MIYO'S WEBSITE - 全盲難聴のんたんの記録と卵巣ガン、そして旅日記。

超未熟児で生まれた後遺症で、全盲難聴(盲ろう)となったのんたん、双子の妹あみちゃんと共に楽しく生きる家族のお話です。
子どもたちは24歳になり、毎日元気に楽しく暮らしています。
卵巣ガンになって思ったことも、少しずつ書き始めました。
ベトナム日記は、
http://limings.muragon.com/tag/?q=2019%E5%B9%B49%E6%9C%88-10%E6%9C%88%E3%80%80%E3%83%99%E3%83%88%E3%83%8A%E3%83%A0&p=4 
をご覧ください。
ベトナム家族旅行:
https://limings.muragon.com/tag/?q=2017%E5%B9%B412%E6%9C%88%E3%80%80%E3%83%99%E3%83%88%E3%83%8A%E3%83%A0
小学生だったころの子どもたちの育児日記は、こちらです。
http://limings.sweet.coocan.jp/

コロナでも上州。週末にのんびり歩く群馬 1泊2日のおトク旅 13 - 本陣「旅籠」(2020年11月13日/1日め)

2020年11月13日 「かやぶきの郷 薬師温泉 旅籠」で。(群馬県吾妻郡東吾妻町)


11月13日


ここまで、長くて楽しい道のりでした。


枕木街道沿いに、
 薬師温泉長屋門
 蕎麦匠房まくらぎ
 町人長屋
 筒描きと時代箪笥回廊
 招福七連鐘堂
 日本一の鉄大釜
 南部曲がり家 木村家(薬師願処)
 時代もの展示処
 出羽の国 紺野家
 濱田邸
…と歩いてきました。


そして、その枕木街道の最終地点が、
本陣「旅籠」なのです。


7000坪もある「かやぶきの郷」の、
半分以上を占めているのが、
この、ホテル部分なのです。
つまり、今まで歩いてきた部分は、
「ホテルの中庭」にあたるわけですね。笑


山の中に、
ただ一棟の宿泊施設を作るだけでなく、
これだけの郷を
作りあげてしまったんですね…。
すごいスケールだと思います。

浅間隠山の山懐に抱かれた、本陣「旅籠」。


本陣(ほんじん)とは、 
江戸時代以降の宿場の呼び名でした。
特に、身分が高い人が泊まった建物のことを、
「本陣」と言い、
大名や旗本、幕府役人、勅使、宮門跡らが
利用しました。


門を入ります。

一歩中に入ると、こんな世界が広がっていました。

朝陽を背負って、雪の上を飛ぶ鶴。見事な筒描きです。

さらに左の方向に歩いてみます。天井のライトに照らされた部分がフロントです。いちばん奥にあるラウンジまで、歩いてみます。

通路脇に置いてある台車も、こんな感じです。竹で編んだカゴを取り付けた「荷車」ですよ。こんなところにまで、演出に抜かりはありません。^^ この荷車に宿泊客の荷物を入れて、客室まで運ぶようです。

そして随所に置かれている、貴重な品々。これは、薬売りの箱天秤でした。中に薬を入れ。肩にかついて売り歩いたようです。

古い箪笥の上に置かれた、獅子頭(明治時代)。箪笥の引き出しに施された細工も、見事です。
(パネルより)元は唐から伝来した舞楽であった獅子舞が、後に五穀豊穣を祈願する神事となりました。獅子は災難をくいとめ、万物を鎮めると云われていて、昔から、「魔除け」「厄除け」の守り神として、床の間や玄関に飾る地方もあります。

通路の奥にあるのが、ラウンジです。イスとテーブルにご注目ください。大木を削って作ってあるんです。すごいですね。

窓の向こうは、テラスになっています。行ってみることにしました。すると…、

こんな世界が、目の前に広がっていました。

あまりに美しくて。言葉になりません。


愛らしいもみじが、
すぐ目の前で、羽を広げたように、
美しい姿を見せてくれていました。
胸がしめつけられるようでした。


こんなすばらしいところなのに、
宿泊客が、誰もいないのです。
ここに来るまでも、他の人に遭うことは、
ほとんどありませんでした。


コロナ禍のせいとはいえ、
この日、私たちは、かやぶきの郷を、
ほとんど貸し切り状態で
歩き続けたわけです。
ゆっくりと、静かな散策を
楽しむことはできました。
でも、それと共に、
なにか悲しい気持ちも感じていました。


この郷に、再び多くの人が訪れるように、と
祈らずにはいられませんでした。


(つづく)

×

非ログインユーザーとして返信する