MIYO'S WEBSITE - 全盲難聴のんたんの記録と卵巣ガン、そして旅日記。

超未熟児で生まれた後遺症で、全盲難聴(盲ろう)となったのんたん、双子の妹あみちゃんと共に楽しく生きる家族のお話です。
子どもたちは24歳になり、毎日元気に楽しく暮らしています。
卵巣ガンになって思ったことも、少しずつ書き始めました。
ベトナム日記は、
http://limings.muragon.com/tag/?q=2019%E5%B9%B49%E6%9C%88-10%E6%9C%88%E3%80%80%E3%83%99%E3%83%88%E3%83%8A%E3%83%A0&p=4 
をご覧ください。
ベトナム家族旅行:
https://limings.muragon.com/tag/?q=2017%E5%B9%B412%E6%9C%88%E3%80%80%E3%83%99%E3%83%88%E3%83%8A%E3%83%A0
小学生だったころの子どもたちの育児日記は、こちらです。
http://limings.sweet.coocan.jp/

コロナでも滋賀県。湖の国(うみのくに)を歩く、3泊4日のおトク旅 15 - 比叡山延暦寺②(2020年9月23日/2日め)

2020年9月23日 比叡山延暦寺・阿弥陀堂。


9月23日


根本中堂を出て、
目の前の石段を上がりました。
石段の向こうに、なにか見えています。


文殊楼です。1688年(寛文8年)のもので、比叡山の総門の役目を果たす重要な楼門です。文殊菩薩がまつられていて、受験生の合格祈願に人気があります。谷崎潤一郎の小説「二人の稚児」の舞台にもなっていて、柔らかい質感を感じさせる佇まいです。(大津市指定文化財)


文殊楼に祀られているのは、
知恵を司ると言われる「文殊菩薩」です。
楼の階上にあがって、
お参りすることができるようになっていて、
夫はさっそく上って、
階上もくまなく見ていました。


鐘があったら撞いてみたいし、
階段があったら、上がってみたい…。
私はもう、疲れきっていて、
ついていけません。😂😂


横から見た文殊楼。たくさんの絵馬がかけられています。

大黒堂。かっては政所、食堂ともいわれていました。日本で初めて大黒様がお祀りされたところだそうです。ご本尊に、大黒天、毘沙門天、辨財天の三つの顔を持つ三面大黒天がお祀りされています。この大黒様は、商売繁盛、五穀豊穣などのご利益があるとされています。豊臣秀吉も深く信仰していたそうです。

阿弥陀堂。延暦寺開創1150年を記念して、昭和12年に建立されたものです。先祖や故人を供養するお堂で、毎日回向法要が行なわれています。京都伏見の国宝・法界寺阿弥陀堂を模した建物で、本尊として阿弥陀如来が祀られています。

側面から見たところ。秋のウロコ雲に映えますね。

阿弥陀堂は、法華総持院東塔(ほっけそうじいんとうとう)と並んで建っています。

右が阿弥陀堂で、左が法華総持院東塔です。

法華総持院東塔の前まで歩きました。阿弥陀堂がこんなふうに見えます。

法華総持院東塔。伝教大師(最澄)は、日本全国6カ所の聖地に宝塔を建立しました。法華総持院東塔はそれらを総括する宝塔で、根本中堂と共に、重要な信仰道場です。1980年、信長の焼討ちから400年ぶりに再建されました。塔の朱と自然の緑が溶け合って、優美なコントラストを見せています。

周囲は樹木が生い茂っていて、たいへん静かな環境です。訪れているのも、私たちだけ。ゆっくりと拝観することができました。


ここで、延暦寺の拝観は、
ひとくぎりとしました。
全部見るためには、まだまだ、
何度も来なければならないようです。


阿弥陀堂から、駐車場まで戻りました。途中、琵琶湖が見渡せる場所があり、眺望を楽しみながら歩きました。

延暦寺の概略図です。東塔、西塔、横川のみっつのエリアで構成された、広大なお寺です。


私たちがこの日歩いたのは、
上の地図の左下の、小さな部分です。
拡大してみると、下の地図のようになります。


バスセンターから入山し、大講堂、根本中堂、(文殊楼、大黒堂を通って)延暦寺会館まで行き、そこから引き返して、阿弥陀堂、法華総持院東塔まで歩きました。地図ではとても小さく見えますが、2時間近く歩いたような気がします。延暦寺は、本当に広かったです。😂


この日の朝は、
ミシガンクルーズから始まったんですよ。
あまりにもいろいろありすぎて、
もう、忘れちゃってましたよね…。😂


ようやく、ホテルに戻りました。


いつものことながら、
夫が企画した旅行は、
旅行というよりも「行軍」に近く、
「怒涛の市内観光」で明け暮れます。
本日も、疲労困憊です。


(つづく)

×

非ログインユーザーとして返信する