MIYO'S WEBSITE - 全盲難聴のんたんの記録と卵巣ガン、そして旅日記。

超未熟児で生まれた後遺症で、全盲難聴(盲ろう)となったのんたん、双子の妹あみちゃんと共に楽しく生きる家族のお話です。
子どもたちは24歳になり、毎日元気に楽しく暮らしています。
卵巣ガンになって思ったことも、少しずつ書き始めました。
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コロナでもウポポイ3。札幌2週間ホテル暮らし 51 - 北海道開拓の村㉓(旧福士家住宅、旧開拓使爾志通洋造家(白官舎)、旧手宮駅長官舎)/ Suicaで1000円もうかった話(2021年11月6日/4日め)

2021年11月6日 北海道開拓の村で。青い空に木立ちが映えるさまは美しく、見ているだけで清々しい気持ちになりました。(北海道札幌市)


11月6日(土)


残すところ、あと3か所になりました。
閉館時間(16時半)までには、
なんとか間に合いそうです。^^


旧福士家住宅です。とうとう、門灯が灯ってしまいました。あせります。😅


【旧福士家住宅】
明治前期に建てられた洋風建築と、明治後期に建てられた和風住宅が接続する、和洋折衷の特異な建物です。福士成豊が、明治半ばから大正11年まで居住した建物です。
正面は洋風木造、平屋建てですが、その後ろに、和風木造、平屋宛て(一部小屋裏中2階)の住宅分を接続してあります。西洋下見板張り、上げ下げガラス窓付きの家屋は、明治前期の洋風建築の特色をよく残しており、札幌病院の診察室であったとも言われています。和風住宅部分には、増改築の跡が見られます。
洋風部分では、福士成豊の業績を紹介しており、和風部分には、明治から大正期の生活を展示しています。


洋風建築の部分です。30畳くらいの広い洋室で、福士成豊の業績に関する資料が展示されています。


【福士成豊(1838年~1922年)
船大工、通訳、測量技師、気象観測者で、日本の近代化に尽くした人物のひとりでした。同志社大学の創立者・新島襄のアメリカ密航を手伝い、日本人で初めて気象観測を行った人物です。幼名「卯之吉」・「宇之吉」、通称「五郎」。ポーター商会時代には「富士屋卯之吉」とも名乗りました。幕末から明治期にかけて、造船・通訳・測量・気象観測などの広い分野で活躍し、北海道開拓に貢献しました。
1875年(明治8年)から1922年(大正11年)の死去までを、札幌で暮らしました。仕事面や公的な生活においては、早くから欧米文化を見につけていました。しかし、私的生活においては、この家屋に見られるように、和風を基調とし、それに欧米の生活文化の一部を加えていくという生活をしています。当時の札幌などの都市部で定着しつつあった、和洋折衷型生活様式の典型的な例となっています。


洋室の奥にある生活エリアは、和風の設えです。8畳の和室がふたつ続き、その奥に台所と居間がありました。

ゴールデンカムイ第8巻では、こんなふうに描かれています。間取だけでなく、火鉢やテーブル、茶器の形状までがぴったり一致しています。

居間です。ここは板の間になっていて、奥に台所も見えます。台所の右にあるのは裏玄関で、さらにその隣りは風呂場でした。

台所です。


【札幌の台所と食生活】(説明パネルより)
明治中期までの札幌の一般的な食事は、飯、味噌汁、漬物に魚や野菜の煮付けといったもので、台所用具も鉄鍋、釜、水がめ、かまどなど、本州とあまり変わらないものでした。しかし、明治初期に開拓使が洋食を奨励したことから、その一部が受け継がれ、明治後期からは、トマト、キャベツなどの西洋野菜や肉、さらにバターなど、乳酪製品を用いる料理が次第に普及しました。一般家庭でフライパン、西洋皿、スプーンなどを使い始めたのも、この頃からでした。


旧福士家住宅を出ました。この方向からだと、奥に接続している和風建築の部分も見えますね。さらに奥に見えているのは、隣りの通りに建つ、旧小樽新聞社です。すばらしい建物に囲まれながら、夕陽と競争するかのように、次の家屋へと走ります。

あとふたつになりました。旧開拓使爾志通洋造家(白官舎)です。

ゴールデンカムイ第7巻で、アシリパたちに熊の駆除を依頼するエディー・ダンの自宅として登場します。


【旧開拓使爾志通洋造家(白官舎)】
1878年(明治11年)、開拓使の官舎として札幌市に建てられました。当時は、1棟2戸建ての建物が4棟並んでおり、完成後に順次払い下げられました。アメリカ中西部の建築様式を模範としており、外観は洋風ですが、内部は座流し・畳敷きなどの和風で、和洋折衷になっています。外観に白ペンキが塗られていたことが、俗称「白官舎」の由来です。
内部では、建物にちなんで、「開拓使の事業と明治年間の札幌」をテーマにしたて、以下の展示・紹介を行っています。
・1869年(明治2年)の設置から同15年に廃止されるまでの開拓使の気候や建築物・施設の建設事業
・廃止にともなう官有物払い下げ事件
・開拓使以降の北海道行政と官営事業
・行政の中心地となった札幌の街並みの変化


