MIYO'S WEBSITE - 全盲難聴のんたんの記録と卵巣ガン、そして旅日記。

超未熟児で生まれた後遺症で、全盲難聴(盲ろう)となったのんたん、双子の妹あみちゃんと共に楽しく生きる家族のお話です。
子どもたちは24歳になり、毎日元気に楽しく暮らしています。
卵巣ガンになって思ったことも、少しずつ書き始めました。
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をご覧ください。
ベトナム家族旅行:
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小学生だったころの子どもたちの育児日記は、こちらです。
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コロナでもウポポイ3。札幌2週間ホテル暮らし 84 - 天空へ続く道 - 火口原展望台と有珠外輪山遊歩道 / 山口かほるさんの個展(2021年11月12日/10日め)

2021年11月12日 有珠山火口原展望台に向かって歩きました。(北海道有珠郡壮瞥町)


11月12日(金)


Mt.USUテラスから、
ロープウェイの「頂上駅」まで戻り、
そこからさらに、
火口原展望台に向かって歩きました。


大有珠の、ごつごつとした岩が続きます。

もう…。どうしてこんな写真を撮りたがるんでしょうね…。😔😔


火口原展望台までの道は
きれいに整備されているのですが、
その大部分が階段です。
その階段を、ひたすら上がります。
約600段。
ちょっとたいへんでしたが、
時間にすれば、ほんの30分くらい。
そして、その苦労に見合った
ご褒美がもらえます。


この景色です。ここからだと、洞爺湖と昭和新山がきれいに写真におさまります。^^

そして、有珠山火口原展望台に到着。

「ここまでがんばったよ!^^」

柵の向こう側に広がる、銀沼大火口。ここで噴火があったことがうかがえる景色です。そしてその向こうには、海が見えました。

噴火湾です。海の向こうにうっすらと見えている山は、駒ヶ岳。

火口原展望台の全体写真です。
写真の左から、駒ヶ岳、噴火湾、銀沼大火口、小有珠、有珠新山、大有珠が並んでいます。


【洞爺湖有珠山ジオパーク 火口原展望台】
有珠山の南東外輪山にあたるところです。1663年の噴火で南外輪山が生まれ、その後の噴火で小有珠、大有珠、おがり山が誕生しました。その後、1977年の噴火が起こるまで、この火口原は森林に覆われ、牛たちが草をはみ、静かな銀沼のほとりに子どもたちの歓声が響いていました。

ところが、1977年から1978年の噴火で、森林や植生は破壊され、銀沼は火口に変身しました。有珠新山の隆起断層はおがり山を分割し、地震を起こしながら、北側を約180mも押し上げました。一方、小有珠や大有珠南部は約70mも沈みました。三分割されたおがり山の驚異の大変動は、以下の写真で見ることができます。


KUと記された山(小有珠)が、年月と共にどんどん沈んでいきます。約20年で地形がすっかり変わったことがわかります。

「火口原展望台」というパネルの後ろにそびえているのは…、

有珠新山の大有珠です。

これも大有珠です。やはり、こんなふうに人がいっしょに写っていないと、大きさがなかなか伝わりませんね。^^

このときにMIYOが撮っていた写真です。火口原展望台からだと、洞爺湖と昭和新山がこんな風に見えます。

洞爺湖もすてきですが、はるかに続く山々の美しさにも感動しました。

そして、展望台の反対側には、金色に輝く噴火湾が…。北海道、ほんとにすごいです。

ここまでで、①から③を歩いてきました。

ふと見ると、案内パネルには、「有珠山外輪山遊歩道入口」と書いてあります。え? ここから階段を降りる? リュックを背負ってステッキ持ってる人の絵が描いてある…?


大きな勘違いをしていたようです。
ここまで、「遊歩道」を
歩いていたつもりだったのですが、
それはまちがいでした。
単に、「火口原展望台」までの道を
歩いていただけだったのです。😂😂


み「あのさ、外輪山遊歩道って、
  ここから始まるの?」
夫「まあ、そうみたいだね。」
み「で、その遊歩道も、
  ずっと歩いてみるつもり?」
夫「…できれば。」


いらっときました。😟
上の案内図をよく見ると、
「片道45分」
と書いてあるではありませんか。


み「往復で1時間半だよね。
  それ、わかってる?
  今、12時半だから、
  少しも休まず歩き続けたとしても、
  ここに戻ってくるのは午後2時だよね。
  ロープウェイで地上まで降りたら、
  2時半だよね?
  それで、今日のお昼ごはんは
  何時に食べるつもりなの?


