コロナでも滋賀県。湖の国(うみのくに)を歩く、3泊4日のおトク旅 12 - 三井寺⑤(2020年9月23日/2日め)
2020年9月23日 三井寺・西国十四番札所観音堂で。
9月23日
展望台から、
「西国十四番札所観音堂」を見下ろしました。
左から、観音堂、百体堂、観月堂です。
観音堂の屋根が、この高さで見られます。
展望台に、そろばんの珠をあしらった、「大津そろばんの碑」がありました。大津は、そろばん発祥の地なのだそうです。毎年春、全国珠算教育連盟滋賀県支部主催の大津そろばん祭りが、この碑の前で行われ、そろばん供養がとり行われています。
再び、観音堂前に戻りました。
最後に、観音堂にお参りしていきます。
写真右端に見える小さな像が、賓頭盧尊者(びんずるそんじゃ)です。
賓頭盧尊者(びんずるそんじゃ)。十六羅漢の筆頭に挙げられるお釈迦様の弟子。親しみを込めて、「びんずるさん」「おびんずるさん」とも呼ばれます。気軽に触れることができる、「撫で仏」です。“自分の体の悪い所と同じところをなでると良くなる”とされています。あちこち触られて、すり減っていますね。^^
鐘楼(童子因縁鐘)。観音堂と百体堂の間にあります。1814年(文化18年)に建立されました。(重要文化財)
【鐘楼(童子因縁鐘)の伝説】
この鐘を鋳造するに際し、当時の僧たちが、大津の町々を托鉢行脚しました。 とある富豪の家で勧進を願ったところ、その家の主は、「うちには金など一文もない。 子供が沢山いるので、子供なら何人でも寄進しよう」と言い、金を出しませんでした。ところがその後、梵鐘が出来上がると、不思議にもその鐘には三人の子供の遊ぶ姿が浮かび上がっていました。そしてその日に、かの富豪の家の子供三人が、行方不明になったそうです。
この鐘楼の鐘は、残念なことに、
第二次世界大戦で供出の憂き目にあい、
失われてしまいました。
今では、鐘が取り外されたままで、
鐘楼だけが残っています。
観音堂は、見どころが多すぎて位置関係がわかりにくいのですが、下の図のようになっています。微妙寺から毘沙門堂を通り、十八明神社横の石段を上がって行くと、観音堂広場に着きます。観音堂から時計回りに、鐘楼、百体堂、観月堂、売店が並びます。さらに石段を上がって、展望台へ続きます。
観音堂から長い石段を降りて、水観寺へと歩きます。
⑫水観寺。西国薬師霊場第四十八番札所。1040年(長久元年)、明尊大僧正によって創建されました。三井寺の五別所寺院のひとつです。現在の本堂は、1655年(明暦元年)に再建され、1988年に現在地に移築されました。
これでようやく、
三井寺参拝が終わりました。
なんと、2時間近くかかりました。😂😂
またも、夫に騙されて、
延々と歩かされました。😂
ほんとうは、13番めのスポットとして、
護法善神堂(市指定文化財)
があるようです。
が、私たちが持っていたパンフの地図には
載っていませんでした。
三井寺参拝に、思いのほか、
時間がかかってしまったのですが、
このあとの予定もあったので、
(↑まだどっか行くのか?笑)
護法善神堂に行くのはあきらめました。
「ちょっとだけ」と夫に言われて
つきあったはずですが、
もう2時です。😂
遅い時間になりましたが、
これから、お昼ごはんの場所に向かいます。
(つづく)