コロナでも信州。歴史の宿を訪ねて、早春の信濃路を歩く - ダイジェスト(2023年3月13日-17日)
2023年3月17日 山寺常山邸で。(長野市松代町)
3月21日(火)
みなさま こんにちは。
長野県の旅から戻ってきました。
今回めざしたのは、
国の登録有形文化財になっている、
ふたつのお宿です。
1月に旅行した群馬県で、
登録有形文化財になっている
積善館に泊まりました。
幻想的な光を放っていた、積善館。(2023年1月17日 群馬県吾妻郡中之条町)
その体験があまりにも感動的だったので、
他のお宿にも泊まりたくなりました。
調べてみたところ、
登録有形文化財になっているお宿って、
他にもあるんですね…。^^
で、群馬県のお隣りの長野県にも、
2か所あることがわかりました。
行ってみたい。
でも、その両方に泊まると、
我が家の予算(一回の旅行につきふたりで5万円)
を軽く超えてしまいます。
しばし躊躇したのですが、
2月の伊豆でかかった費用が
3200円だったことを思い出しました。
「2月と3月の予算を使ったと思えばいいか。」
と、勝手につじつまを合わせて、
ふたつの宿に予約を入れました。
全国旅行支援があったのも助かりました。^^
そしてもうひとつの目的地は、
田中本家博物館です。
初めて訪れたのは、2年前になります。
以来、ブログには書いていませんが、
実は、今回で5回めの訪問になります。
なぜこんなに何回も行くのかというと、
季節ごとに、
「江戸時代料理再現食事会」
が開催されるからです。
江戸時代から続く豪商・田中本家が、
御家老方をもてなした料理を、
所蔵する博物館級の器で再現します。
たとえば…、
徳利:染付 松竹梅 鶴模様 伊万里焼
蓋茶碗:錦手 蓋茶碗 伊万里焼
吸物:根来蒔絵 吸物椀 京漆器
お煎茶の茶碗が、清朝の青磁(白磁 花模様 中国青磁 清朝)だったのには、ひっくり返りました。😂😂
…ということで、
今回のメインは、この3か所、
ふたつの歴史的旅館と田中本家です。^^
豪華な出費が3つも続くのは初めてで、
ちょっと迷いましたが、
「こうして元気で自分で運転して旅行するなんて
いつまでできるかわからないので、
元気なうちに、行けるときに行ってはどうか?
と思っています。」
という多動夫の言葉に、私も
「ええい、行ってしまえ!」
と、心を決めました。
3月13日(月)- 1日め
朝7時半に、自宅を出発。
もうすぐマスクが要らなくなりそう(?)なので、大切にしまってあった台湾製のマスクを使うことにしました。2022年6月の台湾フェスティバルでいただいたものです。^^
途中、ドライブを楽しみながら、
お昼すぎに、目指すお宿の近くに到着。
チェックインまでの時間を、「道の駅 北信州やまのうち」で過ごしました。(長野県下高井郡山ノ内町)
そして午後3時、「金具屋」に到着しました。
宿泊料金は、ふたり分で、
37400円(一泊二食消費税込み)です。
が、楽天ポイント(12900P)を利用し、
実質、24500円になりました。
「歴史の宿 金具屋」です。(この写真は、夜になってから撮りました。)
【金具屋】
長野県の渋温泉にある温泉宿です。 もともとは鍛冶屋でしたが、1758年に、敷地内に温泉が湧いたことを機に、鍛冶屋から宿屋になりました。「金具屋」という名は、鍛冶屋であったことに由来しています。大正から昭和にかけて鉄道網が完成し、都会からの観光旅行ブームとなったことから、六代目・西山平四郎が、それまでの療養宿にとどまらず、絢爛豪華な観光旅館とすることを目指しました。
西山平四郎によって1936年(昭和11年)に建設された、木造4階建ての「金具屋斉月楼」と「金具屋大広間」(棟梁は小布施の三田清助)は、2003年(平成15年)に国の登録有形文化財に認定されました。
毎日夕方5時半より、宿泊した人のための「金具屋文化財巡り」が開催されます。金具屋九代目・西山和樹さんの案内で、館内を歩きました。館内ツアーは、130畳の大広間の舞台から始まります。天井や背景の垂れ幕は、落成当時からのものだそうです。(登録有形文化財)
