MIYO'S WEBSITE - 全盲難聴のんたんの記録と卵巣ガン、そして旅日記。

超未熟児で生まれた後遺症で、全盲難聴(盲ろう)となったのんたん、双子の妹あみちゃんと共に楽しく生きる家族のお話です。
子どもたちは24歳になり、毎日元気に楽しく暮らしています。
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コロナでも雛旅。古(いにしえ)の雛を訪ねる、4泊5日の長野・岐阜・愛知 5 - 台ヶ原宿を歩く(2021年3月26日/1日め)

2021年3月26日 「日本の道百選 甲州街道台ヶ原宿」で。(山梨県北杜市)


3月26日


山梨県北杜市の
台ヶ原宿に来ています。


台ヶ原宿の起源は明らかではありませんが、甲斐国志に記述が残ることから、甲州街道の設定以前から、交通集落としての機能を果たしていたと考えられます。1618年(元和4年)に、甲州街道に宿請が申し渡され、この頃から宿場として整備拡充されていったようです。江戸より数えて40番目の宿場でした。

ここまで、山梨銘醸の敷地を横切りながら、歩いて、七賢醸造元まできました。ここからは、旧甲州街道を、甲府市の方向に向かって歩いてみます。

通りには、古そうな家屋が軒を並べています。

このあたりは、問屋場跡だったのだそうです。人馬継ぎ立ての駅務を行う事務所です。

さらに、歩いても歩いても、古い家屋ばかり。その数に驚きます。

もっと驚くのは、その多くに、今も住んでいる方がいらして、家もきちんと手入れされているということです。

家の横に、駐車場の門を普請されたみたいですが、それもまた、同じようなテイストを守ろうとされているのがわかります。

今は駐車場になっていますが、郷倉跡と高札場跡だったそうです。郷倉は、非常時のために造られた備蓄庫で、高札場は、幕府からの命令を板の札に墨で書いて掲示した場所でした。

本陣跡と、秋葉大権現常夜石燈籠。本陣は、大名が陣を敷いたところ(大名級の者が宿泊したところ)でした。石燈籠は、台ヶ原宿が火災と水害に見舞われた時に起因して、慶應3年に、旧小松家(本陣屋敷跡)に建てられたそうです。

大きな杉玉が吊るしてある家。かつては酒屋だったようです。

もう誰も住んでいないと思われる家と蔵。

そして蔵のあとには、長い塀が続いていました。

立派な家屋です。

こんな家屋もありました。昔から続く家の骨組みを残しながらも、新しい住まいを作りあげています。街の景観を損なわないようにしながらも、すっきりとしたモダンな雰囲気。かっこいいなあ…。

古い家屋と低い土塀が残る、「甲州街道 台ヶ原宿」。かつてここは、旅人や馬が行きかう、にぎやかな宿場でした。


今はただ、
静かな町並みが残るのみです。
人通りのない甲州街道を、
夫とふたりで、
のんびりと歩きました。


(つづく)

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