MIYO'S WEBSITE - 全盲難聴のんたんの記録と卵巣ガン、そして旅日記。

超未熟児で生まれた後遺症で、全盲難聴(盲ろう)となったのんたん、双子の妹あみちゃんと共に楽しく生きる家族のお話です。
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コロナでもウポポイ3。札幌2週間ホテル暮らし 38 - 北海道開拓の村⑩(旧本庄鉄工場、旧浦河公会会堂、旧渡辺商店)(2021年11月6日/4日め)

(2022/04/07 15:50記)

2021年11月6日 北海道開拓の村・旧浦河公会会堂で。(北海道札幌市)


今回は、鉄工場、礼拝堂、雑貨店を訪ねます。


11月6日(水)


旧藤原車橇製作所の井戸を通り過ぎると、
旧本庄鉄工場があります。


旧本庄鉄工場


【旧本庄鉄工場】
本庄鉄工場は、石狩市で、明治30年から2代にわたって営業していました。石狩川河口にひらけた旧市街にあって、漁具や漁船の付属品のほか、農具などを作りました。この建物は、本庄鉄工場の仕事場として、1925年(大正14年)から昭和50年代まで使用されていたものです。開拓地に欠かせなかった鍛冶屋のようすがしのばれる建物です。

1925年(大正14年)、この鉄工場には、親方と13人の家族、そして小学校を出たばかりの弟子がひとり、暮らしていました。春先には農具を、夏から秋にかけては、石狩川河口での鮭刺網漁に使う錨(いかり)や和船の船釘を、家族も手伝いながら製造しました。火床の中で材料を熱し、金敷の上で鍛造作業を繰り返す鍛冶職人の仕事は、すべてが勘に頼る手仕事でした。ここでは、鮭漁期を迎える時期の鍛冶屋のようすを再現しています。


入口を入ると、まずは広い鍛冶場になります。

当時は、できあがったばかりの、ピカピカの錨や農具が並んでいたことでしょう。

鍛冶場の奥には、和室が4部屋ありました。右端の部屋で食事をしたようです。

10畳の広い部屋です。囲炉裏を囲んで15人が食事したら、にぎやかだったことでしょう。


これで、メインストリートの右側の建物は、
すべて見学を終えました。
つづいて、同じ通りの反対側にある、
旧浦河公会会堂に入ってみました。


旧浦河公会会堂


【旧浦河公会会堂】
旧浦河組合基督教会として、1894年(明治27年)、浦河郡荻伏村(現在の浦河町)に建築されました。木造平屋建て、一部2階の建物です。北海道開拓を目的に設立された赤心社の礼拝・集会所でした。赤心社は、1880年(明治13年)に神戸で設立され、翌年から荻伏村に入植を開始しています。赤心社の指導者の多くがキリスト教徒であったため、1886年(明治19年)に浦河公会が組織されました。


ランプの形が優雅ですね。現在でも、ここで結婚式を行うことができるそうです。

旧浦河公会会堂を出たら、通りの向こうから鉄道馬車がやってきました。^^ 馬車の向こう側には、これまでに見て来た建物が並んでいます。左から、旧藤原車橇製作所、旧太田装蹄所、旧大石三省堂支店、そして旧武岡商店…。さらに、旧近藤医院、旧武井商店酒造部、三〼河本そば屋と続き、いちばん奥に見えているのは、旧来正旅館。すばらしい眺めでした。

引き馬のオウラは道産子。健気に仕事しています。

ゆったりと、私たちの前を通り過ぎ…、

旧ソーケシュオマベツ駅逓所へと移動していきました。


見学を続けます。
次は、旧浦河公会会堂のとなりにある、
旧渡辺商店です。


旧渡辺商店


【旧渡辺商店】
枝幸郡中頓別(なかとんべつ)に建てられた雑貨店です。中頓別は、明治30年代に砂金掘りでにぎわい、1916年(大正5年)の鉄道開通後は、交通の要所として発展しました。漆喰仕上げの土蔵造りは、石造やレンガ造とともに耐火・耐寒を目的とした構造です。が、北海道ではあまり例がない建物です。

この建物では、1階が店舗、2階が座敷として使用され、店主の住宅と商品の倉庫は別棟となっていました。


店内には、台所用品や子どものおもちゃなど、多岐にわたるものが並べられていました。

上から吊るしてあるのは、ザルやすりこぎなどの生活用品。

その下には、尋常小学校の教科書が並んでいました。大正末期の新学期を控えた時期の、店舗のようすを再現しているそうです。当時の雑貨店では、日用品などのほか、書籍や教科書などを取り扱うところもありました。

床をご覧ください。奥の扉からレールが延びているのがわかりますでしょうか。このレールを使って、トロッコで倉庫の商品を出し入れしていたそうです。

倉庫の商品を出し入れするのにトロッコが必要なくらいに、お店がはやっていたということですね。^^

左に見えているのが、倉庫です。

市街地エリアで、鉄道馬車が走るメインストリートの右側の見学が終わりました。次は、来た道を戻りながら、メインストリート左側の建物を見て歩きます。


(つづく)

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