MIYO'S WEBSITE - 全盲難聴のんたんの記録と卵巣ガン、そして旅日記。

超未熟児で生まれた後遺症で、全盲難聴(盲ろう)となったのんたん、双子の妹あみちゃんと共に楽しく生きる家族のお話です。
子どもたちは24歳になり、毎日元気に楽しく暮らしています。
卵巣ガンになって思ったことも、少しずつ書き始めました。
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ベトナム家族旅行:
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小学生だったころの子どもたちの育児日記は、こちらです。
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コロナでも上州。週末にのんびり歩く群馬 1泊2日のおトク旅 3 - 筒描きと時代箪笥回廊(2020年11月13日/1日め)

2020年11月13日 「筒描きと時代箪笥回廊」で。(群馬県吾妻郡東吾妻町)


11月13日


「蕎麦匠房まくらぎ」の前にある、
枕木街道を降りてみました。


きれいに手入れされた、茅葺き屋根が見えますね。^^

階段を降りると、目の前に、茅葺き屋根。そしてその奥に、古い建物が見えます。

地図で見ると、こうなります。「薬師温泉長屋門」を抜け、「蕎麦匠房まくらぎ」でお昼ごはんをいただき、「筒描きと時代箪笥回廊」の前まで来ました。

「筒描きと時代箪笥回廊」の中に入りました。長い回廊が、ずっと奥まで続いています。


箪笥は、日本の民具を代表するものです。
しかし、正倉院で見られる初期の収納家具は、
厨子、厨子棚、四足櫃や葛籠といったもので、
すべて、貴族階級のものでした。
民衆は着たきり雀で、収納するべきものを、
そもそも持っていなかったのです。


貴族以外の人たちが収納家具を持つようになるのは、
経済が発展し、
民衆が台頭しはじめる、
戦国時代からであったそうです。


今まで、「箪笥」というものを、
深く考えたことがありませんでした。
が、「箪笥」があるということは、
「収納するものを持っている」
ということなんですね…。


ここに来てみて、
人々の豊かさの証が、箪笥であったのだ、
と、初めて気がつきました。


入り口を入ってすぐのところにたくさん並んでいるのは、船箪笥です。文化・文政年間から明治にかけて、日本近海を周航する廻船の船長や高級船員たちの必需品でした。堅牢でありながらも装飾を兼ねるといった工夫が施されています。

夏に、石川県・北前船の里資料館で見たのを、思い出しました。こんな山深いところで再会できるとは。^^ (2020年7月26日)


北前船の里資料館の詳細は、こちらです。


こんな大きな箪笥もありました。

回廊の右側には箪笥、そして左側には、美しい筒描きと生活用品が並んでいます。

箪笥に隠れてあそぶ夫。(コラコラ…😅)

ひとつひとつに見入ってしまって、なかなか先に進めません。

ここで行き止まり、ではありません。ここから左に曲がって、回廊はまだまだ続きます。

引き出しがあるので、これも一応箪笥になるようです。両替屋の天秤(江戸時代・富山県地方)として使われました。

車箪笥。非常持出用に、車がついていました。実際には、火事の際に箪笥が避難路をふさぎ、大惨事につながることもあったそうです。そのため、1657年の明暦の大火後、車箪笥は禁止されました。が、地方では使い続けられ、独特のおもしろい形になっていきました。

帳箪笥。商家の帳場で使われたものです。材料の金具や木を吟味した上等品が多かったそうです。

薬箪笥。漢方薬を入れておくための小さな引き出しが、たくさん並んでいます。

刀箪笥。武家で使用されたものです。ひとつの引き出しには、三振りから五振りの大小の刀を入れるように作られていました。

鍵付きなんですね。

細い通路の奥にあるのは、「厠」です。そしてさらに、その先を左に曲がって、展示が続きます。まさしく、「回廊」ですね。^^


「筒描きと時代箪笥回廊」は、
展示が多すぎて、一回で終われません。
この先の展示は、次回に続きます。


(つづく)

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