客室は、当時のままの設えです。それぞれの部屋を家にみたて、入口は玄関のように、そして廊下は、外を歩いていると思わせるような設計になっています。そのため、客室の窓にはあえてひさしがついています。玄関(右)や窓の組子障子なども、ひとつひとつが異なっているので、見ていて飽きることがありません。^^
金具屋の中でも粋なフォトスポットと言われている、「月見富士」。最上階から3階へ降りる階段の踊り場にある富士山です。天井から垂れる灯りは、月を表わしています。最上階にある客室からお客様が部屋を出た時に、富士が望めるようにとデザインされたそうです。金具屋を大きくした6代目当主は、日本全国を回ってアイデアを集め、館内の随所にこのような演出を仕掛けました。
そして夜はこうなります。4階建ての、金具屋斉月楼(登録有形文化財)。「千と千尋の神隠し」のモデルになったのではないか、と言われています。
夕食と朝食は、130畳の大広間(登録有形文化財)でいただきました。
金具屋の見どころは、
館内にまだまだたくさんあります。
お料理もおいしかったのですが、
全部載せていると4回くらい連載しそうなので、
割愛いたします。笑
3月14日(火)- 2日め
金具屋をチェックアウトし、
温泉寺と醸造元・玉村本店へ。
【温泉寺】
長野県諏訪市にあります。1640年(寛永17年)建立され、以来高島藩諏訪家の菩提寺となり、忠恒から8代忠恕までの歴代藩主の廟があります。開基は、高島藩初代藩主諏訪頼水。本堂と三門は焼失したため明治2年に高島城から移しました。中部四十九薬師霊場7番札所でもあります。多宝塔は、諏訪市有形文化財です。
【玉村本店】
志賀高原の麓にある、清酒「縁喜(えんぎ)」の酒蔵です。創業は、1805年(文化2年)。現在は、醸造元であると同時に、約150年前に建築された酒蔵の一部を改良し、アート・ギャラリーとして、玉村本店当主佐藤家代々の日本画を中心としたコレクションを展示しています(入場無料)。展示している作品のほとんどは、伊藤深水、福田平八郎、山口華楊、上村松篁など、酒が縁で当地を訪れた作家のものです。
玉村本店です。ガラス越しに、清酒の製造工程を見ることもできます。
2階にあるアートギャラリー。伊藤深水の絵がたくさんありました。
そして、上信越高原国立公園へ。またまた夫にだまされて、山の中を延々歩きました。
さんざん歩いて、多動夫がどうしても行きたいと言っていた、地獄谷野猿公苑に到着。「温泉に入るニホンザルたち」で知られているところです。(画像をお借りしました)
【地獄谷野猿公苑】
長野県の北部、上信越高原国立公園の志賀高原を源とする横湯川の渓谷に位置しています。 この地は、険しく切り立った崖に囲まれ、噴泉が絶えず噴煙を上げているため、地獄谷と呼ばれるようになりました。標高850mの地獄谷では、冬は1mを越える雪に覆われ、最低気温が-10℃を下回ります。人間を除く霊長類の生息北限とされる下北半島と比べても引けをとらない厳しい環境です。
このような場所にある地獄谷野猿公苑は、1964年の開苑以来、ニホンザルの興味深い生態を間近で観察できる場所として、広く世界中の人々に愛されています。また、多くの研究者や写真家も訪れ、数々の成果を上げています。
現在は、約130頭のサルが生息しており、「温泉に入るサル」として知られています。1970年、米「LIFE」誌の表紙に掲載され、海外にも報道されました。また、1998年の長野冬季オリンピックの際は、選手、大会関係者、報道関係者等、世界中からの人々が大勢訪れ、話題となり、広く世界中に知られるところとなりました。
訪れている人の95%が外国人でした。仲良くなったブラジル人グループと。「こんなところでブラジル人に会うとは思わなかった。」とポルトガル語でしゃべったら、逆にめちゃくちゃ驚かれました。笑
温泉につかって、器用に泳ぐサルくんです。
湯けむりの中、仲良く並んで、温泉のお湯を飲んでいました。笑
サルくんたちがあまりにかわいくて、
一時間以上見ていても飽きませんでした。笑
そして、この日の夜は軽井沢へ。
サンダンスリゾート軽井沢に2泊しました。
なぜ、軽井沢なのかというと、
ただ単に、安いからです。笑
