コロナでも美の国。バスツアーでめぐる秋田 2泊3日のおトク旅 25 - 世界遺産 中尊寺④と弁慶の墓(2020年10月27日/3日め)
2020年10月27日 東北新幹線 やまびこ220号。かっこいいフォルムですね。
10月27日
中尊寺見学も、もうあと少しになりました。
左手に眺望が開けたら、
いよいよ、弁慶堂は目前です。
⑲東物見台
弁慶堂のすぐそばにある展望台です。眼下には、芭蕉が見たであろう、平泉の街並みを見ることができます。眼下は一面の田畑で、東北のおだやかな風景が広がっています。天気がいい日には、山々がきれいに見えることから、人気のスポットとなってます。
遠くにゆるくカーブを描いて流れる大河が北上川、左手から衣川が流れ、北上川に合流しています。平安初期まで、この衣川以北は、中央政府の支配が及ばない「外地」であり、この川が内なる境界となっていました。いにしえの都人の歌にも多く詠まれ、歌枕にもなっている、名に知られた衣川です。水田となっている一帯は、前九年の合戦の舞台となった衣川古戦場、また弁慶立往生の地と伝えられています。
北上川の向こうに望めるのが束稲山。「きゝもせず束稲やまのさくら花よし野のほかにかゝるべしとは」と、平安時代の歌人、西行法師が平泉を訪れた際に詠んだところです。奥州藤原氏が栄えた当時、この束稲山に1万本の桜が植えられていました。
そして、ようやく、
弁慶堂に到着しました。
⑳弁慶堂
1827年(文政10年)の建立で、ご本尊は勝軍地蔵。古くは愛宕堂と称していましたが、義経・弁慶の木像を安置していることから、明治以降は弁慶堂と呼ばれるようになりました。堂内の格天井には60種余りの草花が描かれています。表参道沿いには諸堂が点在しますが、ほとんどが江戸時代中期以降に再建・移築されたものです。
弁慶の木像が見えました。
これでようやく、
最後の見学スポットが終わりました。
集合時間まで、
あと10分ちょっとしかありません。
月見坂を、ダッシュで駆けおります。笑
(21)月見坂
中尊寺は標高130メートルほどの東西に長い丘陵に位置しているため、古くから、この坂が本堂・金色堂へと参拝する人々の表参道として利用されてきました。参道の両脇には、江戸時代に伊達藩によって植樹された樹齢300年を数えようかという幾本もの老杉が木陰を作り、参拝客を迎えます。松尾蕉翁をはじめ多くの旅人が、ここで足を止め、眼下に広がるその光景を眺めたことでしょう。
いっきに駆けおりた月見坂。すごい勢いで走ったので、写真を撮る余裕がありませんでした。笑(画像をお借りしました。)
そして、中尊寺入り口まで戻りました。
美しく、威厳があり、そして風情のあるお寺でした…。
中尊寺の入り口を出て、
さらに走り続ける私たち。
あと5分です。
信号の向こうに、
バスが停まっているのが見えました。
よかった~。間に合った~。😄
…と安堵するまもなく、
またも多動夫のひとことが…。
「オレ、弁慶の墓に寄っていくから、
先にバスに乗ってて。」
ああ、またですか…。😂😂😂
バスまでは、信号を渡って1分。
目の前にある弁慶の墓に、
3分くらいはいられそうです。
ええい、しかたない。
「じゃあ、私も行くわよ。🤣🤣」
時計とにらめっこしながら、弁慶の墓エリアに入りました。「3分だからねっ。それ以上はだめだよ。」
そのまま、弁慶の墓に突進。🤣🤣🤣
夫から、
「はい、そこに並んで。写真撮ってあげるよ。」
と言われましたが、拒否。
いくらなんでも、お墓のとなりに立って、
記念写真を撮るシュミはないです。笑
こうして、中尊寺60分一本勝負も、
なんとか完了。
集合時間の30秒前に、
バスに乗り込みました。😅
これで、すべての観光が終わりました。
これから、東京に向かって、
帰路の旅です。
バスから見えた夕焼けがきれいでした。私たちへのはなむけみたい。^^
バスは、東北道をがんがん走りました。
そして、安達太良SA(福島県本宮市)で休憩です。
安達太良SA(画像をお借りしました。)
上の写真は昼間ですが、実際に着いたときには、日はとっぷりと暮れていて、こんな感じでした。
安達太良SAって、福島県本宮市なんですよ。笑
朝、秋田の武家屋敷にいたのに、
午後は岩手の中尊寺。
そして今は、なんと福島です。
東北をがんがん走ってめぐるこのツアー。
ほんと、おもしろいです。^^
さて、このSAには、
マニアが大喜びするものがあるのですが、
それはまた次回に。
次はいよいよ、最終話になります。
(つづく)
















