コロナでも青森。奥入瀬の春の流れを追いかけて 32 - 中町こみせ(小見世)通り④(鳴海氏庭園と県重宝市消防団第三分団第三消防部屯所)(2021年5月14日/2日め)
2021年5月14日 中町こみせ通りです。がんぎが続く風景が印象的でした。(青森県黒石市)
【お知らせ】
11月3日9時のフライトで北海道に行ってきます。
今回はなんと、札幌に2週間も滞在します。
明日以降、ブログの更新が、不定期になるかもしれません。(スミマセン)
5月14日
鳴海家住宅に来ています。
「稲村屋」というのは、お店の愛称なのだそうです。
私たちが、いつまでもお店を出て行かず、
並べてあるものを
丹念に見ていたからでしょうか。
お店の方が、声をかけてくださいました。
「お庭をご覧になりますか?」
えっ?
庭ですか…?
思いがけない言葉に、驚きました。
「もしよろしければ、
ぜひお願いいたします。」
戸惑いながら、こう答えたところ、
「こちらを上がってください。」
と言っていただきました。
こちらは店内。写真の「稲村屋」というののぼりの左手に、かつての帳場があります。
くつを脱いで、帳場にあがらせていただきました。胡蝶蘭の後ろにかかっているのは、当時の大福帳です。
帳場です。昔ながらのようすが再現されています。
帳場をさらに進むと、座敷になっています。障子の向こうに見える美しい世界に、目をうばわれました。
【鳴海氏庭園】
幕末から明治・大正と津軽地方を風靡した、大石武学流の作庭様式を持つ庭園です。1887年(明治20年)頃に、庭師・小幡亭樹が作庭を開始し、その弟子の池田亭月が完成させたと伝えられています。鳴海家住宅の客間と座敷から眺められるように、北面にT字形で配置されています。庭園には、礼拝石や枯滝石組、景石、野夜燈(石燈籠)、三代目鳴海文四郎の銅像などが配されています。造園史上の価値が高く、2007年(平成19年)に、国登録記念物に登録されました。
座敷の縁側に座り、庭を眺めました。200年以上残されてきた家屋の、歴史を刻んだ縁側に座れることに感謝。この家を、ずっと残してくださったことに感謝。そんな気持ちでした。
「鳴海氏庭園」です。池の周辺には、庭園の主景となるクロマツが植えられています。石燈籠の隣りにある石が、離れ蹲踞(そんきょ)です。
沓脱石から、飛石がV字型に配置されており、それぞれ、礼拝石と離れ蹲踞(そんきょ)に向かって打たれています。礼拝石とは、庭園の中央に配置された平石(写真の中央の石です)で、そこで礼拝したり、またその石に立って庭園全体を見渡すときなどに使う大きな石です。
座敷にいるのは、私たちだけです。
縁側に座り、ただぼんやりと、
御庭を眺めることができる、幸せ。^^
静かで、穏やかなひとときでした。
すばらしい庭園を擁する
鳴海家住宅。
江戸時代後期における
黒石地方の町屋建築を、今に伝えています。
町並み景観にも
大きく貢献していることから、
1998年(平成10年)に、
黒石市指定有形文化財に指定されました。
お店の方にお礼を言って、鳴海家住宅を後にしました。再び中町こみせ通りを歩いて、スタート地点へ戻ります。
高橋家住宅の前まで戻ってきました。
そして、大きな杉玉のある、中村亀吉酒造「玉垂」です。
スタート地点まで戻ってきました。ここで終わりかと思ったのですが、多動夫、あらぬ方向へ歩き始めました。この交差点を、右方向に…って、まだなにかあるの?😂😂
わけがわからず、ついて歩くと…、
着きました。「県重宝市消防団第三分団第三消防部屯所」だそうです。長い名前ですね。😅
【県重宝市消防団第三分団第三消防部屯所】
1924年(大正13年)に建築されました。洋風デザインを取り入れ、望楼を載せた、木造2階建ての建物です。日本の現役車両では最も古い消防自動車が配置されています。
これで、中町こみせ通りの探索が終わりました。^^
陽が傾いてきたし、そろそろ
帰路につかないといけないのですが、
あともうひとつくらい、
ちょっとのぞいてから帰ろうか、
ということになりました。
そこまでムキになって、
あちこち行かなくても…、
と思われるかもしれませんが。😅
「行ったからにはトコトン派」
の私たち。
(名付け親はBonneさんです。笑)
せっかく来たんだから、
時間が許す限り、できる限り…って、
ついつい歩いてしまうんですよ。
貧乏症なんですね。😅😅
あ、貧乏性は、MIYOのことです。
夫はタダの、多動です。🤣🤣
(つづく)