MIYO'S WEBSITE - 全盲難聴のんたんの記録と卵巣ガン、そして旅日記。

超未熟児で生まれた後遺症で、全盲難聴(盲ろう)となったのんたん、双子の妹あみちゃんと共に楽しく生きる家族のお話です。
子どもたちは24歳になり、毎日元気に楽しく暮らしています。
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コロナでもウポポイ3。札幌2週間ホテル暮らし 80 - 三松正夫が愛した昭和新山(2021年11月12日/10日め)

2021年11月12日 昭和新山で。(北海道有珠郡壮瞥町)


11月12日(金)


夫にせかされて、
有珠山サービスエリアを出発しました。


山々の紅葉がきれいでした。^^

冬になる前の、最後の紅葉に見送られながら出発。

そこから車で20分くらい走り、本日の目的地「昭和新山」に到着しました。写真中央のお山が、昭和新山です。ここはかつて、麦畑だったそうです。


【昭和新山】
北海道有珠郡壮瞥町にある火山です。1944年(昭和19年)に始まった噴火活動で隆起しました。当時は太平洋戦争下でしたが、壮瞥(そうべつ)郵便局長だった三松正夫が、観測記録(ミマツダイヤグラム)を残しました。昭和新山は私有地で、2022年時点では、三松正夫の孫娘と結婚した三松正夫記念館館長の三松三朗が所有者です。

支笏洞爺国立公園内にあり、国の特別天然記念物に指定されています。また、有珠山とともに日本の地質百選に選定され、その周辺地域は、洞爺湖有珠山ジオパークとして「日本ジオパーク」「世界ジオパーク」に認定されています。


1944年1月に噴火が始まり、その活動は、1945年9月に停止しました。そのときに隆起してできた溶岩ドームが、この昭和新山です。

新山の麓には、三松正夫氏の銅像が置かれています。台座に刻まれた銘は「麦圃生山」。「圃(ほ)」とは畑のことで、麦畑が山を生み出した、という意味です。自然のエネルギーが、想像も及ばないほど大きな底力を持って、山を作ったことを伝えています。

トランシットという専門の測量計を使って、地表変動を測量している三松正夫氏の銅像です。


【三松正夫(1888-1977)
地元の郵便局長であった三松正夫は、新山が成長していく詳細な観察記録を作成しました。その記録は、後に「ミマツダイヤグラム」と命名され、貴重な資料として評価されました。これは、火山の形成過程を人類が詳細に記録した、唯一の例です。
その後三松は、この世界的に貴重な火山の保護し、家や農場を失った住民の生活を支援するために、山になってしまった土地を買い取りました。そのため、昭和新山は三松家の私有地であり、ニュージーランドのホワイト島等と同じく、世界でも珍しい私有地にある火山となっています。1951年(昭和26年)、国の天然記念物に指定され、1957年(昭和32年)には特別天然記念物に指定されました。
当時、三松が購入した価格は、28000円でした。これは、現在の価値で1200万円くらいになるようです。耕作できるわけでもない、再噴火するかもしれない山を買うために、彼は、先祖伝来の土地を手放します。このときの気持ちについて、後に彼は、こう語っています。
「新山は、私の分身に近かったのかもしれません。誕生を見守ってきた私には、わが子であったのかもしれません。私はふたりの息子を病で失っており、その悲しみを忘れようと打ちこんだ新山です。この山はふたりの子どもの生まれかわりなのだという気持ちがありました。」
そんな夫の心情を、妻のつるさんもよくわかっていました。
「ここまで打ちこんだことだし、あなたの好きなようにすればよいでしょう」
と答えたそうです。
正夫の没後、昭和新山の山麓に、三松正夫記念館が建設されました。この記念館では、三松による観測記録の資料を展示しており、2021年の日本火山学会普及啓発賞を受賞しています。館長の三松三朗は、大学在学中、正夫の研究活動に感銘を受けて面会を求め、後に正夫の孫娘と結婚しました。


自然災害を数々体験し、
昭和新山の観測と保護に生涯をかけた
三松正夫。
その彼が愛した昭和新山を、今、
正夫の二代目として、
三松三朗氏が見守り続けています。


わずか2年で、のどかな麦畑から「昭和新山」が誕生しました。

ピラミッド状に隆起した溶岩ドームは、世界的にも珍しいベロニーテ火山です。

これは、このあとに登った有珠山から見下ろした昭和新山です。こんな山が2年でできてしまうなんて、すごいというよりも恐ろしいような気がしました。この山を、三松正夫氏は、避難することもなく観測し続けたことに驚きます。

駐車場に車を停めました。ここから、有珠山ロープウェイに向かって歩きます。

駐車場に沿って、何軒ものお土産物屋や飲食店が並んでいるのですが、そのほとんどは閉まったままでした。コロナ禍で、ここを訪れる人もほとんどいないようです。

一軒だけ開いていた、木彫りのお店。

40年前、初めて北海道に来た頃、北海道のお土産っていうと、こういうのばかりだったような気がします。^^

昭和新山パークサービスセンター。新山についての資料が展示されており、休憩所にもなっています。が、人影はなく、利用者は私たちふたりだけでした。


コロナが収束し、ここにもまた、
多くの観光客が訪れる日が来ることを
願いながら、人通りのない通路を、
夫とふたりで歩きました。


この先に、有珠山ロープウェイの乗り場があります。


次回は、ロープウェイに乗って、
有珠山を歩きます。


(つづく)

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