MIYO'S WEBSITE - 全盲難聴のんたんの記録と卵巣ガン、そして旅日記。

超未熟児で生まれた後遺症で、全盲難聴(盲ろう)となったのんたん、双子の妹あみちゃんと共に楽しく生きる家族のお話です。
子どもたちは24歳になり、毎日元気に楽しく暮らしています。
卵巣ガンになって思ったことも、少しずつ書き始めました。
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コロナでもウポポイ3。札幌2週間ホテル暮らし 89 - 旧余市福原漁場② 米・味噌倉(2021年11月13日/11日め)

 

2021年11月13日 旧余市福原漁場で。米・味噌倉です。(北海道余市郡余市町)


11月13日(土)


旧余市福原漁場に来ています。
いちばん奥にある網倉を見たあとは、
左隣りにある、米・味噌倉に行きました。


米・味噌倉です。


【米・味噌倉】
平面積40坪の建物で、1880年(明治13年)の建築であると推定されています。ここでは、味噌、醤油、漬物などを収納していました。大切な食料を守るために、火を使う主屋から離して建ててあり、ネズミ対策などがなされています。
味噌は、当時、建網1か統につき2斗樽が5樽必要だったと言われています。醤油の必要量は不明ですが、漬物類は、明治33年の福原家の記録によると、
 漬物(たくあん)4斗樽(72リットル) 28
 鰊切込     2斗樽(36リットル) 6
 寿し鰊(糠鰊) 4斗樽(72リットル) 8
とあります。漁夫に食事を提供するために、大量の漬物を用意していたことがわかります。


倉には全部で4つの部屋がありました。もともとは米・味噌などのための倉でしたが、現在は、それぞれに異なるものを収納・展示しています。

入口に柵と金網があり、奥に入れないようになっているのですが、内部を見ることはできます。

ひとつめの部屋には、味噌、醤油、漬物などを保存した樽が置かれていました。これはMIYOが撮った写真。金網があるので、こんな写真になってしまうのですが…、

夫は、金網の隙間にレンズを合わせて、こんなのを撮っちゃいました。🤣🤣

右端に、水瓶や水樽が並んでいました。水樽には、船に積み込むための飲み水を入れました。

ふたつめの部屋には、「わら」や「わら製品」が収蔵されていました。明治時代の北海道では、稲作が普及していなかったので、「わら」や「わら製品」を入手するためには、北前船が本州から運んできたものを購入するしかなく、貴重品でした。

これまた、夫の苦心作。🤣🤣 除虫菊、鰊粕干し用筵、石モッコ、筵蓋…など、文字を見ているだけでもおもしろいでs。

右側には、白子干し用簾が見えます。

3つめの部屋です。昭和10年以降、ニシン漁が不振になりました。そのため、この漁場を経営していた川内家は、昭和22年ごろにニシン漁をあきらめ、農業に転向しました。この部屋には、その当時の農具の一部とニシン漁時代の道具の一部が収蔵されています。

またまた、夫が金網にへばりついて撮った写真です。笑 唐箕、鉄なべ、つば釜、石臼、籾摺り臼、蒸籠などの文字が見えます。

4つめの部屋には、米俵がぎっしりと積まれていました。(なんか、金網にピントが合ってしまって、米俵がぼけています。この金網、ほんとジャマです。😅😅)
漁場を経営するには、大量の米が必要でした。ニシン建網漁業の場合、一か統につき、年間白米28石(約70俵)が必要だったと言われています。川内漁場は2か統の経営だったので、毎年140俵前後の米を用意していたことになります。

ねずみ対策①:ねずみが蔵に入るのを防ぐために、蔵の入り口にはねずみ返しが取り付けられていました。

ねずみ対策②:ねずみが板壁に穴をあけないように、腰板の内壁と外壁の間に小砂利をいれてありました。

140年以上も前に建てられたとは思えないほど、しっかりした造りの倉でした。

この「米・味噌倉」を見ていて思い出したのが、旧青山家漁家住宅にあった、板倉」でした。板倉も、用途は同じです。「雑倉」とも呼ばれ、内部は、味噌倉、漬物倉、雑倉の3つに仕切られていました。(2021年11月6日 北海道札幌市・開拓の村)

この時の日記です。青山漁家住宅も、巨大で、たいへん興味深い建物群でした。
コロナでもウポポイ3。札幌2週間ホテル暮らし 47 - 北海道開拓の村⑲(旧青山家漁家住宅②文庫倉、石倉、板倉、米倉)/ Coke Onペイと今月のネイル(2021年11月6日/4日め) - MIYO'S WEBSITE - 全盲難聴のんたんの記録と卵巣ガン、そして旅日記。


次回は、納屋場に行きます。


(つづく)

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