コロナでも福島。満開の桜の下、城を仰ぐ 3 - 白河小峰城跡・三重櫓から桜之門跡へ(2021年4月9日/1日め)
2021年4月9日 小峰城・三重櫓(天守)です。(福島県白河市)
【お知らせ】
7月16日からおでかけします。
ブログは、少しお休みをいただきます。
4月9日
前御門から三重櫓へと、
石段を上がり、まずは、
ここから見える景色に見とれました。
三重櫓(天守)です。戊辰戦争で焼失してしまったのですが、「白河城御櫓絵図」や発掘の成果をもとに、木造で忠実に復元されました。
【三重櫓】
小峰城は、1868年(慶応4年)の戊辰戦争白河口の戦いで落城し、ほとんどの建物が焼失しました。城址には石垣が残るのみとなっていましたが、1991年(平成3年)に、三重櫓が木造で復元されました。
櫓の復元には、戊辰戦争時の激戦地であった松並稲荷山の杉の大木が材料として利用されました。その際見つかった鉛玉や弾傷もそのまま加工され、現在も柱や床板などにその痕跡を見ることができます。
入り口で靴を脱ぎ、入館料を払います。見学者は私たちだけでした。
三重櫓の内部です。
「石落し」です。外壁の一部に張り出すような形になっています。石垣を登ってくる敵を監視し、攻撃するために造られました。ここから、石や熱湯などを落としたり、矢や鉄砲で攻撃したりしました。
「白河口の闘い」の激戦地となった稲荷山では、仙台藩や会津藩が新政府軍と激しく戦いました。そのため、この山の杉には、多くの弾丸が撃ち込まれています。三重櫓を復元するにあたって、これらの杉を伐採・製材したところ、戦闘時の弾丸が数多く発見されました。
三重櫓内の弾傷です。三重櫓の復元では、鉄砲玉が撃ち込まれた跡が残る杉を、そのまま利用したそうです。現在の三重櫓には、戦いの犠牲となった人々を忘れまいとする、白河市の人々の思いがこめられているのだと思います。
三重櫓内階段です。
天井部分の木組みも美しいですね。
この階段で、2階部分に上がることもできます。
多動夫が、さっそく上がっていきました。😅
夫が階段を上がってみたのですが、
2階にはなにもなかったそうです…。😅
三重櫓を出て、
来た道を戻りました。
前御門を出て、階段を降りたところで、テレビの撮影を行っていました。^^
高さ10mもある、本丸高石垣。石の組み方がすばらしいですね。ペルーのマチュピチュを思い出しました。
来るときはあまり見てなかったので、桜之門跡の方に、もう一度行ってみました。
この石段を上がった先に、櫓門がありました。さらに、御殿の庭に通じており、藩主の住居に近かったことから、藩主専用の通路だったとされています。
桜之門跡から見た景色です。桜の花と石垣に守られるようにして、三重櫓だけが垣間見えます。小峰城跡は、つまり、そういうところでした…。
小峰城跡で特に印象に残ったのは、
緻密に石が組まれた、高石垣です。
当時の威容を示すかのように、
長々と続いていた高石垣の横を、
ただ、歩き続けました。
石垣だけでも、こんなに立派だったのです。
本丸御殿は、さぞかし、
素晴らしいものだったことでしょう。
そのすべてを焼失してしまうほどに、
戊辰戦争が熾烈な戦いであったことを、
ここに来て初めて実感しました。
けれど、まだまだ、
認識が足りなかったことを、
このあと、さらに知ることになります。
今思うと、小峰城跡に来たことは、
「会津の人々の悲しみを知る旅」の
始まりでもありました。
小峰城は、戊辰戦争で、
そのほとんどを焼失しましたが、
白河市の人々の尽力により、
三重櫓と前御門が復元されました。
その後、1998年(平成10年)に、
国指定史跡となりました。
(つづく)