MIYO'S WEBSITE - 全盲難聴のんたんの記録と卵巣ガン、そして旅日記。

超未熟児で生まれた後遺症で、全盲難聴(盲ろう)となったのんたん、双子の妹あみちゃんと共に楽しく生きる家族のお話です。
子どもたちは24歳になり、毎日元気に楽しく暮らしています。
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コロナでもウポポイ。登別から函館を訪ねる北海道 4泊5日のおトク旅 26 - 道具と「かなでる」へ(2020年11月30日/4日め)

(2021/04/04 13:00記)

2020年11月30日 「旧イギリス領事館」で。(北海道函館市・元町末広町伝統的建造物群保存地区)


11月30日


函館市北方民族資料館に来ています。
展示は、「着飾る」から「道具」へと
うつっていきます。


「着飾る」のコーナーに入れてもいいようなバッグ。帯部分の刺繍がすばらしいです。
左:千島アイヌのバッグ。素材はテンキ草。
右:ウィルタのバッグ。素材はトナカイ皮と木綿。

イクパスイ・イクニㇱ(捧酒箸)
儀礼用具のひとつでした。盃にお酒を注ぎ、その上に渡す形で供えました。儀式の中で炎の神に捧げる(燃やす)ことも多かったそうです。代表的なアイヌ工芸品の中でも特に多くつくられたものです。イクパスイには複雑な彫刻が施され、その時々の神(熊、シマフクロウ、シャチなど)をかたどったものもあります。

中には、和人の手によって漆が塗られているものもあります。

上:北海道アイヌの狩猟用矢筒と樺太アイヌの槍。
下:イテリメンの犬ぞり(ひとり用)

北海道アイヌの儀礼用矢筒

樺太アイヌ・北海道アイヌのマキリ(小刀)。

上:火皿、火打ち入れ
中:煙草入れ
下:キセル

なぜか夫が撮っていた、「北方圏の熊送り分布」図。北部は狩り熊型、樺太あたりまで南下すると飼い熊型が多かったようです。


そして最後は、
「かなでる」のエリアでした。


アイヌの人の暮らしを再現した映像が流されていました。

宇梶剛士さんが出演した映像もありました。
母親の宇梶静江さんは、アイヌの詩人・古布絵作家で、民族運動家です。叔父の浦川治造さんは、アイヌの著名なエカシ(長老)で、アイヌ文化奨励賞受賞者です。東京アイヌ協会名誉会長で、現在も関東におけるアイヌのリーダーの一人として活動を続けておられるそうです。


思いがけないところで宇梶剛士さんを見て、
うれしくなりました。
「北海道では、現在、
 純粋なアイヌはいないそうです。」
とか、ガイドさんに言われ、
さびしく思っていました。


でも、いなくなったわけではないですよね。
アイヌの血や歴史、誇りといったものは、
日本という国の中に、確かに残っているのです。
それを、宇梶剛士さんが、
見守ってくれているような気がしました。


この北海道の地に、かつては、
アイヌの人々のおおらかな暮らしがあったことを、
私たちも忘れてはいけない、と思いました。


最後に入った部屋です。日本銀行時代の支店長室と支店長応接室が、今も残されていました。

腰壁のタイルは、京都の美術工芸品として名高い「泰山タイル」ではないかと言われているのですが、さだかではないそうです。


旧日本銀行函館支店だった頃の名残を
今も残している部屋を見て、
函館市北方民族資料館の見学を終えました。
すごく見ごたえのある資料館で、
ここで一時間以上過ごしたと思います。笑


ツアーと違って、個人で旅行すると、
気に入ったところに好きなだけいられるのが、
うれしいですね。^^


さて。
旧日本銀行があったことでも
おわかりのように、
末広町・元町周辺は、「函館発祥の地」として、
商業・経済の中心的機能を
果たしてきた地区でした。


その当時の歴史的建造物が、
今も多く残っており、1989年に、
重要伝統的建造物群保存地区
と指定されました。
次は、この、
「元町末広町伝統的建造物群保存地区」
を、歩いてみます。


(つづく)

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