コロナでもウポポイ3。札幌2週間ホテル暮らし 44 - 北海道開拓の村⑯(旧札幌農学校寄宿舎 (恵迪寮)②、森林鉄道機関庫)(2021年11月6日/4日め)
(2022/04/15 15:30記)
2021年11月6日 北海道開拓の村・森林鉄道機関庫で。(北海道札幌市)
北海道ラブが止まりません。笑
4月15日のフライトで、函館に行ってきます。ブログは、しばらくお休みをいただきます。
「ANAにキュン」を利用し、わずか5800マイル(往復ひとり分)という、
驚異的な安さで、航空券をゲットしました。^^
滞在中のレンタカーは、dポイントを利用したので、わずか1000円です。
相変わらずのオトク旅行を、今回も楽しんできます。^^
11月6日(土)
旧札幌農学校寄宿舎 (恵迪寮)
に来ています。
学生たちが生活していた部屋を見学したあとは、恵迪寮にちなんだ様々の資料を見ていきました。
中でもおもしろかったのは、当時の学生たちが供されていた食事を紹介するコーナーです。ガラスケースの中には、当時の食事のサンプルが並べられていました。
昭和初期の頃の朝食です。白米のごはん、ワカメや豆腐の入った味噌汁、たくあんや浅漬けなどのおしんこがありました。それでも足りない学生には、自費で生卵や納豆などを追加できました。良き時代でした。
札幌農学校寄宿舎発足当時の夕食。スープに獣肉(鹿肉)、野菜、パンとバターなどがでました。モダンな食事ですね。
その他、豚飯(明治末から大正)、馬のたたき団子が3個入った北國汁(大正末期から昭和初期)などもありました。
充実のメニューでしたが、戦争が始まると物資が不足し、やがて、一日の所要量の1/4しか提供されなくなったそうです。
学生が書き残したものの数々。「ニュートンも、クソの落下に気がつかず」だそうです。
ボタンを押すと、恵迪寮歌を聞くことができます。なんと、33曲もあったんですね!笑
そして、1983年(昭和58年)、コンクリートの寮舎が完成しました。食堂は姿を消し、居屋は個室となりました。
同じ年、役目を終えた旧恵迪寮舎が取り壊されました。札幌農学校寄宿舎として開舎してから78年後のことでした。建物の一部は、恵迪寮同窓会に払い下げとなり、北海道開拓の村に運ばれました。
現在、私たちが見ることのできる旧恵迪寮は、明治38年の開舎当時の姿で復元されたものです。
かつてここで生活した学生たちの、
生き生きとした暮らしぶりが偲ばれる、
あたたかな雰囲気の建物でした。
もっとここにいたかったのですが、
時間がありません。
後ろ髪をひかれる思いで、
山村群エリアの奥へと進んでいきました。
林の奥に、午前中に訪れた、旧平造材部飯場が見えてきました。
コロナでもウポポイ3。札幌2週間ホテル暮らし 31 - 北海道開拓の村③(開拓小屋、炭焼き小屋、旧平造材部飯場)(2021年11月6日/4日め) - MIYO'S WEBSITE-全盲難聴のんたんの育児記録と卵巣ガンで思ったこと
めざす建物は、この旧平造材部飯場の少し先にあります。
ありました。森林鉄道機関庫です。小さい小屋に見えますが、中に入ると、びっくりするものがありました。
【森林鉄道機関庫】
大正8年度から、北海道庁は、拓殖計画に国有林の直営伐採事業を加えました。それにより、木材搬出のための森林鉄道の敷設に着手。その後、道内各地で建設が進められました。昭和初期には、従来の流送にかわって鉄道運材が主流となり、機関車や貨車のほか、機関庫、貯木場も整備されました。この機関庫は、昭和初期に作られたものを再現しています。
伐採した木材を積んだ貨車が…、
蒸気機関車につながっていました。
1950年に製作された、森林鉄道ディーゼル気動車。野村プリモス型イスズDA43型エンジンです。大夕張営林署管轄の下夕張森林鉄道(昭和16年~昭和41年)および夕張岳森林鉄道(昭和18年~昭和41年)で、昭和41年に廃止されるまで稼働していました。
森林鉄道トローリーだそうです。
これで、
残っていた3か所の見学が終わりました。
山村群エリアは、全スポットを制覇です。笑
…と、喜んでいる場合ではありません。
これから、市街地群エリアの見学をしながら、
漁村群エリアに突入しなくてはなりません。
閉館時間まで、あと2時間をきっています。
やばいです。
まだ行ってないところが、
かなり残っているというのに。
ということで、森林をつっきって、市街地群エリアへと戻ります。
全スポットを見学したかったのですが、
時間が全然足りません。
朝、開館時間に到着してから、
ずうっと見学し続けてるんですけど。😂😂
北海道開拓の村。
とほうもない広さでした。
(つづく)