MIYO'S WEBSITE - 全盲難聴のんたんの記録と卵巣ガン、そして旅日記。

超未熟児で生まれた後遺症で、全盲難聴(盲ろう)となったのんたん、双子の妹あみちゃんと共に楽しく生きる家族のお話です。
子どもたちは24歳になり、毎日元気に楽しく暮らしています。
卵巣ガンになって思ったことも、少しずつ書き始めました。
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ベトナム家族旅行:
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コロナでもウポポイ3。札幌2週間ホテル暮らし 31 - 北海道開拓の村③(開拓小屋、炭焼き小屋、旧平造材部飯場)(2021年11月6日/4日め)

2021年11月6日 山村群エリアの炭焼小屋で。(北海道札幌市)


11月6日(土)


開拓小屋の写真ですが、今日になって、
夫がたくさん撮っていたのがわかったので、
もう少し掲載します。


開拓小屋の全景です。

通路のような部分から入ります。

つきあたりが出入り口です。扉はなく、上にしばりつけてあるむしろを、夜はおろしたものと思われます。

これは私が撮った写真です。私は、一枚で俯瞰しようとするのですが、夫はさらに細部を撮り続けます。これらを両方合わせて、いつも日記を書いています。笑

ここで食事をしたんですね。

窓に板などはなく、木の枝の柵があるだけです。

そして、その窓を外から撮った写真です。


いかがでしょうか…。
夫の写真の、この撮り方。
家の様子を詳しく撮っていて、
MIYOの写真よりもわかりやすいのですが、
詳しすぎますね。🤣🤣🤣


もう、開拓小屋だけで、
連載一日分が終わりそうな勢いです。😂😂
通常、ブログを書く際に、
夫が好き勝手にランダムに撮ったものを、
私の写真と合わせます。
その後、展開したいストーリーを構成し、
それに沿って、
すべての写真を並べなおしてから
掲載しているのですが、
この作業がいちばんたいへんです。笑


実は、ここまでの「北海道開拓の村①②」は、
MIYOが撮った写真だけで書いていたことが、
今朝になってわかりました。


夫が撮った、開拓の村の膨大な写真が、
今頃になって出てきたのです。
(我が家にはよくあることですが。😔)
いったい何百枚あるのかわかりません。😂
これからは、これをいっしょに掲載するので、
このあとの日記は、
さらにくわし~くなっていくと思います。
まあ、ごいっしょに、
旅行気分を楽しんで頂ければうれしいです。


ということで、山村群エリアに入り、
開拓小屋から吊り橋に向かったのですが、
その道すがら、
いくつかの見学スポットに寄っていきました。


こんなところを歩いていきます。一応、道はあるのですが、もう、博物館の見学と言うよりも、「山歩き」に近いです。笑

炭焼小屋に到着しました。


【炭焼小屋】
北海道は国内有数の木炭生産地で、主に黒炭(くろすみ)が生産されました。炭窯の種類は多様ですが、明治・大正期の北海道では、角窯が多く使われました。一般に、専業の炭焼きは大型の窯を、副業では、小型の窯を使用していました。


この炭窯は、大正末期の副業製炭業者の角窯を再現しています。

山の中を、さらに歩きます。

旧平造材部飯場が見えてきました。


【旧平造材部飯場】
大正後期に下川村奥名寄の御料林内に建てられた、造材飯場を再現しています。造材飯場とは、伐木や造材に携わった山子や集・運材作業に従事した藪出し、馬追いなどが山中で寝泊まりした小屋でした。この飯場では、40人ほどの山子と藪出しが生活し、馬追い飯場は別棟になっていました。


同じ飯場の側面なのですが、こちら側を撮ったあと…、

ダダダ~っと走って反対側に行き、今度は裏側を撮りたくなってしまう、多動夫。(ゴクロウサマです。笑)

つきあっていられないので、MIYOはさっさと中に入ります。笑

中はこんな風になっています。ここで、作業のあとに、たくさんの藪出しが寝泊まりしたんですね…。

濡れた装具を、いろりの上に吊るして乾かしています。

むしろ一枚の上にふとんを敷いて、それがひとり分のスペースだったようです。

同じような写真なのですが、夫は、棚とそこに置いてある私物(食器)が気になり…、

私は、畳んである寝具や衣類が気になってるんですね…。🤣🤣

びっしりと布団が並ぶようすを見て、私も夫も、網走監獄を思い出してしまいました。


飯場の方々の生活が監獄なみ、
と言いたいのではありません。
この5か月前に網走監獄を見た時は、
囚人たちがすし詰めで寝かされていることに
驚きましたが、
開拓時代の北海道では、
こんなふうにして寝るのは、
そう珍しいことではなかったのかもしれない、
と気づいたのです。


いえ、北海道だけでなく、
当時の日本では、こんな光景は、
どこでもあたりまえだったのではないか…。


日本が貧しく、
誰もが生きることに懸命だった時代が、
ここに凝縮され、
再現されているように思いました。


農村群から山村群に入り、山中を徘徊しながら、吊り橋へと歩いた道筋です。


(つづく)

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