MIYO'S WEBSITE - 全盲難聴のんたんの記録と卵巣ガン、そして旅日記。

超未熟児で生まれた後遺症で、全盲難聴(盲ろう)となったのんたん、双子の妹あみちゃんと共に楽しく生きる家族のお話です。
子どもたちは24歳になり、毎日元気に楽しく暮らしています。
卵巣ガンになって思ったことも、少しずつ書き始めました。
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コロナでも雛旅。古(いにしえ)の雛を訪ねる、4泊5日の長野・岐阜・愛知 6 - 横谷峡・乙女滝(2021年3月26日/1日め)

2021年3月26日 横谷峡を歩きました。(長野県茅野市)


3月26日


山梨県の台ヶ原宿で、
古い家屋が続く町を歩きました。


道祖神(どうそじん)がありました。MIYOの背丈くらいはありそうな、大きな道祖神でした。(この写真は、夫が撮りました。私ではありません。😅)


【道祖神】
村境、峠などの路傍にあって、外来の疫病や悪霊を防ぐと言われる神です。のちには、縁結びの神、旅行安全の神、子どもと親しい神とされました。男根形の自然石や、石に文字や像を刻んだものなどがあります。


市営駐車場まで戻り、次は長野県に向かいます。ふたたび、町を囲む山々の美しさに見入りました。

満開の桜に見送られて、出発。^^


いよいよ、長野県です。
八ヶ岳エコーラインに入りました。


【八ヶ岳エコーライン】
長野県茅野市から諏訪郡原村を経由し、諏訪郡富士見町に至る広域農道です。田園地帯を取り囲むように、八ヶ岳連峰・美ヶ原の大パノラマが広がっています。


こんな風景が、ずっと続くんですよ。すばらしいです。^^

さすが長野県、っていう感じ。もう世界が違いますね。^^


茅野市にはいったということで、
予約しているホテルは、
もうすぐそこです。
夫は、森の中で車を停め、
ホテルの場所を地図で確認しました。
そのとき、なにげなく前を見たら、
すごいことになっていました。


シカですよ…。笑


「MIYOちゃん、シカだよ。」
という言葉に起こされ、
MIYOも車の中から外を見ました。


たしかに、シカです。笑 無心に、なにかを食べています。よく見たら、斜面の下のあたりに、10匹以上いました。すごい~。かわいい~。笑


「なにか、エサをあげたいね。」
ということで、
少し離れたところから、
ポテチを投げたのですが、
かえって警戒されたみたい。😅
2匹は、斜面の下に
逃げて行ってしまいました。


車の中で居眠りしてたら、
普通にシカが寄ってくるんだ…。
長野県、すごいなあ…。


…などと言ってるうちに、横谷峡に到着しました。

ここは遊歩道になっていて、現在地からだと、乙女滝はすぐそこです。ちなみに、宿泊する予定のホテルは横谷峡の中にあり、乙女滝のすぐ隣りです。

せっかくなので、少しだけ歩いてみることにしました。

乙女滝まで、0.1km。

乙女滝です。

この滝では、12月下旬から3月下旬まで、氷瀑群が見られるそうです。氷瀑とは、山々からしたたり湧いた水滴が凍り、滝自体が氷の芸術品になったものです。

このころは3月下旬だったのですが、今年は暖かいせいか、氷瀑はなくなっていました。

ここには、大河原堰があり、世界かんがい施設遺産に登録されているそうです。


【横谷峡谷にある滝之湯堰と大河原堰】
今から200年以上前に、坂本養川(さかもとようせん)が高島藩に請願して開削された農業用水路です。蓼科山から流れ出る滝ノ湯川を取水源としており、1785年に滝之湯堰10.4kmが、そして1792年に大河原堰12.5kmが完成しました。これによって、用水が安定供給されるようになり、米の収穫量が大幅に増えました。現在もかんがい用として利用されています。


堰ができるまで、
このあたりでは、水不足のため、
畑を水田にすることが
禁じられていました。
が、堰が開削されたおかげで、
水田が増え、村の人々も、
安定した生活がおくれるようになったそうです。


乙女滝は、この時に作られた、人工の滝でした。硬い岩のある崖を利用して滝を作り、流れを堰に引き込んでいます。乙女滝で落とした流水は、樋で渋川へ渡します。

横谷峡を流れ続ける水。坂本養川の尽力があってこそのものでした。


大河原堰は、
自然の地形を活かした画期的な水路
と言われています。
200年以上経過した今もなお、
利用者によって維持管理され、
たいせつに受け継がれているそうです。


(つづく)

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