メンバーになっているので、
ポイントを利用して、
一泊800円(ひとり)で泊まれます。
ふたりで2泊しても、3200円。
天下の高級リゾート地・軽井沢を、
単なる安宿として使ってます。(←アホ)
3月15 日(水)- 3日め
須坂市にある、田中本家博物館で、
江戸時代料理再現食事会に参加しました。
毎回、すばらしい器とお料理を堪能しています。
【令和5年3月 江戸時代料理再現食事会(案内状より)】
今回は、1849年(嘉永2年)、五代 田中新十郎が、孫の初節句祝いとして、御家老の丸山様方をお招きしたときの料理を再現いたします。
当時の献立には、雪割茸、鮃の刺身、大魚小串、ツト豆腐、干鱈、鯛味噌漬、厚焼鶏卵、皮牛蒡、雪菜、長芋照煮などの料理が記録されていました。また、使用する器類として、古伊万里金襴手20人揃や、輪島塗皆朱20人揃など、お祝いらしいハレの器をご用意いたします。
お料理のイメージと、輪島塗皆朱膳椀20人揃(江戸時代のもの)です。(案内状の画像をお借りしました)
お食事会は、通常は非公開となっている、11代当主の主屋で開催されます。
今回も、びっくりするくらいおいしいお料理でした。器もすばらしかったです。^^
3月16日(木)- 4日め
軽井沢の宿をチェックアウトして、
上田市へ。
蕎麦処「元祖真田流手打ち蕎麦 佐助」で、
お昼ごはんをいただきました。
お店は、350年前に建てられた江戸時代の古民家を利用しています。飯山市から移築したそうで、ドッシリとした佇まいでした。野菜天ざるそばをいただきました。おいしかったです。^^
たまたま近くにあったので、真田氏歴史館に入り…、
さらに真田氏屋敷跡へ。MIYOは、お屋敷を囲む土塁の上を歩いているところです。笑
そして午後3時、楽しみにしていた、
湯田中温泉の「よろづや」にチェックイン。
玄関を入り、まずは、その美しさに圧倒されました。
予約していたのは、
「和室10畳+7畳/66㎡
当館で最も広い二間の純和室」
というタイプ。
宿泊料金は、ふたり分で、
48000円(一泊二食消費税込み)。
我が家ではムリな価格でしたが、😅
よろづやのHPから会員登録をして、
2000円引き。
さらに、旅行支援で10000円を補助されたので、
実質36000円と考えることにしました。
この旅館の見どころは、登録有形文化財になっている、桃山風呂です。
夕食は、一品ずつを提供されるスタイル。どれも、感動的なおいしさでした。
最後にデザートが盛られていたプレートです。「38回めの結婚記念日おめでとうございます」と、チョコレートで書いてありました。^^
群馬県の積善館でも感じたのですが、
高級旅館の人々のおもてなしのすばらしさは、
感動ものですね。
宿泊料金は高いけど、
がんばって長生きして、いつかまた来たいなあ…
と思ってしまいました。
3月17日(金)- 5日め
旅の最終日です。
長野市の松代象山地下壕に行きました。
【松代象山地下壕】
第二次世界大戦の末期、軍部が本土決戦の最後の拠点として、極秘のうちに、大本営、政府各省等をこの地に移すという計画を進めました。この計画のもとに、昭和19年11月11日から翌20年8月15日の終戦の日まで、およそ9か月の間に建設された地下壕は、現在、松代大本営跡と呼ばれています。突貫工事により、全工程の約8割が完成しました。この建設には、当時の金額で1億円とも2億円ともいわれる巨費が投じられ、また、労働者として多くの朝鮮や日本の人々が強制的に動員されたと言われています。なお、労働者の動員については、当時の関係資料が残されていないこともあり、必ずしも全てが強制的ではなかったなど、さまざまな見解があります。
この地下坑道跡は、舞鶴山を中心として、皆神山、象山に碁盤の目のように掘り抜かれ、その延長は約10km余りに及ぶ、広大なものです。このうち、松代象山地下壕のみが、平成元年から一般公開されており、平和な世界を後世に語り継ぐ上での貴重な戦争遺跡となっています。
一部のみの公開とはいうものの、内部は広く、かなり歩きました。
昨年訪れた、沖縄・旧海軍司令部壕を思い出しました。(2022年9月 沖縄県豊見城市)
