コロナでも上州。週末にのんびり歩く群馬 1泊2日のおトク旅 7 - 南部曲がり家 木村家③(2020年11月13日/1日め)
2020年11月13日 「かやぶきの郷 薬師温泉 旅籠」で。「南部曲がり家 木村家」から見た山の風景です。紅葉が見事でした。と言うか、かやぶきの郷の周囲には、山しかありません。笑(群馬県吾妻郡東吾妻町)
11月13日
「南部曲がり家 木村家」の2階を埋めつくす、
膨大な数の人形たち。
もともと、この2階部分は、
使用人たちの寝室だったのだそうです。
そのため、何室にも間仕切りされていました。
さらに、カイコを飼うための蚕室までありました。
これらの間仕切りを取り外し、
廊下を付けることによって、
壮大な展示空間を作り上げてしまったのです。
ガラスケースにびっしりと置かれた、こけし。2階部分では、壁と言う壁にはすべて、人形や郷土玩具が並びます。
こんなにも多種類のこけしがあったことに驚きました。
何十年もの年月をかけて蒐集された方々です。寄贈された皆様の思いに、頭がさがります。
なまはげや竿灯など、日本の祭りがモチーフになったものもありました。そのすぐ上に見えているのが、茅葺き屋根の内側です。
屋根が、こんな近くに見えますよ…。
それでは、1階に降りてみます。
本当に美しい設えですね…。
1階の小部屋も、このとおり。人形の数があまりに数が多すぎて、2階に収まりきれなかったのでしょうか。こちらでは、古い箪笥や小机の上に置いて、展示されています。
土間に降りてみます。「支度処」とあるのは、実は、関係者の事務室です。こんな演出もいいですね。^^
「支度処」の上の壁にも、味のある展示が並んでいます。
お薬屋さんの看板だったようですね。「くぷーのきせ」と読んでしまいそうですが。笑
これも、お薬屋さんにかけられていた商標のようです。こういうものの価値を見出し、ここに飾ろうと思った方、すごいと思います。
こんなものもありました。「欅材置き台鉋(けやきざいおきだいかんな)」です。大きなイスのようなものですが、これは鉋(かんな)なのです。木の板を薄く削り、折(へぎ)を作るための、置き台鉋と呼ばれるものです。
【欅材置き台鉋(けやきざいおきだいかんな)】
明治・大正時代までは、食べ物を包む物(包装材料)が余りなかったので、日常は、主として、竹の子の皮や折(へぎ)を使っていました。折り(へぎ)は、木を薄く削って作られたのですが、そのために使用したのが、欅材置き台鉋です。
欅材置き台鉋。
いったい、どこから運ばれてきたのでしょう。
よくぞ、ここに残してくださった…。
感動するばかりです。
1階土間部分のいちばん奥には、恵比寿大黒様をご神体とする、「薬師願所」があります。
もしかして、昔はこの場所で、
馬を飼っていたのではないかな…。
なんて、勝手に想像しました。
だって、南部曲がり家ですもの。^^
事実、この曲がり家の中では、
農耕馬を2頭買っていたそうです。
訪れた方が奉納した絵馬が結んでありました。
帰り際に、玄関のそばで見つけた、タヌキの置物です。木の年輪模様をそのまま活かした、見事な作りでした。表情もいいですね。^^
青空に映える、茅葺き屋根。
家の外に出て、もういちど振り返りました。
南部曲がり家 木村家。
美しい佇まいです。
もともとは、諏訪出身の豪農の末裔が
最上川上流に建てた屋敷だったのだそうです。
420年前の天正時代に、
秀吉との戦いに敗れて、
蔵王連峰の山奥まで落ち延びたのが、
この家の始まりでした。
日本の、たいせつな遺産だと思いました。
けれど、もし、この家が、
普通の「南部曲がり家」として
ここにあったら、私たちは、
これほどまでに時間をかけて、
家の内部を見てはいなかったのではないか、
とも思います。
家の中にある、膨大な数の人形や、
多くの古民具…。
そんなもののひとつひとつを
丹念に見せていただくことで、
この家は、さらに暖かく、穏やかで、
深みのある場所になっている…。
そんな気がしました。
人形や郷土玩具を寄贈してくださった、
全国の蒐集家の皆さんに、
あらためて、心から感謝したいと思います。
この曲がり家を美しく蘇らせた宮大工棟梁・茂沢和幸氏による説明パネルが、残されていました。
(つづく)