MIYO'S WEBSITE - 全盲難聴のんたんの記録と卵巣ガン、そして旅日記。

超未熟児で生まれた後遺症で、全盲難聴(盲ろう)となったのんたん、双子の妹あみちゃんと共に楽しく生きる家族のお話です。
子どもたちは24歳になり、毎日元気に楽しく暮らしています。
卵巣ガンになって思ったことも、少しずつ書き始めました。
ベトナム日記は、
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ベトナム家族旅行:
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小学生だったころの子どもたちの育児日記は、こちらです。
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コロナでもウポポイ3。札幌2週間ホテル暮らし 44 - 北海道開拓の村⑯(旧札幌農学校寄宿舎 (恵迪寮)②、森林鉄道機関庫)(2021年11月6日/4日め)

2021年11月6日 北海道開拓の村・森林鉄道機関庫で。(北海道札幌市)


北海道ラブが止まりません。笑
4月15日のフライトで、函館に行ってきます。ブログは、しばらくお休みをいただきます。
「ANAにキュン」を利用し、わずか5800マイル(往復ひとり分)という、
驚異的な安さで、航空券をゲットしました。^^
滞在中のレンタカーは、dポイントを利用したので、わずか1000円です。
相変わらずのオトク旅行を、今回も楽しんできます。^^


11月6日(土)


旧札幌農学校寄宿舎 (恵迪寮)
に来ています。


学生たちが生活していた部屋を見学したあとは、恵迪寮にちなんだ様々の資料を見ていきました。

中でもおもしろかったのは、当時の学生たちが供されていた食事を紹介するコーナーです。ガラスケースの中には、当時の食事のサンプルが並べられていました。

昭和初期の頃の朝食です。白米のごはん、ワカメや豆腐の入った味噌汁、たくあんや浅漬けなどのおしんこがありました。それでも足りない学生には、自費で生卵や納豆などを追加できました。良き時代でした。

札幌農学校寄宿舎発足当時の夕食。スープに獣肉(鹿肉)、野菜、パンとバターなどがでました。モダンな食事ですね。

その他、豚飯(明治末から大正)、馬のたたき団子が3個入った北國汁(大正末期から昭和初期)などもありました。

充実のメニューでしたが、戦争が始まると物資が不足し、やがて、一日の所要量の1/4しか提供されなくなったそうです。

学生が書き残したものの数々。「ニュートンも、クソの落下に気がつかず」だそうです。

ボタンを押すと、恵迪寮歌を聞くことができます。なんと、33曲もあったんですね!笑

そして、1983年(昭和58年)、コンクリートの寮舎が完成しました。食堂は姿を消し、居屋は個室となりました。

同じ年、役目を終えた旧恵迪寮舎が取り壊されました。札幌農学校寄宿舎として開舎してから78年後のことでした。建物の一部は、恵迪寮同窓会に払い下げとなり、北海道開拓の村に運ばれました。

現在、私たちが見ることのできる旧恵迪寮は、明治38年の開舎当時の姿で復元されたものです。


かつてここで生活した学生たちの、
生き生きとした暮らしぶりが偲ばれる、
あたたかな雰囲気の建物でした。


もっとここにいたかったのですが、
時間がありません。
後ろ髪をひかれる思いで、
山村群エリアの奥へと進んでいきました。


林の奥に、午前中に訪れた、旧平造材部飯場が見えてきました。
コロナでもウポポイ3。札幌2週間ホテル暮らし 31 - 北海道開拓の村③(開拓小屋、炭焼き小屋、旧平造材部飯場)(2021年11月6日/4日め) - MIYO'S WEBSITE-全盲難聴のんたんの育児記録と卵巣ガンで思ったこと

めざす建物は、この旧平造材部飯場の少し先にあります。

ありました。森林鉄道機関庫です。小さい小屋に見えますが、中に入ると、びっくりするものがありました。


【森林鉄道機関庫】
大正8年度から、北海道庁は、拓殖計画に国有林の直営伐採事業を加えました。それにより、木材搬出のための森林鉄道の敷設に着手。その後、道内各地で建設が進められました。昭和初期には、従来の流送にかわって鉄道運材が主流となり、機関車や貨車のほか、機関庫、貯木場も整備されました。
この機関庫は、昭和初期に作られたものを再現しています。


伐採した木材を積んだ貨車が…、

蒸気機関車につながっていました。

1950年に製作された、森林鉄道ディーゼル気動車。野村プリモス型イスズDA43型エンジンです。大夕張営林署管轄の下夕張森林鉄道(昭和16年~昭和41年)および夕張岳森林鉄道(昭和18年~昭和41年)で、昭和41年に廃止されるまで稼働していました。

森林鉄道トローリーだそうです。


これで、
残っていた3か所の見学が終わりました。


山村群エリアは、全スポットを制覇です。笑


…と、喜んでいる場合ではありません。
これから、市街地群エリアの見学をしながら、
漁村群エリアに突入しなくてはなりません。
閉館時間まで、あと2時間をきっています。
やばいです。
まだ行ってないところが、
かなり残っているというのに。


ということで、森林をつっきって、市街地群エリアへと戻ります。


全スポットを見学したかったのですが、
時間が全然足りません。
朝、開館時間に到着してから、
ずうっと見学し続けてるんですけど。😂😂


北海道開拓の村。
とほうもない広さでした。


(つづく)

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