MIYO'S WEBSITE - 全盲難聴のんたんの記録と卵巣ガン、そして旅日記。

超未熟児で生まれた後遺症で、全盲難聴(盲ろう)となったのんたん、双子の妹あみちゃんと共に楽しく生きる家族のお話です。
子どもたちは24歳になり、毎日元気に楽しく暮らしています。
卵巣ガンになって思ったことも、少しずつ書き始めました。
ベトナム日記は、
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をご覧ください。
ベトナム家族旅行:
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小学生だったころの子どもたちの育児日記は、こちらです。
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コロナでもマシュキニ。増毛から留萌へ、ニシンの千石場所を歩く 1 - あいろーど厚田と秋田藩増毛元陣屋跡①(2022年6月19日/3日め)

(2022/07/27 17:15記)

2022年6月19日 石狩湾の美しい景色を楽しみながら、にしん街道を北上しました。(北海道石狩市)


新潟から戻りました。
今回は、苗場から新発田まで、いくつもの豪農の館を、訪ねて歩きました。
新潟は、何回行っても、すばらしいです。^^
お米もお魚も、そしてもちろんお酒がおいしくて、
もうそれだけで文句なし。笑
帰ってきたばかりなのに、またすぐに戻りたい気持ちです。^^
今回は、長女もいっしょに3人で旅行しました。
夫が運転し、少しだけ、長女が交替。
マイカーで行ったので、かかったのは宿泊費だけでした。
それも、ポイントを駆使したので、全部で16000円しか払っていません。
3泊4日、3人で16000円。ひとり5300円くらいですね。😄
旅行費用は安かったんですけどね…。😅
我が家では、やっぱり今回も、一番高かったのは酒代でした。笑


6月19日(日)


前回の日記で、
「北海道増毛町 魚鮮水産 すすきの店」
という居酒屋に行ったことを書きました。
ここで増毛町の話が出たので、この際、
増毛町に行ったときの日記も
書いておこうと思います。


昨年の秋ごろから、夫は、
「増毛町に行きたい。」
と何度も言っていました。
その気持ちはどんどん強くなり、
結局、今年6月の北海道旅行では、
増毛町にまで行ってしまったわけです。
夫だけでなく、もちろん私も、
増毛町に行くのをかなり楽しみにしていました。
(いちばん楽しみだったのは、星野リゾートでしたが。笑)


ということで、今回から、
増毛町の旅日記を連載いたします。
(順番が前後してしまいましたが、
 増毛町に行ったのは、旅の3日め。
 星野リゾート 界 ポロトに行ったのは、
 その翌日のことになります。)


タイトルになっている
「マシュキニ」
というのは、アイヌ語で、
「カモメの多いところ」
という意味だそうです。
この「マシュキニ」という言葉から、
「増毛(ましけ)」という、
ちょっとユーモラスな町名ができました。


さて、本日の旅のスタートです。
朝7時に札幌のホテルを出て、
夫の運転で、北へ、北へ。
今回は、にしん街道を北上します。


【にしん街道】
にしん街道は、北海道・松前町~稚内市まで、日本海沿岸約700kmの30市町村全域を含みます。
にしん漁によって繁栄した北海道日本海沿岸地域の伝統を活かし、にしんに関連する食文化、歴史的建造物、伝統芸能を活用して、広域的な観光ルートとして開発したのが「にしん街道」です。沿岸の各地域が官民連携して取り組むことにより、新たな観光資源としての定着化を図っています。


つまり、「にしん街道」というのは、
歴史的建造物の宝庫なのです。


にしん街道を含むエリアです。


順にご説明しますと…。


赤のエリア
 横山家(2022年4月16日)
 旧中村家住宅(同)
 旧関川家別荘(同)
黄のエリア
 にしん御殿 小樽貴賓館(2021年6月28日)
 茨木家中出張番屋(2022年6月18日)


…と、これまでに、ほぼ一年かけ、
3回に分けて、にしん街道を歩いてきました。
ということで、今回は、青のエリアです。


青のエリアでは、
 おびら鰊番屋
 旧商家丸一本間家
をめざします。


これで、「にしん街道」のすべてのエリアを
訪れたことになるのですが、
じゃあ制覇したのかというと、
全然そんなことはなく。😅
街道沿いには、まだまだ、
たくさんの歴史的建造物が建ち並んでいます。


まだ訪れていないところについては、
今後の旅で、
たぶん気長に歩いてまわるんじゃないかな、
と想像しています。
何回来ようと、北海道への興味は尽きません。


夫の運転する車で、石狩湾をひた走りました。

この海沿いをぐるりと走りながら北上します。

8時40分、石狩市厚田区に到着。ニシン漁が盛んだったころは、たいへんな賑わいを見せた町でした。ちなみに、右側に写っている楕円形のエリアは、防波ブロックに囲まれた「厚田海浜プール」だそうです。海水を利用した、天然プールなんでしょうか。😮

