MIYO'S WEBSITE - 全盲難聴のんたんの記録と卵巣ガン、そして旅日記。

超未熟児で生まれた後遺症で、全盲難聴(盲ろう)となったのんたん、双子の妹あみちゃんと共に楽しく生きる家族のお話です。
子どもたちは24歳になり、毎日元気に楽しく暮らしています。
卵巣ガンになって思ったことも、少しずつ書き始めました。
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コロナでも足利。織姫神社と足利学校を訪ねて 4 - 足利学校(庫裏、衆寮、木小屋、土蔵、裏門、遺蹟図書館、そして庠主の墓へ)(2021年4月30日)

2021年4月30日 足利学校・裏門です。(栃木県足利市)


4月30日


方丈の隣りには、
「庫裏(くり)」と呼ばれる建物が
併設されています。
内部には、土間や台所などがあり、
日常生活に欠かせない空間だったそうです。


左半分が方丈で、右半分が庫裏です。

庫裏の前では、藤の花がこぼれんばかりに咲いていました。

さて、庫裏に入ります。玄関の左に、水道のようなものありますが、これは「宥座の器(ゆうざのき)」です。

庫裡の内部です。内部は竃(かまど)のある土間、板敷の台所、畳敷きの四部屋へとつづき、その奥には湯殿などがあり、庠主や学生の日常生活の場として使われていました。

庫裏の入り口横には、「宥座の器(ゆうざのき)」という道具があります。ぶらさがっている器に水を適度に入れるとまっすぐに立つのですが、入れすぎるとひっくり返り、全てこぼれてしまいます。これは孔子の教えをもとにしたもので、慢心を戒めるという意味があるそうです。

庫裏を出て、さらに右側のエリアを歩きました。土蔵、木小屋、衆寮、裏門と、見どころがたくさんあるのですが、一気にご紹介します。

地図の右下隅にある、衆寮(しゅりょう)です。(画像をお借りしました)


【衆寮(しゅりょう)】
僧房または学生寮です。遠くから通う学生が、写本をするために泊まることもあったそうです。内部は、6畳間に一間の土間がついてひと部屋になっています。それが4部屋続く、長屋スタイルでした。


これがひと部屋です。現在は、机や本を置いて勉強部屋風にアレンジしてあります。

木小屋です。物置として利用され、煮炊きに使う薪や農具などのほか、漬物などの食料品も保管していました。左手に少しだけ見えているのは、庫裏の一部で、奥に見えている白い建物は土蔵です。

裏側から見た庫裏の一部。細長いので、ここはトイレか湯殿だったのかもしれません。😅

土蔵です。大切なものを格納するため、耐火建築で建てられています。周囲は漆喰仕上げで、屋根は栗板の柿葺きです。

裏門です。一般の人や学生が出入りするための通用門でした。

最後は、敷地内を突っ切って、左半分のエリアに。遺蹟図書館と庠主の墓に行きました。


遺蹟図書館
足利学校伝来の書籍の保存を目的として、1903年(明治36年)に足利学校遺蹟図書館が発足しました。その後、1915年(大正4年)に現在の建物が完成しました。

最後は、庠主の墓(しょうしゅのはか)です。細長い小径を歩いた先にあります。ここまで来る人はあまりいないようで、ひっそりとしていました。


【庠主の墓】
室町時代、関東管領上杉憲実は、鎌倉円覚寺から僧快元を招いて初代庠主(校長)とし、足利学校の経営にあたらせました。以後、明治元年までの430年間に、23代の庠主が在任しました。孔子廟の裏手には、このうち17人の歴代庠主の墓がありますが、その多くは無縫塔です。庠主の名前がわかるものは8基で文字が判読されていますが、残りの9基は不明です。


これで、
足利学校の見学が終わりました。
ふう…。


足利学校を出ると、すぐ前にお蕎麦屋さんがあります。

時刻は午後1時。
さ、遅くなったけど、
ここでお昼ごはんだね。^^


…と思っていたら、多動夫、
お蕎麦屋さんには目もくれず、
織姫神社に向かって歩き始めました。
これはまずい、と気がつき、
あわてて夫を止めました。


「今から織姫神社に行ったら、
 お昼ごはんが3時ごろになって、
 そのころにはもう
 お店が閉まってるんだけど、
 また例によって、
 お昼ごはん抜きにするつもり?😠」
「おお、そうだったか。😃」


そのスタイルはもうやめて、
と何度も言ってるのですが、
夫、全然反省の気配なしです。


ほぼ毎回そうなのですが、多動夫は、
楽しいことで頭がいっぱいになると、
食事をするのを忘れてしまいます。
これまでにも、いったい何回、
食事抜きで旅行させられたことか…。


夫の行動を先読みして、
どこかでブレーキをかけないと、
ごはんもまともに食べられない。
夫の「夜討ち朝駆け、ごはん抜き旅行」、
治りません。
20日前に、会津の旅でそれをやって、
私に怒られたばかりだというのに、
また同じことをくりかえしています…。
いいかげんにしてほしいと思います。😔


(つづく)

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