MIYO'S WEBSITE - 全盲難聴のんたんの記録と卵巣ガン、そして旅日記。

超未熟児で生まれた後遺症で、全盲難聴(盲ろう)となったのんたん、双子の妹あみちゃんと共に楽しく生きる家族のお話です。
子どもたちは24歳になり、毎日元気に楽しく暮らしています。
卵巣ガンになって思ったことも、少しずつ書き始めました。
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コロナでもウポポイ2。札幌を拠点に3人で歩いた、3泊4日の北海道 14 - 博物館網走監獄⑤(旧網走刑務所 二見ヶ岡刑務支所-炊場、風呂場、洗濯洗足場、トイレ、舎房)(2021年6月27日/3日め)

(2021/12/01 15:10記)

2021年6月27日 博物館網走監獄・庁舎です。重要文化財に指定されています。( 北海道網走郡大空町)


6月27日


前回につづき、
旧網走刑務所 二見ヶ岡刑務支所
の中を歩いています。
作業場をさらに進むと、
炊場に入ります。


炊場です。受刑者の食事を調理する場所として、朝早くから夜遅くまで使用されました。

こちらは食器を洗っています。


【炊場】
炊場では、多い時は50人以上の食事を用意していたため、大きな釜や調理器具が使用されました。農繁期には、夜遅くまで作業を行うため、二見ケ岡農場の受刑者は労働量が多く、3食の他に、加算食として、団子やアンパンなども配られていました。


風呂場です。横に並んで入浴します。号令と共に、出たり入ったりしながら、前に進みます。映画・「塀の中の懲りない面々」で、同じようなシーンを見たことがありますが、あのシステムは、この頃からあったのですね。

刑務所内は、いくつもの建物がつながっていました。

洗濯洗足場です。1896年(明治29年)に建築されました。


【洗濯洗足場】
建築当初は、検身鍵鎖場(受刑者の身体を検査する場)として、受刑者の朝夕の出入り時に戒具を脱着させる場所でした。その後規則が変わり、受刑者に戒具を装着させないようになってからは、受刑者が農場から帰り、泥で汚れた足や長靴を洗い、衣類を洗濯する場所へと変わりました。


トイレです。ガラス張りの部屋の中には、小さく仕切られたいくつものスペースがありました。

仕切りは、太ももの高さまでしかありません。受刑者は、トイレの中でも監視され続けていました。

さらに進みます。

そしていよいよ、舎房に突入します。長い廊下の両側に、房が並んでいます。


【舎房】
木造獄舎として、現存する最古の舎房です。左回りに、第1舎、第2舎、第3舎と、十字型で構成されています。1950年(昭和25年)、収容者の減少に合わせて、第2舎を取り壊し、舎房はふたつになりました。部屋の特徴は、鎧(斜め格子)椅子、向かい合い房、視察孔、食器口、天井観察窓で、本所の舎房と同じように造られています。廊下は煉瓦敷きで、トイレは置き便器が置かれました。廊下にはストーブが2台しか置かれていませんでした。真冬の寒さを凌ぐため、壁にコンパネを打ちつけ、天井にビニールを張り、防寒対策をとりながら、100年以上、風雪に耐えて使用されてきました。


長い廊下を歩いてみました。

房の内部です。格子の内側には、トイレがひとつあるのみでした。

煉瓦敷きの通路を抜けて、次の建物へと向かいます。


次回は、教誨堂を歩きます。


(つづく)

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