コロナでも雛旅。古(いにしえ)の雛を訪ねる、4泊5日の長野・岐阜・愛知 31 - 長男の「春駒」(2021年3月28日/3日め)
2021年3月28日 郡上八幡の町を歩きました。(岐阜県郡上市)
少しお休みをいただきましたが、戻りました。
またよろしくお願いいたします。
3月28日
博覧館の福よせ雛を楽しんだ後は、
郡上おどりのコーナーに行きました。
郡上おどりは、
日本三大民踊のーつに数えられていて、
十曲十種のおどり全てが
国重要無形民俗文化財の指定を受けています。
本来ならこのコーナーでは、1日4回、
郡上おどりの実演を開催しているのですが、
残念ながらこのときは、
コロナ禍で中止されていました。
説明のパネルを見ていたら、
あっ
「春駒」がありました。
なつかしい…。^^
「春駒」は、「郡上おどり」の中の踊り・郡上節の一つです。「七両三分の春駒 春駒」の囃子声が有名です。
「春駒」は、長男が盲学校に入学し、
初めての運動会で出場した演技でした。
「春駒」の衣装の長男。(2002年10月9日 7歳/小1)
当時のことをほとんど忘れていたので、
この頃に書いたHPを
帰宅してから見てみました。
(やはり、書き残しておくって、
貴重ですね。^^)
それによると、
運動会の演技はたしかに「春駒」で、
長男は、「七両三分の春駒、春駒…。」
の唄に合わせて、演技していました。^^
のんたん日記4 盲学校の運動会
http://limings.sweet.coocan.jp/nontan04/nontan0412a.html
http://limings.sweet.coocan.jp/nontan04/nontan0412b.html
http://limings.sweet.coocan.jp/nontan04/nontan0412c.html
HPでは、小さかった子どもたちとの思い出を、8年にわたって書き続けました。
http://limings.sweet.coocan.jp/
あのときの踊りは、
「郡上おどり」だったんだなあ…。
(当時は、よくわかっていませんでした。😅)
当時、小さかった長男には、
周囲のことがわからず、
伝えたいこともなかなか伝わりませんでした。
そんな長男が、
座り込んだりいやがったりせずに、
初めて、みんなといっしょに演技してくれた…。
とても感激した運動会だったことを
思い出しました。
19年後、その「郡上おどり」の地を
訪れることになるとは、
想像もしていませんでしたが。笑
博覧館を後にし、「七両三分の春駒、春駒」と口ずさみながら、町を歩きました。^^
郡上八幡の古い町並み。いい雰囲気です。
つきあたりに、お寺が見えました。
長敬寺です。このときは気がつきませんでしたが、今、よく見ると、石段に苔がたくさんついています。
【長敬寺(ちょうきょうじ)】
1601年(慶長6年)に、八幡城主遠藤慶隆が、正勧坊正欽を招いて創建し、自らの菩提寺としました。
1868年(慶応4年)4月、江戸城開城に際し、郡上藩士45名が凌霜隊を組織し、会津藩の救援に向かい、共に新政府軍と戦いました。が、9月に会津藩が降伏すると、同隊は郡上に護送され、獄舎に入れられました。きびしい獄舎の生活に犠牲者が出たのを見て、城下の寺院が嘆願したことにより、1869年(明治2)年、彼らは長敬寺に移されました。翌年、釈放されたものの、彼らの苦しい人生は、その後も続きました。
このお寺は、会津藩と共に戦った彼らが、「凌霜隊」として過ごした、最後の場所だったんですね…。
親鸞聖人像
つい先ほど、博覧館で、
「凌霜隊」のことを知り、
とても驚いたところだったので、
彼らが過ごした最後の場所に来たということで、
夫は興奮していたようです。
「そこっ 滑るから気をつけてね!」
と言ったと思ったら、本堂に向かって、
ひとりで走り出していました。
本堂です。
「なるほど。石段が雨で濡れてるから、
滑りやすいのね…。」
と、気をつけて歩いたつもりでしたが、
苔がついていたせいか、
その石段の滑りやすさは、
私の予想を超えていました。
あっ
次の瞬間、足を滑らせ、
思いきり転んでしまいました。
今まで、何度も転んできましたが、😅
これほど痛かったことはなかったかも。
痛くて、痛くて、痛くて、
数分間、声もでませんでした。
このときに思いきり打った右手は、
一ヶ月以上過ぎた今でも治っておらず、
マウスを持つたびに、少し痛みます。
雨で地面が濡れていたため、
服もバッグもドロドロです。
泣きたい気持ちで起き上がりました。
私が転んだのに気づき、
夫が、本堂から戻ってきました。
「足腰弱ってきたなあ…。」
と言いながら。
え…?
転んで痛がってる妻に向かって、
かける言葉が、ソレか?😮😮
むっときたのですが、
このときは、痛くてつらくて、
抗議することもできませんでした。泣
とりあえず、
夫はひとりで寺の周囲を歩くことにし、
お寺に残った私は、水道をお借りして、
汚れた手を洗い、バッグを拭きました。
このときに、夫がひとりで見に行ったと思われる、大乗寺です。
【大乗寺】
郡上八幡を流れる小駄良川(こだらがわ)沿いにあります。幾多の大火をくぐりぬけた山門は1804年(享保4年)のもので、重要文化財の指定を受けています。素朴な佇まいのお寺です。
戻ってきた夫から、
「すぐ帰りたいよね?」
と訊かれたので、
「うん。」
と答えました。
旅行好きの夫には申し訳ないけど、
服もドロドロだし、手も足も痛くて、
これ以上の観光はムリでした。
このときに夫は、
「わかった。」
と、たしかにそう答えました。
けれど、宿泊しているホテルには、
レストランがありません。
とりあえず、どこかでお昼ごはんを食べて、
その後にホテルに戻ることになりました。
痛む足をひきずりながら、食べ物屋さんを探して歩きました。
小駄良川(こだらがわ)です。
足も手も痛かったけれど、
小駄良川が流れる町の風景は
とてもきれいで、
少し癒されるような気持ちでした。
(つづく)