コロナでも足利。織姫神社と足利学校を訪ねて 6 - 鑁阿寺(山門から鐘楼、本堂へ)(2021年4月30日)
2021年4月30日 鑁阿寺・山門です。(栃木県足利市)
【お知らせ】
9月11日より、ブログを少しお休みいたします。
夫のオリパラボランティアが終わって、
我が家もようやく夏休みです。
4月30日
大日大門通りをまっすぐ歩いていくと、
そのつきあたりにあるのが、
国宝 鑁阿寺(ばんなじ)です。
鑁阿寺・山門。屋根が、どこかかわいらしいですね。^^
鑁阿寺は足利学校のすぐ隣りです。大日大門通りのレトロな雰囲気を楽しみながら歩いて、ここまで来ました。
【鑁阿寺】
鎌倉時代である1197年(建久7年)に、足利義兼(源姓足利氏2代目)によって建立された真言宗大日派の本山です。山号は金剛山。本尊は源氏、足利氏の守り本尊である大日如来を祀っています。
約40,000平方メートルに及ぶ敷地は、元々は足利氏の館でした。その邸宅内に、義兼が持仏堂を建てたのが始まりとされています。その後、三代目の足利義氏(あしかがよしうじ)が堂塔伽藍を建立し、足利一門の氏寺としました。
周囲に土塁と堀をめぐらした寺域はほぼ正方形で、鎌倉時代の武家屋敷の面影を今に伝えています。
境内には国宝指定の本堂など貴重な建物が多く、1922年(大正11年)には国の史跡に指定されました。現在では、「日本の名城百選」に選ばれています。春は桜、秋はいちょうの黄葉が素晴らしく、足利市民から「大日様」と呼ばれ、親しまれています。
山門の前には、橋(太鼓橋)がかかっています。この橋をわたって、寺の中に入ります。
太鼓橋の上から眺めたお堀。鯉が泳いでいますね。
山門の前で、エサをもらっている鳩。私もパンを持って来ればよかった。笑
山門の扁額は、「金剛山」。1707年(宝永4年)、智積院10世専戒師の筆です。
山門をくぐって、鑁阿寺に入ります。
いきなり、国宝 本堂が迎えてくれました。うれしいことに、鑁阿寺の拝観料は無料です。^^
美しい緑の中で、優美な姿を見せる、本堂。
とても、武家屋敷には見えませんね。^^
山門を出ると、すぐ右手に鐘楼があります。1196年(建久7年)に、足利義兼が建立しました。1908年(明治48年)に国宝建造物に指定されました。(重要文化財)
さらに歩いて、本堂へ。
【本堂】
1197年(建久7年)に足利義兼が持仏堂として建立し、その後足利義氏が方5間の大堂を建立しました。が、1129年の火災で焼失しました。その後、尊氏の父・足利貞氏(さだうじ)によって、1299年(正安元年)に再建されました。
当時、中国の最新寺院建築様式の一つであった禅宗様(ぜんしゅうよう)をいち早く取り入れてあります。密教寺院における禅宗様仏堂の初期の例として、また関東地方における禅宗様の古例として貴重な文化財です。2013年(平成25年)に、国宝に指定されました。
お賽銭箱の隣りに置いてあるおみくじマシンがシュールでした。200円を入れると、中の獅子が踊り出して、おみくじをとってくれます。笑
おみくじマシンに見入っていたら、
私たちの隣りにいた方が、
グッドタイミングでお金を投入。
運よく、動いている獅子を
見ることができました。^^
そしてここにも、
おびんずるさまがいらっしゃいました。
気軽に触れることができる、
「撫で仏」です。
「自分の体の悪い部分と同じところを
なでると良くなる」
とされています。
鑁阿寺のおびんずるさま、マスクを着けていました。笑
【おびんずるさま】
賓頭盧尊者(びんずるそんじゃ)。十六羅漢の筆頭に挙げられるお釈迦様の弟子で、神通力にすぐれていたそうです。しかし、みだりに世間の人に神通力を用いたために、涅槃を許されず、終生人を救い続けることになったそうです。そのことから、おびんずる様は、神通力で人を助けてくれるとされています。
おびんずるさまに初めて会ったのは、滋賀県の三井寺でした。地元では、親しみを込めて、「びんずるさん」「おびんずるさん」と呼ばれているそうです。(2020年9月23日)
群馬県吉祥寺でも再会しました。ここでは、「おびんづるさま」と書いてありました。(2020年11月14日)
コロナ禍の今、むやみに触ることに、
少し抵抗感がありますが、
まあ、「おびんずるさま」だから、
だいじょうぶでしょう。(←ほんとか?)😅
(つづく)