そして最後のスポット、旧手宮駅長官舎です。

ゴールデンカムイ第6巻では、茨戸分署長の江尻が務める茨戸分署として登場します。


【旧手宮駅長官舎】
1880年(明治13年)、北海道で初めての鉄道として、幌内鉄道が敷設されました。明治期の小樽港は、手宮を中心として、石炭や木材の積出港としてにぎわっていました。本州からの移住者は、その多くが、ここで幌内鉄道に乗り換え、札幌や奥地に向かいました。その小樽で、職員官舎として、1884年(明治17年)に建てられたのが、この建物です。骨組みや上げ下げ窓など外部の意匠に洋式の手法が用いられています。この官舎は、「手宮官舎5号」と呼ばれていたもので、同じ形式のものが6棟建てられていました。

建物は様式の技術で建てられたのですが、奥の台所(板の間)には炉を設け、上部には煙出しの窓があり、間取には、伝統的な和風の形式がうかがえます。


1階には、6畳と8畳の和室があります。このほかに、2階にも8畳の和室がありました。大正初期の駅長家族の生活を再現・展示しています。

6畳の和室なのですが、洋風の上げ下げ窓がついているところが、この時代らしいですね。

建物には様式の技術が用いられていますが、伝統的な和風の形は残っていて、奥の台所(板の間)には炉を設け、上部には煙出しの窓がありました。


これで…。
全スポットの見学を終え、
出入り口まで戻ってきました。


目の前にそびえる、旧開拓使札幌本庁舎。わずか5年で、火災で焼失した、悲劇の庁舎と言われています。

太陽が沈む前の、最後の光を受けて輝く姿が、目にしみるようでした。


旧開拓使札幌本庁舎に見とれて
立ちつくしていると、夫もやってきました。


「間に合ったね! 全部見られたね! ^^」
「ああ、どうにか間に合ったな…。」


あらためて、地図を見ました。


そして、愕然としました。
大変なことを忘れていました。
農村群エリアの旧信濃神社を、
まだ訪れていなかったのです。


痛恨の、旧信濃神社。😱😱


このすぐ近くまで、二回も行ったのに、
なぜかそのたびに、旧信濃神社だけ、
行きそびれてしまったのです。
その都度、「あとでまた行こうね」と
話し合っていたのですが、
その後の怒涛のような見学ラッシュの中、
すっかり忘れていました。


せっかく、全部行ったと思ったのに、
ダメでした…。
地図を見ながら、呆然とする、MIYO…。


「ねえ、今から行くのは、ムリかな。
 ムリだよね…。」
「あと7分しかないよ。ムリ。
 もう出入り口まで戻ってきてるのに、
 村のいちばん奥まで、行けるわけないじゃん。」


そのとおりです。


「いいよ、神社のひとつくらい。
 こんなにいっぱい見たんだし、
 見たいと思ってたところには、
 全部行ったし。
 オレはもう満足だよ。」


そう、ここは市街地群エリア。
馬車鉄道の始発地点です。
そして、旧信濃神社がある農村群エリアは、
馬車鉄道の終点。
7分で行って帰るなんて、ムリな話でした。


馬車鉄道の終点、農村群エリアのソーケシュオマベツ駅逓所です。旧信濃神社は、ここからさらに、山道を下ったところにありました。


あと少しで、完全制覇だったのに…。
残念で、残念で、
胸がしめつけられそうでした。


(つづく)


(おまけのお話)


先日、自販機にスマホをかざして
ドリンクを購入したお話を書きました。
すごい時代になったなあ、と思います。


自分がこんなことをする日が来るとは、
思ってもみなかったことが、
もうひとつありました。
モバイルSuicaです。(いまさらですが。笑)


今まで、特に必要性を感じなかったので、
使ったことがありませんでした。
でも、スマホを買い替えて、
「おサイフケータイ」なるものをいじっていたら、
なんとなく、モバイルSuicaができあがっていて、
プレゼントの300円も、
勝手にチャージされていました。笑
これがですね。
今、オトクなキャンペーンが多いんですよね…。笑


まずは楽天です。このキャンペーンは毎月開催しているそうです。


楽天ポイントで100円分チャージしたら、
100ポイントいただきました。
さらに、楽天ペイから1000円チャージしたら、
またも100ポイントいただきました。


極めつけは、au PAYのキャンペーン。


Suicaに3000円分チャージしたら、
500ポイント付与されるという、太っ腹企画です。
お金を右から左に移しただけで、
使ったわけでもないのに、
500円分がもらえるんです。笑
こんなことやってたら、あれよあれよという間に、
全部で1000円も、もうかってしまいました。爆


この際なので、
ラインペイのクレカからSuicaに、
10000円、チャージしてみました。
ラインペイのポイント還元率は2%。
Suicaで支払えば、0.5%のポイントがつきます。
モバイルSuicaで10000円分、
電車に乗ったり買い物したりするだけで、
合計2.5%(250円)が還元されることになります。


定期預金の金利がアホらしいくらいに低い今、
貯金するより、ポイ活した方が、
ずっとお金が貯まるんじゃないか、

と思うこのごろです。笑
考えが庶民的すぎますかね。爆


投資と違って、損するリスクはないし、
手堅く100円分のポイントを稼いだら、
その日はちょっと幸せになれます。
そんなポイ活を、できるだけやって、
小さな幸せでいっぱいにする。
そんな生き方が、私には向いているように思います。


少なくとも、現在、定年後にやりたかったことは、
ポイントがかなえてくれています。
これだけ頻繁に旅行している我が家ですが、
その費用のほとんどは、ポイントですから。
先日の函館4泊5日の旅行で、かかった費用は、
ホテル代の40000円(ふたり分)だけです。
航空券とかレンタカーとか、
全部、ポイントやマイルを利用したので、
タダでした。(いばりっ笑)


お金はないけど、
ポイントはある、MIYO家です。🤣

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