MIYO'S WEBSITE - 全盲難聴のんたんの記録と卵巣ガン、そして旅日記。

超未熟児で生まれた後遺症で、全盲難聴(盲ろう)となったのんたん、双子の妹あみちゃんと共に楽しく生きる家族のお話です。
子どもたちは24歳になり、毎日元気に楽しく暮らしています。
卵巣ガンになって思ったことも、少しずつ書き始めました。
ベトナム日記は、
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をご覧ください。
ベトナム家族旅行:
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小学生だったころの子どもたちの育児日記は、こちらです。
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コロナでも上州。週末にのんびり歩く群馬 1泊2日のおトク旅 12 - 濱田邸(2020年11月13日/1日め)

2020年11月13日 「かやぶきの郷 薬師温泉 旅籠」の玄関です。(群馬県吾妻郡東吾妻町)


11月13日


「出羽の国 紺野家」を出て、
枕木街道を降り、
「濱田邸」にやってきました。

濱田邸(合掌入母屋造り)です。邸の前には、古い材木が一面に敷きつめてあります。おそらくこれも、枕木ではないかと思います。歩くと、木の柔らかい感触が足に伝わります。


【濱田邸】
88坪の茅葺家屋で、人間国宝の陶芸家である濱田庄司氏と次男晋作氏が、居宅として自ら建築したものでした。陶芸作家よりも木工作家になりたかったという晋作氏が、設計から材木選びまで、費用も時間も手間暇を惜しまず、思いを込めた建てたそうです。日本の木の特徴を熟知した氏の美意識がそのまま映し出されていて、かやぶき民家の最高傑作と言われています。この家には、かつて、バーナード・リーチ、棟方志功など、多くの文化人や民芸運動家が訪れたそうです。益子焼で有名な栃木県益子町より、平成11年から二年の歳月をかけて移築しました。現在は、宿泊した方の「夕げ処」として、囲炉裏を囲みながら、本格的な炭火・囲炉裏料理を楽しめる場所となっています。また、濱田庄司・晋作・友緒ギャラリーを併設しています。


宿泊すると、ここでお食事ができるようです。(画像をお借りしました。)


私たちは宿泊者ではないので、
ギャラリーだけを、
見せていただきました。


ギャラリー内部です。


濱田 庄司氏(1894年-1978年)は、
主に昭和に活躍した日本の陶芸家です。
次男の濱田晋作氏、三男の濱田篤哉氏
孫(晋作の次男)の濱田友緒氏は、
いずれも陶芸家として活躍しています。
また、四男の濱田能生氏は、
硝子工芸家だそうです。
すごい一族ですね。^^


濱田庄司・晋作・友緒 親子三代作陶展。

濱田庄司氏の作品です。

参考:濱田晋作氏(濱田庄司氏の次男)の作品「赤絵盃」です。(画像をお借りしました。)

濱田友緒氏(濱田晋作氏の次男)の作品「地掛縞赤絵角皿」です。益子焼の伝統に造形のセンスを加えた作風で、新しい益子焼の作品を数多く作っているそうです。


親子三代が陶芸家というのは、
すごいですね。
さすがに、お三方のお顔が、
よく似ておられます。^^(←そこ?笑)


参考:硝子工芸家・濱田能生氏(濱田 庄司氏の四男)の作品です。(画像をお借りしました。)

2階に続く階段は、箱階段になっていました。窓の障子と重なっている部分があるので、おそらく作り付けではなく、可動式ではないかと思います。残念ながら、階段を上がって二階に行くことはできませんでした。

濱田邸を出ると、目の前が本陣です。ここは、左側のラウンジにあたる部分です。

建物に沿って右手に歩くと、「旅籠」のエントランス部分になります。

下の写真は、さきほど、枕木街道を降りて来たときに見えた本陣。真ん中の灯篭のある部分がエントランスです。

エントランスです。「これが本当にホテル?」と、ちょっと戸惑いました。^^

上品で、それでいて温かみのある雰囲気です。


「やすらぎの郷 薬師温泉 旅籠」は、
上州吾妻にある、
浅間隠山の山懐に抱かれた
静かな一軒宿です。


「やすらぎの郷」の外観です。周囲は、本当に、山しかありません。あまりの美しさに、見とれてしまいました。(画像をお借りしました。)


それでは、
「旅籠」の本陣に入ってみましょう。


(つづく)

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