MIYO'S WEBSITE - 全盲難聴のんたんの記録と卵巣ガン、そして旅日記。

超未熟児で生まれた後遺症で、全盲難聴(盲ろう)となったのんたん、双子の妹あみちゃんと共に楽しく生きる家族のお話です。
子どもたちは24歳になり、毎日元気に楽しく暮らしています。
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コロナでもウポポイ3。札幌2週間ホテル暮らし 43 - 北海道開拓の村⑮(旧札幌農学校寄宿舎 (恵迪寮)①)(2021年11月6日/4日め)

2021年11月6日 北海道開拓の村・旧札幌農学校寄宿舎(恵迪寮)で。当時、舎で学生が食べていた食事のサンプルに見入っているところです。(北海道札幌市)


11月6日(土)


旧札幌農学校寄宿舎(恵迪寮)が見えてきました。


全部で3棟。かなりの規模です。

旧札幌農学校寄宿舎(恵迪寮)です。


【旧札幌農学校寄宿舎(恵迪寮)】
開拓使仮学校に始まる札幌農学校(現北海道大学)は、1876年(明治9年)に、現在の時計台付近に開学し、1903年(明治36年)に現在地へと移転しました。その際に寄宿舎も新築され、4年後に“恵迪寮(けいてきりょう)”と命名されました。当時は、玄関棟と2棟36室および厨房棟がありましたが、開拓の村では玄関棟と2棟12室を復元しています。


玄関棟です。玄関棟の両側に寄宿棟が1棟ずつ配置され、3棟が渡り廊下でつながっています。


ここで靴を脱いであがり、寮内を見学することができます。

職員室です。

渡り廊下の先に、寄宿棟があります。

寄宿棟に入りました。ここでは、当時学生が生活した部屋が再現されています。階段を上がって、2階に行くこともできます。

学生の部屋です。木でできたベッドには畳が置かれていて、この上に布団を敷いて寝ました。

こんな感じですね。敷布団がないのが気になるところです。^^

ひと部屋に4台のベッドが置かれていました。

ベッドの下は物入れになっています。

明治9年の、札幌農学校舎則です。「職員の命にしたがうこと」「貸与品を破損した場合いは弁償すること」「大声で歌ったり騒いだりしないこと」「交代で室内を掃除すること」「沐浴は4時から5時半」「30分以上遅刻した者には食事を提供しない」…などと書いてありました。

2階の窓から眺めた恵迪寮です。

このほか、恵迪寮にまつわる資料が、多数展示されていました。


次回は、当時の恵迪寮で、
学生たちが食べていた食事のサンプルを
ご紹介します。


(つづく)

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