MIYO'S WEBSITE - 全盲難聴のんたんの記録と卵巣ガン、そして旅日記。

超未熟児で生まれた後遺症で、全盲難聴(盲ろう)となったのんたん、双子の妹あみちゃんと共に楽しく生きる家族のお話です。
子どもたちは24歳になり、毎日元気に楽しく暮らしています。
卵巣ガンになって思ったことも、少しずつ書き始めました。
ベトナム日記は、
http://limings.muragon.com/tag/?q=2019%E5%B9%B49%E6%9C%88-10%E6%9C%88%E3%80%80%E3%83%99%E3%83%88%E3%83%8A%E3%83%A0&p=4 
をご覧ください。
ベトナム家族旅行:
https://limings.muragon.com/tag/?q=2017%E5%B9%B412%E6%9C%88%E3%80%80%E3%83%99%E3%83%88%E3%83%8A%E3%83%A0
小学生だったころの子どもたちの育児日記は、こちらです。
http://limings.sweet.coocan.jp/

コロナでも上州2。からっ風に吹かれて歩いた群馬 2泊3日の湯めぐり旅 7 - 群馬県庁昭和庁舎① / 金唐革紙、再び。(2023年1月16日/1日め)

2023年1月16日 群馬県庁昭和庁舎で。(群馬県前橋市)


1月16日(月)


美しかった群馬会館を後にしました。


群馬会館の左面と正面です。

正面側に並ぶ、八角形の窓も美しいですね。^^


この、群馬会館の正面を背にして、
通りの反対側を見ると、そこには、
群馬県庁昭和庁舎があります。


群馬県庁昭和庁舎です。(画像をお借りしました)


…のはずでしたが、残念ながら、
私たちが訪れたときには、
庁舎全体にシートがかけられていました。


現在、改修工事中なのだそうです。😅


【群馬県庁昭和庁舎】
1928年(昭和3年)に建設され、70年以上の永きにわたって「県庁の顔」として親しまれてきました。1階の外壁は擬石タイル張り、2、3階はスクラッチタイル張りで、昭和初期の典型的洋風建造物です。当時としては、関東近県で最も先進的な建築技術を駆使した建造物でした。今も、「昭和初期の香りを残す庁舎」として、県民に親しまれています。現在、館内は全館バリアフリーとなっており、車イスでも見学が可能です。


この群馬県庁昭和庁舎、
群馬会館とテイストが似ています。
それもそのはず、設計したのは、
同じ佐藤功一氏なのです。
そして、竣工したのは、
昭和庁舎の方が群馬会館よりも
2年早い、1928年です。


佐藤氏は、ほぼ同じ時期に、
このふたつの建造物を手掛けていたわけです。
(すごいです。^^)
そして、1996年、この群馬県庁昭和庁舎も、
群馬会館と共に、
国の登録有形文化財となりました。


群馬会館の職員の方からも、
「お向かいの昭和庁舎も、
 ぜひ見て行ってください。
 群馬会館と昭和庁舎のふたつは、
 対になってますからね。」
と言われていました。


そこで、群馬会館を出てからは、
迷うことなく、
昭和庁舎に向かって歩きました。笑


改修工事中で、シートで覆われていますが、内部を見学することはできます。まずは、アーチ型の門をくぐります。

次は、長方形の出入り口があります。

この出入り口の向こうが、内玄関になります。

見てください。この内玄関の美しいこと。^^

レリーフも、当時のままに残されています。


そして、この内玄関の扉の向こう側は…、


こうですよ。^^ こんな世界が今も残っているなんて…。^^

天井の装飾もすばらしいです。^^

雰囲気がありすぎて、もう言葉になりません。

正面の階段も、どっしりとした質感があります。

この昭和庁舎は、2023年1月13日に公開されたばかりの映画「イチケイのカラス」で、撮影に使用されたそうです。

撮影時の様子です。

このエントランスが映画の中でどんなふうに描かれるのか、ぜひ見てみたいです。^^


このエントランスには、中央に階段があり、
その左右に通路が延びています。


これは左側の通路です。

そしてこれが右側です。


次回は、この通路を歩いてみます。


(つづく)


(おまけのお話)


前回の日記で、「金唐革紙」について
ご紹介しました。
金唐革紙については、群馬会館の中で、
詳細に説明してあったのですが、
長くなるので、前回は割愛しました。
ここで、それについて掲載しますので、
興味のある方はご参照ください。


【金唐革紙】
厚手の和紙に金属箔を貼り、版木棒にあてて凸凹模様を打ち出し、彩色を施したものです。さまざまな模様・色彩のものがあり、現代では、工芸品として扱われるほど高級品となっています。
群馬会館の設立当初、ホールは窓に面していたため、自然光のゆらぎによる金属箔の色の変化や、模様が浮き出たような立体感などが楽しめました。時間と共に表情を変える色彩の美しさは、圧倒的な存在感であったと考えられます。


【金唐革紙の歴史】
①もともとは、革に型押しして彩色されたもので、ヨーロッパの宮殿などの天井や壁で使われていました。日本では、明治時代に革から和紙に置き換え、金唐革紙として製造が始まりました。
②明治9年、ウィーンの万国博覧会に出品すると、ヨーロッパで賞賛を集めました。その結果、大蔵省印刷局が輸出用として製造し、官営工場まででき、日本の芸術輸出産業として大いに人気を博した時代がありました。国内でも、近代建築物の壁紙として、鹿鳴館や国会議事堂など、多くの洋館に使用されました。
③その後、海外で機械製による壁紙が作られるなど、新技術の登場や需要の減少によってしだいに衰退していきました。そしれ1962年(昭和37年)には、最後の製造所が閉鎖されました。


【金唐革紙の製作過程】


現在も残る金唐革紙の例です。
「草花と昆虫」(呉市入船山記念館・重要文化財)
広島県呉市、旧呉鎮守府指令長官官舎の洋館客室に貼られています。1996年(平成8年)の修復工事で復元されました。牡丹、百合、菊などの花とともにチョウやバッタなどの昆虫も描かれています。    
     

×

非ログインユーザーとして返信する