コロナでも青森。奥入瀬の春の流れを追いかけて 7 - 青森屋・渋沢公園(ふれあい牧場、渋沢大門、こもれび小路と菱刺しの庭)(2021年5月13日)
2021年5月13日 青森屋・菱刺しの庭で。(青森県上北郡)
5月13日
南部曲がり家からさらに歩き、
右に曲がると、ふれあい牧場に着きます。
訪れたスポットを、黄色い丸で囲んでいます。赤い丸は宿泊エリアです。
牧場内には2頭の馬がいます。かつて、この地方が馬の産地だったことにちなんでいるそうです。(画像をお借りしました)
やはりここにも、誰もいません。
係の方もいないので、窓越しにのぞいて、
2頭にご挨拶だけしました。
KIRARAくんのお部屋。
TOROROくんのお部屋。
あはは。イラストによく似ていました。^^
牧場を出て少し歩くと、右手に大きな渋沢大門が見えてきます。
かつて、この門の奥には、旧渋沢邸がありました。日本資本主義の父といわれる渋沢栄一氏とその一族の私邸です。(画像をお借りしました)
【旧渋沢邸】
1878年、現在の江東区永代に建てられました。大手ゼネコン清水建設の2代当主である清水喜助が手掛けたもので、当時は純和風の2階建て住宅でした。その後、1909年に港区三田に移築し、1929年に洋館が増築されました。
戦後は財政難により、蔵相などを歴任した渋沢敬三(栄一の孫)が国に物納し、蔵相公邸として使われるようになりました。1971年、当時のニクソン米大統領が金とドルとの交換停止を発表したニクソン・ショックでは、当時の大蔵省幹部が極秘に集まり、対応を練ったと伝えられています。
その後は老朽化に伴い、取り壊しも検討されました。が、渋沢家に執事として仕えたことのある、杉本行雄氏(青森県古牧温泉の創業者)が国の払い下げを受け、1991年に、古牧温泉渋沢公園に移設。町の有形文化財として保存されました。杉本氏は、東北の観光王と言われた、立志伝中の人物です。
やがてバブルが崩壊し、杉本氏が経営していた会社が破綻した後、渋沢邸の所有権は転々としました。が、2018年1月、生みの親である清水建設が取得し、再び東京に移築することになりました。
移築先は同社の研究・研修施設(江東区のイノベーションセンター)で、敷地全体が完成するのは2022年3月です。同社は、一般公開も計画しているそうです。
渋沢邸は、
歴史上の価値
(数多くの会合の舞台となった)
と、
建築物としての価値
(二代目清水喜助が手がけた)
という、ふたつの価値を備えた、
とても貴重な建築物で、
細部の造りや建材の選び方が
素晴らしいそうです。
来年の一般公開が、楽しみですね。^^
渋沢大門の向かいにある、こもれび小路です。両側に、細長い燈籠が続きます。
夜にライトアップされると、こうなります。ねぶたの絵柄ですね。(画像をお借りしました)
こもれび小路の草花を眺めながら歩きました。
そして、生い茂る樹木の向こうに、茅葺き屋根が見えてきました。
玄関にまわってみると、古民家自体は、やはり閉鎖されていましたが…、
このスポットの見どころは、古民家の前に広がる、「菱刺しの庭」です。地面に描かれた菱形模様がおわかりでしょうか。これは、この地方に伝わる「南部菱刺し」をモチーフにしています。
【南部菱刺し】
東北三大刺し子(青森南部の「菱刺し」、津軽の「こぎん刺し」、秋田の「庄内刺し子」)のひとつで、青森県南部地方で生まれ、伝承されてきました。南部菱刺しは、文字通り菱形の刺繍と地刺しという刺繍からなります。麻の生地に木綿やカラフルな毛糸を刺すなどと、細かく繊細な手仕事の魅力と色あわせの妙もあり、どこかモダンな雰囲気が感じられます。
南部菱刺しです。(画像をお借りしました)
この柄を、そのままお庭にしちゃったんですね…。^^
とことん、「青森文化」にこだわる、青森屋。よく見ると、お庭だけでなく、玄関の三和土まで、菱刺し模様です。笑 これはぜひ、家の中にも入ってみたかったなあ…。
かっぱ沼を中心とする、
73万平方メートルもの、渋沢公園。
すばらしい景色を眺めながら、
その遊歩道を歩くと、
ひとつひとつのスポットに
お楽しみが用意してあるという、
とても楽しい公園でした。
これほどの豪奢な公園は、おそらく、
バブルの頃だったからこそ、
作られたのだと思います。
そしてバブルが崩壊し、
公園も、渋沢邸も、
流転の運命をたどりました。
けれど現在の渋沢公園は、
「青森文化に触れる場所」として、
豪奢でありながらぬくもりのある、
貴重な公園になっていると思います。
古牧温泉渋沢公園のお散歩、
あともう少し続きます。
(つづく)