夫は旅行をしていると、いつも、
時間を忘れて突っ走ります。
その結果、食事時間については、
MIYOが常にチェックをしていないと、
「夜討ち朝駆け、ごはん抜き
を、平気でさせられます。


特に腹が立つのは、
食事を忘れて歩き回ることです。
そのため、夫と旅行していると、
お昼ごはんが夕方になってしまう
ということすらあります。


忘れもしない、2016年のマカオ旅行。
夫は一日中、マカオ市内の
観光スポットを延々と歩き続けたのです。
業を煮やした私に言われて、
食事していないことに気がつき、
ようやく食べたランチの時間は、
夕方5時でした。😔😔


ごはんも食べずに旅行した(させられた)マカオ旅行。珠海からさらに内陸にある、開平(カイピン)まで行き、古いお屋敷めぐりをしました。まるで要塞のようだった、碉楼と。(2016年3月20日)

コロナでもウポポイ3。札幌2週間ホテル暮らし 22 - 豊平館③ / 開平のエッグタルト(2021年11月5日/3日め) - MIYO'S WEBSITE - 全盲難聴のんたんの記録と卵巣ガン、そして旅日記。



【開平(中国広東省江門市)
かつて海外で財を成した華僑が中国に帰ってきた時に、盗賊や水害から財産を守るために、一風変わった建物を建てました。これを碉楼(ディアオロウ)と呼びます。

碉楼にはいくつか種類があり、見張りの塔、盗賊を追い返すとりで、人の住む居住用などに分かれています。これらには、中国、西洋、古代ギリシャ、古代ローマ、イスラムなど、当時のカッコいい要素がふんだんに盛り込まれており、多様性に富んだ建物となりました。
開平には、こうした碉楼が1833棟残っており、そのうちの幾つかが世界遺産として登録されています。


話を、有珠山に戻します。笑
このときも、危うく、
「お昼ごはん抜きで90分の行軍」
をさせられるところでした。


「もう、いいかげんにしなさいよ!
 遊歩道を歩きたいんだったら、
 ロープウェイに乗る前に、
 先にごはんを食べるべき
 だったんじゃないのっ?!」


と、MIYOが怒り始めたところで、
夫も我に帰ったようです。(←アホ)


…ということで、
外輪山遊歩道を歩くのはあきらめて、
下山することにしました。
MIYOも、遊歩道を歩いてみたい気持ちが
なかったわけではありません。
でも、お昼過ぎだというのに、さらに、
食事抜きで90分のトレッキング
というのは、あまりにひどすぎます。😅


「あなたは、脳の中に旅行しかないから、
 食事抜きでも気にならないんだろうけど、
 私は違うから。
 旅行は楽しく、だからね。
 『難行苦行』とか『修行』のために、
 旅行しているわけじゃないんだからね。」
と、何十回も言っているのですが、
いざ、旅を始めると、
夫は往々にして、これを忘れてしまいます。


MIYOが望んでいるのは、単に、
「お昼ごはんは12時とか13時とか、
 フツーの時間に食べたい。」
って、ただそれだけなんですけどね…。
多動夫と旅行すると、そんな簡単なことが、
ケンカ腰にならないとできないのでした。


(つづく)


(お知らせ)


今年も、山口かほるさんから個展の案内状をいただきました。有楽町のギャラリー「龍の屋」で、2月13日から18日まで開催されます(無料)。

【山口 かほる】
 1950年5月生まれ。
生後3ヶ月で脳性マヒと診断される。
10歳の時に兄嫁から絵を習い、口で描くことを始めた。
14歳で入所した施設では、4時に起き、両手が使えないから、時間をかけて朝食を自分で食べ、学校へ行った。やがて宗教に出会い、心の救いと友人を得、忍耐を学んだ。
絵画は、16年間研究所に通い、学習を重ねた。初めは口で描いたが、長年酷使した体のためにとの助言に沿い、現在は足で描いている。個展の開催多数。

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