同じ頃に造られた地下壕ですが、
このふたつからは、
なにか違うものを感じました。
ひとつは、
「日本のために戦い、死んで行った方々が、
最期まで守り続けた場所」。
そしてもうひとつは、
「少しでも長く戦争を続けるために、
活路を求めて設けた場所」。
それはいったい、誰のためだったのでしょうか。
その答えを探しながら、
黙々と、地下壕の中を歩き続けました。
地下壕からの帰りに見つけたレストラン「心幸食(しんこきゅう)」で、少し遅めのお昼ごはんをいただきました。地元の人気店のようで、お客さんが絶えません。
松代象山店しんこきゅう(心幸食) 長野市/日本料理・懐石・会席 ネット予約可 | ヒトサラ
20種類以上の料理の中から、食べたいものを自分で選んで定食を作るスタイル。MIYOが選んだメイン料理は、「鶏もも肉のもろみそ漬けカツレツ」。絶品でした。大根のポタージュは、野菜くずを利用したブロスからこだわって作り、とろみはお米で出しているそうです。おいしかったです!^^
化学調味料を使わず、無添加の手作り料理を作っているのは、店主の藤村綾子さん。この道30年のスーパーウーマン。
お客さんがいなくなった店内で、
なぜか話がはずんでしまい、^^
貴重なお話をたくさん伺いました。
もともとは、病気のお子さんのために、
料理に工夫を凝らしたのが始まりだったそうです。
藤村さんにお会いして、
「この世で起こることには、
無駄なことはひとつもない。
すべてのことに、理由がある。」
という言葉を思い出しました。
病気のお子さんを育てながら、
苦労されてきたことでしょう。
そんなご経験が、現在へと積み上がり、
すばらしい笑顔になっておられる、
と感じました。
おいしいお料理と楽しいお話を、
ありがとうございました。^^
ランチのあとは、長野市松代町の、
けやき通りの界隈を歩きました。
このあたりには、
寺や武家屋敷がいくつも残っていて、
ただ歩くだけでもワクワクしてきます。
象山恵明禅寺。黄檗(おうばく)宗の寺院です。松代藩主真田幸道の正室豊姫の霊屋があります。佐久間象山の号は、この寺にちなんだとされています。
武家屋敷町だけあって、一般住宅ですらもこんな感じ。見事な高麗門にびっくりしました。笑
山寺常山邸です。武家屋敷ならではの静謐な庭が広がっていました。(国の登録記念物)
【山寺常山邸】
山寺常山は、佐久間象山、鎌原桐山とともに松代の三山と称えられました。山寺常山邸の見どころは、松代城下に残る門の中では最大である長屋門形式の「表門」、表門と渡り廊下でつながり近代和風建築の秀作である「書院」、そして神田川の水を引き入れている池(泉水)を湛えた「庭園」です。
秋になると、この窓からすばらしい景色が見られるそうです。
半田氏庭園です。庭園の中央には園池があり、その南側の築山には三尊(さんぞん)石が組まれています。一つの「泉水路」でつながる庭園として松代の造園文化の発展に寄与した意義深い事例だそうです。(文化庁登録記念物)
美しい薬医門の、旧樋口家住宅。江戸時代、真田藩士として目付役などを務めた上級武士の家でした。主屋、土蔵、長屋の3棟が長野市の文化財(建造物)に指定されています。
3月ということで、台所は、たくさんの吊るし雛で飾られていました。
スミマセン…。
写真が多すぎましたね。
多動夫と旅行すると、5日間で、
こんなにもたくさんの場所を
訪れてしまいます。😅
ダイジェストということで、
写真の数をかなり絞ったのですが、それでも、
こんなに長くなってしまいました。
長野県には何回も来ているのですが、
知らない土地や歴史的建造物が
まだまだあることを、今回は実感しました。
できるだけ歩き回ってみたものの、
旧樋口家住宅で時間切れとなりました。
宝の山のような武家屋敷町。
まだまだ、歩いてみたいところが
たくさんあり、心魅かれましたが、
「長野は近いから、また来ればいいよね。」
と話し合いながら、帰路につきました。
ようやく東京に戻ってきて、ほっとしています。
とはいうものの、早くも、
4月の旅が目前にせまっています。(アホ😅)
今度こそ、ホテルでのんびりと過ごすつもりです。
(たぶんムリ。😂😂)