コロナでも福島。満開の桜の下、城を仰ぐ 24 - 会津若松・西郷頼母邸(奥玄関から女中部屋へ)(2021年4月10日/2日め)
2021年4月10日 西郷頼母邸・奥玄関です。家族の出入り口として使用されました。桜がきれいでした。(福島県会津若松市)
4月10日
次の間、奥二の間、奥一の間は、
家族の生活の場となっていたエリアで、
さらにその奥には、
風呂場や厠がありました。
下の間取図では、
一番下の赤丸の部分でした。
38室もある広大なお屋敷ですが、家族が使用していた部屋は、食事室や居間を含めてもわずか7部屋です。ここに、頼母夫婦と6人の子どもたち、さらには、頼母の母に加えて義妹・義弟3人という、総勢12人が暮らしていたことを考えると、かなり手狭だったのではないかと思いました。どんな部屋割りだったのでしょうね…。
脱衣室と風呂場です。左側のドアの向こうに厠があります。
【風呂場】
風呂は檜づくりです。ここでお風呂を焚くことはできず、台所で沸かしたお湯を、手桶で運んで使いました。火災予防のため、広い邸内で火を用いるのは、台所だけに限られていたからです。奥に少しだけ見えている窓は「突き出し窓」です。窓の重さで、自然に閉まるようになっていました。
化粧の間です。ここは、家族(女性)がパウダールームとして使っていたのではないかと思います。
最後に、
女中や使用人の部屋があるエリア
に行きました。
間取図の、いちばん右端の赤丸部分です。ここは、屋敷の内部からは見学できないようになっているので、とりあえず、「料理の間」に戻り、そこからお屋敷の外にでました。
美しい庭を、少し歩いてみました。
桜が咲いていますね…。
…と思ったら、こちらはすごいことになっていました。一面の桜です。^^
「奥玄関」が見えてきました。
「奥玄関」です。この右側には「料理の間」があり、左側には、「女中頭部屋」「女中部屋」が続きます。
「奥玄関」は、家族の出入り口として使用されており、女中達が使うことはできませんでした。女中達の出入り口は、台所(料理の間)だったのです。
私たちも、台所(料理の間)から
お屋敷に出入りしたので、
「女中扱い」ってことですね。🤣🤣
奥玄関の左隣りには、女中頭部屋と女中部屋が並んでいます。
「女中頭部屋」です。女中頭には6畳の部屋が与えられていました。奥に見えている二畳間は、「女中頭付女中」の部屋です。ひとりあたりの広さで考えたら、女中頭は、12人で7部屋を使っていた西郷家の家族よりもゆったりと暮らしていたことになります。笑
その隣りにある、「女中部屋」です。女中になったのは主に藩士の子女で、「行儀見習い」という位置づけでした。
「女中部屋」は、「女中頭部屋」よりも広く、10畳くらいでしょうか。とはいえ、ここに、十数名の女中が相部屋で寝食を共にしていたので、すし詰め状態ですね…。
その隣りにある、少し突き出た部分は、女中たちのための厠だったのかな、と想像しました。
これで、西郷頼母邸の見学が終わりました。本当に広いお屋敷でした。😅
けれど、広大な「会津武家屋敷」の見学は、まだまだ続きます。西郷頼母邸のすぐ隣りには、「會津歴史資料館」が控えているのです。その上、特別展「サムライの世界」を開催中でした。笑
これは、素通りできません。😅
吸い込まれるように、
土蔵の中へと入って行った、多動夫。🤣
時間も遅く、少し疲れていましたが、
しょうがないので、私も入ります。😂😂
(つづく)