MIYO'S WEBSITE - 全盲難聴のんたんの記録と卵巣ガン、そして旅日記。

超未熟児で生まれた後遺症で、全盲難聴(盲ろう)となったのんたん、双子の妹あみちゃんと共に楽しく生きる家族のお話です。
子どもたちは24歳になり、毎日元気に楽しく暮らしています。
卵巣ガンになって思ったことも、少しずつ書き始めました。
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コロナでも茨城。ネモフィラの丘と弘道館を訪ねて 3 - 旧會澤家住宅、里の家と旧土肥家住宅(2021年4月23日)

2021年4月23日 ひたち海浜公園・みはらしの丘で。(茨城県ひたちなか市)


4月23日


ネモフィラが続く丘から、
丘のふもとの「みはらしの里」に
来ています。


このエリアには畑が広がり、その先に古民家が並んでいます。(画像をお借りしました)

いちばん右端にあるのが、前回ご紹介した、旧會澤家住宅です。約300年前に建てられました。

家の裏側に回ると、こんな感じです。

雨戸や障子が開け放たれていて、中をのぞくことができます。

第1期に作られた部分です。奥が「オクザシキ」で、手前は「ナカノマ」と呼ばれます。「オクザシキ」や「ナカノマ」の柱や天井には、刀傷や槍で突かれた跡が残っています。これらは、幕末の動乱期につけられたと言われています。

第2期に作られた部分です。「チャノマ」「ヘヤ」です。

かまどのある「ドマ」は、第3期に作られました。


つづいて、「里の家」に行ってみます。


「里の家」は、旧會澤家住宅の隣りにあります。


【里の家】
水戸市小泉町(旧常澄村)にあった農家を利用しています。部材を一部移築して、再現を行い、2008年にオープンしました。もとの農家の面影を残すため、桁や梁には、可能な限り、古い部材を利用してあります。

里の「食」をテーマとして、地域に伝わる伝統食や行事食づくりなどの活動を行っています。


「いろりや火鉢の灰をかけて遊ばないでね」という注意書きがあり、びっくり。そんなことする子どもがいるとは、いまどきなのかなあ…。いろりには、テープで大きな✖が作られていました。


そして、最後にあるのが、
大御所、旧土肥家住宅です。


2棟が並ぶ、旧土肥家住宅。


【旧土肥家住宅】
もとは新利根村(現茨城県稲敷市)にあり、江戸時代前期と中期に、稲敷市下太田の利根川に沿った新田開発に合わせて建てられました。東日本では最も古い民家のひとつです。1981年から1982年にかけて解体され、保管されていた部材を用いて、2010年、ひたち公園に移築復元しました。茨城県内での最古級の主屋と江戸時代中期の隠居屋の2棟が共に今日まで残っているのは大変貴重であることから、2018年に「茨城県指定有形文化財」に指定されました。


旧土肥家住宅は、江戸時代の前期と中期に建てられており、主屋と隠居屋の2棟からなっています。右が主屋で、左が隠居屋です。2棟は左右対称のよく似た間取りとなっていますが、柱の間隔が異なり、面積は主屋の方が大きくなっています。

隠居屋の側から見ると、こんな感じです。

右側の主屋です。主屋は、構造的な特徴や部材調査から、旧會澤家住宅より古い西暦1600年代半ば頃に建てられたと考えられています。東日本では最も古い民家のひとつです。


夫は、家の周囲をぐるりと歩いて、写真を撮りまくってます。ほんと、多動だなあ…。笑

隠居屋の中に入ってみました。

はいってすぐのところは土間で、左手に部屋が広がっています。

板の間の向こうに、畳の部屋が見えます。

板の間の隣りにある部屋。囲炉裏があるので、ここが居間兼食事部屋だったのかもしれません。


ご隠居夫婦が住む家としては、
ちょっと広すぎるんじゃないか、
と思いましたが、
裕福な家で、保管しておくものが、
たくさんあったのかもしれません。^^


(つづく)

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