MIYO'S WEBSITE - 全盲難聴のんたんの記録と卵巣ガン、そして旅日記。

超未熟児で生まれた後遺症で、全盲難聴(盲ろう)となったのんたん、双子の妹あみちゃんと共に楽しく生きる家族のお話です。
子どもたちは24歳になり、毎日元気に楽しく暮らしています。
卵巣ガンになって思ったことも、少しずつ書き始めました。
ベトナム日記は、
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ベトナム家族旅行:
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小学生だったころの子どもたちの育児日記は、こちらです。
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コロナでもウポポイ3。札幌2週間ホテル暮らし 32 - 北海道開拓の村④(体験学習棟、旧札幌拓殖倉庫、旧山本消防組番屋、旧若狭家たたみ蔵、開拓の村食堂)(2021年11月6日/4日め)

2021年11月6日 山村群エリアの吊り橋で。(北海道札幌市)


11月6日(土)


山村群エリアを歩き、吊り橋を渡りました。


そして新たな建物を発見。これは、体験学習棟だそうです。校外学習の子どもたちが利用するのでしょうか。

山野をつっきって、ようやく、大通りにでました。別の世界に来たようです。

旧札幌拓殖倉庫です。


【旧札幌拓殖倉庫】
札幌軟石を使用した倉庫です。1907年(明治40年)に建てられ、五十嵐倉庫合名会社より、5年後、札幌拓殖倉庫株式会社に引きつがれました。この建物は、札幌駅北側に隣接し、線路に直角に位置していた6棟の内の一番西側の棟です。梁間5間、桁行27間、面積135坪の木骨石造でした。開拓期の農産物の集散に大きな役割を果たし、地域の発展に貢献しました。昭和56年、その敷地が鉄道高架用地として買収されることとなり、開拓の村に移築復元されました。



ここで左に行けば、
出入り口の方向になるのですが、
あえて右方向へ。
農村群エリアに向かって歩きました。


旧山本消防組番屋です。


【旧山本消防組番屋】
札幌山本地区にあった、消防用具の格納庫です。1925年ごろ(大正末期)に建てられました。前身は、1919(大正8年)頃からの消防組織自警団で、山本消防組となりました。火の見櫓を持つ番屋は、農漁村の小規模な消防組織にみられ 防災や治安の中心でした。


これは、鉄道馬車の中から撮った火の見櫓です。



このまま、すぐ隣りの、
旧信濃神社に行けばよかったのですが、
ここでも失敗してしまいます。
なぜか私も夫も、
旧若狭家たたみ蔵に行ってしまい、
その後、方向を変え、
出入り口の方に向かって歩き出してしまいました。
今思うと、まあ、疲れていたんでしょうね…。
お腹もすいてたし。笑


旧山本消防組番屋の向かいにある、旧若狭家たたみ蔵です。


【旧若狭家たたみ蔵】
1850年頃(江戸時代末期)の建築です。たたみ倉は、道南の上ノ国町周辺にみられます。倉は、長方形の角材を積み重ねて外壁を作り、屋根をかける校倉造りでした。内部には、漁家や農家が、家具や調度品・漁具・農具などを収納しました。


そして、大通りを歩いて、再び、開拓の村の出入り口である旧札幌停車場に戻ってきました。

めざす「開拓の村食堂」は、その左手にあります。

工事中でシートがかかっていましたが、本当はこんな感じのようです。(画像をお借りしました)

食堂のメニューです。思ったよりもたくさんありました。

写真を撮ってる夫をほったらかして、店内に入ります。笑 「いももち」ってなんでしょう?

6人用のテーブルですが、3人しか座れません。

夫が選んだのは屯田兵定食(1030円)。紅鮭昆布めし、豚汁、いももち、味噌おでん、小鉢で、ボリュームたっぷりでした。鉄皿の上で並んでいる、ハンバーグのようなものが、いももちです。

MIYOはにしんそば(980円)です。

リフトアップ~。

やっとごはんにありつけました。^^

ようやくここまで来ました。旧信濃神社に行けなかったのが気になりますが…。😅

お昼ごはんのあとは、市街地群エリアへ。旧近藤染老舗へ行きます。


(つづく)

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