コロナでもウポポイ3。札幌2週間ホテル暮らし 84 - 天空へ続く道 - 火口原展望台と有珠外輪山遊歩道 / 山口かほるさんの個展(2021年11月12日/10日め)
(2023/01/15 16:05記)
2021年11月12日 有珠山火口原展望台に向かって歩きました。(北海道有珠郡壮瞥町)
11月12日(金)
Mt.USUテラスから、
ロープウェイの「頂上駅」まで戻り、
そこからさらに、
火口原展望台に向かって歩きました。
大有珠の、ごつごつとした岩が続きます。
もう…。どうしてこんな写真を撮りたがるんでしょうね…。😔😔
火口原展望台までの道は
きれいに整備されているのですが、
その大部分が階段です。
その階段を、ひたすら上がります。
約600段。
ちょっとたいへんでしたが、
時間にすれば、ほんの30分くらい。
そして、その苦労に見合った
ご褒美がもらえます。
この景色です。ここからだと、洞爺湖と昭和新山がきれいに写真におさまります。^^
そして、有珠山火口原展望台に到着。
「ここまでがんばったよ!^^」
柵の向こう側に広がる、銀沼大火口。ここで噴火があったことがうかがえる景色です。そしてその向こうには、海が見えました。
噴火湾です。海の向こうにうっすらと見えている山は、駒ヶ岳。
火口原展望台の全体写真です。
写真の左から、駒ヶ岳、噴火湾、銀沼大火口、小有珠、有珠新山、大有珠が並んでいます。
【洞爺湖有珠山ジオパーク 火口原展望台】
有珠山の南東外輪山にあたるところです。1663年の噴火で南外輪山が生まれ、その後の噴火で小有珠、大有珠、おがり山が誕生しました。その後、1977年の噴火が起こるまで、この火口原は森林に覆われ、牛たちが草をはみ、静かな銀沼のほとりに子どもたちの歓声が響いていました。
ところが、1977年から1978年の噴火で、森林や植生は破壊され、銀沼は火口に変身しました。有珠新山の隆起断層はおがり山を分割し、地震を起こしながら、北側を約180mも押し上げました。一方、小有珠や大有珠南部は約70mも沈みました。三分割されたおがり山の驚異の大変動は、以下の写真で見ることができます。
KUと記された山(小有珠)が、年月と共にどんどん沈んでいきます。約20年で地形がすっかり変わったことがわかります。
「火口原展望台」というパネルの後ろにそびえているのは…、
有珠新山の大有珠です。
これも大有珠です。やはり、こんなふうに人がいっしょに写っていないと、大きさがなかなか伝わりませんね。^^
このときにMIYOが撮っていた写真です。火口原展望台からだと、洞爺湖と昭和新山がこんな風に見えます。
洞爺湖もすてきですが、はるかに続く山々の美しさにも感動しました。
そして、展望台の反対側には、金色に輝く噴火湾が…。北海道、ほんとにすごいです。
ここまでで、①から③を歩いてきました。
ふと見ると、案内パネルには、「有珠山外輪山遊歩道入口」と書いてあります。え? ここから階段を降りる? リュックを背負ってステッキ持ってる人の絵が描いてある…?
大きな勘違いをしていたようです。
ここまで、「遊歩道」を
歩いていたつもりだったのですが、
それはまちがいでした。
単に、「火口原展望台」までの道を
歩いていただけだったのです。😂😂
み「あのさ、外輪山遊歩道って、
ここから始まるの?」
夫「まあ、そうみたいだね。」
み「で、その遊歩道も、
ずっと歩いてみるつもり?」
夫「…できれば。」
いらっときました。😟
上の案内図をよく見ると、
「片道45分」
と書いてあるではありませんか。
み「往復で1時間半だよね。
それ、わかってる?
今、12時半だから、
少しも休まず歩き続けたとしても、
ここに戻ってくるのは午後2時だよね。
ロープウェイで地上まで降りたら、
2時半だよね?
それで、今日のお昼ごはんは
何時に食べるつもりなの?」
夫は旅行をしていると、いつも、
時間を忘れて突っ走ります。
その結果、食事時間については、
MIYOが常にチェックをしていないと、
「夜討ち朝駆け、ごはん抜き」
を、平気でさせられます。
特に腹が立つのは、
食事を忘れて歩き回ることです。
そのため、夫と旅行していると、
お昼ごはんが夕方になってしまう
ということすらあります。
忘れもしない、2016年のマカオ旅行。
夫は一日中、マカオ市内の
観光スポットを延々と歩き続けたのです。
業を煮やした私に言われて、
食事していないことに気がつき、
ようやく食べたランチの時間は、
夕方5時でした。😔😔
ごはんも食べずに旅行した(させられた)マカオ旅行。珠海からさらに内陸にある、開平(カイピン)まで行き、古いお屋敷めぐりをしました。まるで要塞のようだった、碉楼と。(2016年3月20日)
【開平(中国広東省江門市)】
かつて海外で財を成した華僑が中国に帰ってきた時に、盗賊や水害から財産を守るために、一風変わった建物を建てました。これを碉楼(ディアオロウ)と呼びます。
碉楼にはいくつか種類があり、見張りの塔、盗賊を追い返すとりで、人の住む居住用などに分かれています。これらには、中国、西洋、古代ギリシャ、古代ローマ、イスラムなど、当時のカッコいい要素がふんだんに盛り込まれており、多様性に富んだ建物となりました。
開平には、こうした碉楼が1833棟残っており、そのうちの幾つかが世界遺産として登録されています。
話を、有珠山に戻します。笑
このときも、危うく、
「お昼ごはん抜きで90分の行軍」
をさせられるところでした。
「もう、いいかげんにしなさいよ!
遊歩道を歩きたいんだったら、
ロープウェイに乗る前に、
先にごはんを食べるべき
だったんじゃないのっ?!」
と、MIYOが怒り始めたところで、
夫も我に帰ったようです。(←アホ)
…ということで、
外輪山遊歩道を歩くのはあきらめて、
下山することにしました。
MIYOも、遊歩道を歩いてみたい気持ちが
なかったわけではありません。
でも、お昼過ぎだというのに、さらに、
食事抜きで90分のトレッキング
というのは、あまりにひどすぎます。😅
「あなたは、脳の中に旅行しかないから、
食事抜きでも気にならないんだろうけど、
私は違うから。
旅行は楽しく、だからね。
『難行苦行』とか『修行』のために、
旅行しているわけじゃないんだからね。」
と、何十回も言っているのですが、
いざ、旅を始めると、
夫は往々にして、これを忘れてしまいます。
MIYOが望んでいるのは、単に、
「お昼ごはんは12時とか13時とか、
フツーの時間に食べたい。」
って、ただそれだけなんですけどね…。
多動夫と旅行すると、そんな簡単なことが、
ケンカ腰にならないとできないのでした。
(つづく)
(お知らせ)
今年も、山口かほるさんから個展の案内状をいただきました。有楽町のギャラリー「龍の屋」で、2月13日から18日まで開催されます(無料)。
【山口 かほる】
1950年5月生まれ。生後3ヶ月で脳性マヒと診断される。
10歳の時に兄嫁から絵を習い、口で描くことを始めた。
14歳で入所した施設では、4時に起き、両手が使えないから、時間をかけて朝食を自分で食べ、学校へ行った。やがて宗教に出会い、心の救いと友人を得、忍耐を学んだ。
絵画は、16年間研究所に通い、学習を重ねた。初めは口で描いたが、長年酷使した体のためにとの助言に沿い、現在は足で描いている。個展の開催多数。