にしん街道の案内パネルと共に、石狩湾を臨みました。


【石狩市厚田区】(パネルより)より)
1840年(天保11年)以降に、増毛、天塩、宗谷方面に和人の出稼ぎが許可されるようになりましたが、それまでは、厚田は西蝦夷地の北限でした。
やがて、ニシンの北上と共に、松前、江差方面の漁夫も北上します。松浦武四郎の「西蝦夷日記」によれば、訪れる和人は一万人もいたとされています。押琴の泊は、弁財船(千石船、北前船ともいいます)が30隻も停泊できる良港で、運上屋も建てられました。当時、このあたり(古潭、押琴一帯)は、たいへんな賑わいを見せたといわれています。


この、美しい海岸を見渡せる絶好の場所に、道の駅があります。

道の駅 石狩 「あいろーど厚田」です。最上階の展望フロアは、日本海を一望する、石狩屈指の絶景スポット。夕暮れ時には、夕日が日本海を染めながら水平線に向かって沈んでいく、数分間の感動体験ができるそうです。

残念ながらこのときは、朝早すぎて、まだオープンしていませんでした。笑

しかたなく、さけ太郎とさけ子の自販機の写真だけを撮って、先を急ぎます。😅


10時、めざす増毛町に到着しました。


まずは、秋田藩増毛元陣屋跡に向かいます。

この場所は現在、増毛町の総合交流促進施設「元陣屋」になっています。そのため、観光関連のパンフを置いてあるだろうと考え、行ってみることにしました。

ここが入口です。内部には、郷土資料展示室や図書室、映像体験施設などがあり、広くて立派な施設でした。


【秋田藩増毛元陣屋跡】
幕末、「ペリーの黒船来航」「和人の漁場が樺太まで拡大」「ロシア船が樺太のクシュンコタンを占拠」などといった事件が起こったことにより、幕府は、北方警備の必要があると判断しました。そのため、1855年(安政2年)、蝦夷地(北海道)各地は幕府の直轄となりました。幕府の命で、東北6藩が警備と開拓に赴き、各地に陣屋を建設することになります。
幕府から増毛での北方警備を命じられたのは、秋田藩でした。それにより、翌年、侍の詰め所として、この地に元陣屋が建てられました。
この元陣屋の建物は残っていませんが、平成8年、当時の陣屋跡地に「総合交流促進施設」が作られ、その名称を「元陣屋」としています。元陣屋の「元」は拠点という意味です。

秋田藩は、宗谷と樺太にも陣屋を築いて警備にあたりましたが、こちらは「出張(デバリ)陣屋」と呼ばれ、夏の間だけの警備を行い、冬の間は増毛に戻ってきて越冬することになっていました。
増毛の元陣屋を中心とした、秋田藩の警備と開拓は、足かけ12年続きました。実際にロシアと交戦する機会はありませんでしたが、建物は非常に簡素なつくりであったため、冬の間には多くの凍死者や病死者が出ました。
病気の原因の多くは、冬季間の野菜不足による水腫病(現在の壊血病)と言われています。多い年では、一冬で30名以上が病気で命を落としています。彼等にとって一番恐ろしかったのは、ロシア軍よりも北海道の厳しい寒さだったのかもしれません。

慶応3年、秋田藩の土地引き揚げにより、増毛は函館奉行の領地となりました。後年、この陣屋は、山口藩増毛出張所役人の住居として利用され、明治30年ごろまで、陣屋としての建物が残っていました。


総建坪1160坪、平屋建28棟からなる、広大な陣屋でした。周辺には濠を構築していました。陣屋内部の部屋数は126余、他に、附属建物10棟があり、外には侍屋敷28軒、足軽長屋75棟を建造しています。士分の従僕、小物、諸職の長屋をも作事していました。

この2日後、「白老仙台藩陣屋跡」を訪ねたときの日記はこちらです。


元陣屋の入場料は400円ですが、「旧商家丸一本間家」の200円割引券がついています。右下にあるのはスタンプカードです。こんなのもらったら、また「全部行かなくちゃ」ってがんばってしまうんですけど…。😅


入場料を払うと、そのまま、
映像ルームに案内され、
5分ほどの映画を見せていただきました。
観客は私たちふたりだけしか
いないんですけどね…。😅


まずはこの映画で、
秋田藩増毛元陣屋について、
概要を教わります。


秋田藩は、増毛に元陣屋を置き、さらに宗谷と樺太にも出張番屋を築きました。


白老仙台藩の人々もたいへんでしたが、
秋田藩増毛元陣屋の人々の苦労も、
筆舌に尽くせないものであっただろうと、
想像していると、胸が苦しくなりました。


映画が終わり、いよいよ、館内を見学します。
(こんなことをやってるから、私たちの旅は、
いつも時間が足りないんですよね。😅)


もっこを背負ってニシンを運ぶ女性像。その向こうに、建物が見えます。

なんとこの施設では、内部に、在りし日の秋田藩増毛元陣屋を再現した建物を作っていました!

再現された元陣屋の左側です。

そして右側です。大きすぎて、一枚におさまりません。笑

それでは、中に入ってみます。


にしん街道で、ニシンに関連して、
歴史的建造物を訪ねて歩くつもりでしたが、
またまた、寄り道しています。
また、こんどの日記も、
長くなってしまいそうですね…。
(スミマセン)


(つづく)

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