MIYO'S WEBSITE - 全盲難聴のんたんの記録と卵巣ガン、そして旅日記。

超未熟児で生まれた後遺症で、全盲難聴(盲ろう)となったのんたん、双子の妹あみちゃんと共に楽しく生きる家族のお話です。
子どもたちは24歳になり、毎日元気に楽しく暮らしています。
卵巣ガンになって思ったことも、少しずつ書き始めました。
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コロナでもウポポイ2。札幌を拠点に3人で歩いた、3泊4日の北海道 13 - 博物館網走監獄④(旧網走刑務所 二見ヶ岡刑務支所-庁舎、食堂)(2021年6月27日/3日め)

(2021/11/30 15:20記)

2021年6月27日 博物館網走監獄・旧網走刑務所 二見ヶ岡刑務支所で。(北海道網走郡大空町)


6月27日


監獄歴史館から右方向に歩くと、
広々とした農場の作業風景が
再現されていました。


看守の監視下で作業する、囚人の風景が再現されています。


農場を通り過ぎて、
さらに道を歩き続けると、
そのつきあたりにあるのが、
旧網走刑務所 二見ヶ岡刑務支所
です。


旧網走刑務所 二見ヶ岡刑務支所(重要文化財)


【旧網走刑務所 二見ヶ岡刑務支所】
広大な土地で農業を行い自給自足を図るために、明治29年、北海道集治監網走分監の屈斜路外役所として開設されました。昭和4年に網走刑務所二見ヶ岡刑務支所となり、平成11年、博物館に移築されました。施設は、

 明治29年建築の庁舎,舎房,炊場
 大正15年に増築された教誨堂及び食堂
 昭和5年の鍵鎖附着所
から構成されています。全国でも珍しい、「農園を持つ刑務所」の建築群で、設立当初に遡る主要建物を良く残っています。特に舎房は、明治中期に遡る獄舎建築として歴史的価値が高いものです。また、一連の施設が残っているという点でも貴重な存在です。刑務所の構外農園施設の発展過程をよく示しており,行刑史上高い価値が認められます。


上の小さな写真ではわかりにくいですが、
実は、この施設はとても大きいものです。


旧網走刑務所 二見ヶ岡刑務支所の全景です。面積は1933m²。明治29年の建築で、平成11年に再現されました。(画像をお借りしました)

上の写真の左側に、小さな人影がいくつも見えていますが、その部分を近くで見ると、こんな感じです。どうして鳩が飛んでいるかというと…。^^

1896年(明治29年)の開設後、電話が開通する1937年(昭和12年)まで、網走刑務所二見ケ岡支所では、緊急連絡や定期的な報告手段のひとつとして、鳩を使っていたからです。実に40年以上もの間、脚環に電文を入れて飛ばし続けていたことになります。本当に隔絶された場所だったんですね…。


それでは、中に入ってみます。
まずは庁舎です。


庁舎は小規模な洋風建築で外壁は下見板張、屋根は寄棟造鉄板葺きです。中央の玄関を入ると、南北に廊下があり、東に事務室、西に宿直室と休憩室という配置になっています。

床の中央部は煉瓦敷き、他はコンクリートの土間になっています。全体的に簡素ですが、玄関の妻飾りや窓上部の蛇腹、扉枠には装飾が施されています。

彫刻斑の作業室です。交談、脇見、無断離席は禁止と書いてあります。

さらに通路を進むと…、

いきなり、広い食堂に出ました。食事風景が再現されています。

ひとりひとりの顔やしぐさが異なっていて、とってもリアルです。

食事の内容は、麦ご飯、味噌汁、たくあん2切れ。

現在は、自費でこのようなおやつを購入することもできるそうです。

現在の網走刑務所の12月31日の夕食を再現したものです。大晦日には、このような正月特別献立が配色されます。

食堂の隣りには、作業場があります。

なにをやっているのかな、と近寄ってみたら…、

収穫した小豆の選別作業でした。^^

こちらでは、藁を叩いて、筵を編んでいます。

大工作業をしている人もいますね。


次は、炊場に行ってみます。


(つづく)

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