。
ホテルのロビーで休憩していたら、
ほどなく、夫もやってきました。


前日に、ホテルの2階にある「オールデイ・ダイニング・ヴェルデ」を予約してありました。

店内はカジュアルな雰囲気です。

そして、ランチビュッフェのメニューは日替わりなのだそうです。(1回しか行きませんでしたが。笑)

お料理は種類も多く、かなり充実。人気のスポットのようで、たくさんの人が訪れていました。

ライブキッチンもありました。日替わりのライブメニューとパスタはここで作っていただけます。

スイーツもおいしそうです。^^

MIYOのお昼ごはん(1回め)。このあと何回も取る予定なので、いろんなのを少しずつ。ごはんもちょっぴりです。イタリアンと中華がごちゃまぜですが、おいしかったです。笑

夫のお昼ごはん。イタリアンと中華にカレーライス、唐揚げにお蕎麦と、もうワケがわかりません。爆

最後のデザートとカフェオレです。スイーツはどれもしっかりと作られた味でした。


充実のランチビュッフェは、
ひとり1430円(税込)。
オトクだったと思います。^^
事前にホットペッパーから予約して
ポイントをゲットし、さらに、
ANAホリデイ・イン札幌すすきの」
なので、ANAカードで支払いました。



支払い額は2860円ですが、
通常のクレカポイントに加えて、
さらに1%が、
ANAマイルとして付与されます。
つまり、28マイル。^^


ANAマイルがもらえるというのが、
お店をここに決めた理由でした。笑
こういう、日ごろの地道な積み重ねで、
マイルを貯めています。^^


ポイ活は、夫から、
「くだらない。みみっちい。」
とバカにされながら、
20年以上、続けてきました。


その集大成を、定年後に使っています。
このときの札幌旅行から1年間で、
北海道に5回、沖縄(宮古島・石垣島を含む)に5回、
計10回、行きました。
(このほか、青森や能登にも行ってます。笑)
ふたりぶんですから、
ざっと200万円分くらいでしょうか。
全部マイルなので、お金は使っていません。


過去20年に貯め続けたポイントを、
ANA40万マイルに交換し、
せっせと使っています。


たとえば、20万マイルでお買い物すれば、
20万円分にしかなりませんが、
航空券に交換すると、
100万円分くらいになります。
(おおまかな計算です。)


それにやっぱり、マイルって夢があります。^^
「今月はスーパーで*0000円買い物したけど、
 ポイントで払ったから全部タダだったよ。」
と言っても、家族は、
「ふうん…。」
と言うだけ。
でも、
「今度の北海道旅行、チケットはマイル利用だから、
 全員タダだよ。」
と言うと、夫も長女も喜ぶんですよね…。
なんていうのかな。
「ポイントを使った喜びが、より大きい。」
「達成感がある。」
って言うのかな。
そんな感じがします。


4年くらい前に、
「航空券に利用すれば、
 1ポイントが5円分以上の価値になる」
ということを知り、
手持ちのポイントをANAマイルに
交換するようになりました。


ビジネスクラスでヨーロッパに2回行きたくて、
40万マイル(ふたり分)も貯めたのですが、
コロナでフライトはキャンセル。
仕方なく、国内旅行に方針転換しました。
以来、使いに使って、旅行しまくって、
残すところ、あと10万マイルになりました。


まだまだ、大丈夫。
北海道に、あと10回は行けそうです。笑


(つづく)

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