MIYO'S WEBSITE - 全盲難聴のんたんの記録と卵巣ガン、そして旅日記。

超未熟児で生まれた後遺症で、全盲難聴(盲ろう)となったのんたん、双子の妹あみちゃんと共に楽しく生きる家族のお話です。
子どもたちは24歳になり、毎日元気に楽しく暮らしています。
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コロナでもウポポイ3。札幌2週間ホテル暮らし 49 - 北海道開拓の村㉑(旧秋山家漁家住宅、旧龍雲寺、旧北海中学校)/ ひたち海浜公園はネモフィラが満開(2021年11月6日/4日め)

(2022/04/26 15:50記)

2021年11月6日 北海道開拓の村・出入口となっている、札幌停車場の内部です。ゴールデンカムイの杉本青年、アシリパちゃんといっしょに。(北海道札幌市)


11月6日(土)


漁村群エリアの最後のスポット、
旧秋山家漁家住宅
に来ました。



【旧秋山家漁家住宅】
1920年(大正9年)、苫前郡羽幌町(焼尻島)に建てられました。明治末期に秋田県男鹿半島から移住した秋山嘉七が、ニシン漁で繁栄していた時期に建てた住宅です。この家では、1978年(昭和53年)まで、秋山家の人々が三代にわたり、ニシン刺網漁や磯廻り漁などを続けながら住んでいました。建物は、洋風の棟飾りをもつ、ヨツヤと呼ばれる寄棟造りです。


玄関を入ります。

ひとつめの部屋は、ストーブのある居間になっています。この右側に台所があり…、

左側には、和室が4つ(8畳間がふたつと6畳間がふたつ)。かなり大きい家でした。


【ニシン漁でにぎわった秋山家】
焼尻島の漁民にとって最も重要な漁業はニシン漁でした。秋山家では刺網を使い、ニシンが海岸近くまで押し寄せるといっせいに投網しました。開拓の村では、本格的な漁期に入る前の3月下旬ごろを想定し、漁労の準備に忙しいようすを展示しています。
大正末期、秋山家は2世代10数名の家族でしたが、漁期になれば、郷里の秋田から2、3名の漁夫も出稼ぎに来ていました。この広い家も、大勢の人々でにぎやかだったことでしょう。


物置になっていた土間です。洗濯板といっしょに、ニシンを運ぶもっこが置いてありました。

これで、漁村群エリアのすべてのスポットを見学しました。


山村群エリアにつづいて、
漁村群エリアも制覇です。笑
残り時間は、1時間を切りました。
ここから、市街地群エリアにもどり、
左端の道路添いの建築物を回って行きます。
残る見学スポットは、全部で7つ。
時間との戦いになってきました。😂😂


最後に、もう一度振り返りました。夕陽を浴びた、旧青山家漁家住宅。もっと居たかったなあ…。

夫は、私よりもさらに往生際が悪く、再び青山家漁家住宅に戻って、裏側の写真まで撮っていました。笑 つきあいきれないので、私は夫を置いて歩きます。

そして市街地群エリアに戻ると、いちばん初めに見えるのがコレ。お寺の鐘楼です。

旧龍雲寺です。


【旧龍雲寺】
篠路山龍雲寺は、1886年(明治19年)頃、村民の努力によって、札幌市に創建された浄土宗の寺です。この建物は、1893年(明治26年)頃に新築落成した本堂で、開拓期の農村の寺院建築の様式をよくあらわしています。正面入り口の向拝(こうはい)部分は、大正年間に増築されました。


つづいて、となりにある、
旧北海中学校に行きました。
開拓の村には、寄宿舎だけでなく、
学校も移築されているのです。


夕闇がせまりつつありますね…。


【旧北海中学校】
1908年(明治41年)から翌年にわたって札幌市に建築された、校舎の本館部分です。北海中学校の創立は1905年(明治38年)で、その前身は、私立北海英語学校。札幌農学校第三期生らが中心となって、1885年(明治18年)に設立されました。外観の意匠は、明治半ばから大正期の官庁や学校の木造建築によく見られる様式です。


夕暮れが近づいてきていて、あせります。笑

玄関です。

玄関を入ると、左に校長室、右に事務室があります。

突き当りの廊下を左に曲がると、長い廊下が続きます。

右に曲がっても、やはり廊下が続いています。

校長室です。MIYOは、部屋の全体像をなるべく一枚で撮ろうとします。

夫が撮るとこうなります。笑 被写体により近く、物を具体的に撮ろうとするんですね。^^

教室です。私が通った小学校でも、小学校2年生までは、こんな木の机と椅子でした。もっとボロボロで、使いこまれていて、落書きだらけでしたけどね。笑

当時の生徒たちの服装です。


このまま、
通りを直進しながら見学して行けば、
出入り口まで戻ることができます。
帰り道を利用しながら、
閉館時間ぎりぎりまで見学を続ける、
という目論見です。



残り時間は45分。
あと5つです。
がんばります。


(つづく)


(おまけのお話)


今朝のニュースで、
「ひたち海浜公園のネモフィラが満開です。」
と言うのを聞き、
昨年のことをなつかしく思い出しました。



今週の週末は、
すばらしい光景が見られるかと思います。
お近くの方、おススメですよ。^^


昨年のブログに掲載しきれなかった写真です。ネモフィラの向こうに、少しだけ海が見えるのがおわかりでしょうか。空と海とネモフィラが一体となり、一面が青の世界でした。(2021年4月23日 ひたち海浜公園)

愛らしい、ネモフィラの花です。

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