MIYO'S WEBSITE - 全盲難聴のんたんの記録と卵巣ガン、そして旅日記。

超未熟児で生まれた後遺症で、全盲難聴(盲ろう)となったのんたん、双子の妹あみちゃんと共に楽しく生きる家族のお話です。
子どもたちは24歳になり、毎日元気に楽しく暮らしています。
卵巣ガンになって思ったことも、少しずつ書き始めました。
ベトナム日記は、
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ベトナム家族旅行:
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小学生だったころの子どもたちの育児日記は、こちらです。
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コロナでも滋賀県。湖の国(うみのくに)を歩く、3泊4日のおトク旅 9 - 三井寺②(2020年9月23日/2日め)

2020年9月23日 びわ湖・ミシガンクルーズで。


9月23日


オリエンテーリングのような、
三井寺の散策。笑
たいへん見どころがあり、
っていうか、見どころありすぎです。
全15スポットもあるというのに、
まだ4つしか訪ねていません。
「これ、いつ終わるんだろう?」
と、ちょっと不安に思いながらも、笑
金堂を通り過ぎて、
次のスポットへと歩きます。


美しい曲線を描く、金堂。桃山時代を代表する名建築と言われています。

同じ金堂ですが、見る方向によって、表情が変わりますね。

歩いているのは、私たちだけ。秋の日差しの中、静かな小径を散策しました。

⑤閼伽井屋(あかいや)。金堂の西に接して建つ小堂です。格子戸の奥にある岩組からは、霊泉が湧出しています。(重要文化財)

この泉は、天智・天武・持統天皇が産湯に用いたと言われています。そのため、寺は「御井寺」とされ、現在の三井寺の名の起こりとなりました。現在の建物は、この霊泉の履屋として、1600年に建立されました。桧皮葺で、三間二間の向唐破風造。随所に桃山風の装飾を施した、優美な建造物です。

⑥霊鐘堂・弁慶の引き摺り鐘。霊鐘堂の中に、「弁慶の引き摺り鐘」と呼ばれる古鐘が安置されています。(重要文化財)

「弁慶の引き摺り鐘」は、奈良時代の鋳造とされ、三井寺初代の梵鐘です。そもそも、この鐘は、承平年間(931年-938年)に、三上山のムカデ退治をした田原藤太秀郷が、琵琶湖の龍神からお礼にもらったものと言われています。秀郷が、その鐘を三井寺に寄進したのだそうです。


【弁慶の引き摺り鐘】
伝説によると、園城寺(三井寺)と比叡山との間で争いが起こったとき、武蔵坊弁慶は、この鐘を奪って、比叡山に引きずり上げたのだそうです。そして鐘を撞いてみると、「鐘が、イノー・イノー」(関西弁で帰りたい)と鳴ったのだとか。すると弁慶は、「そんなに三井寺に帰りたいのか!」と怒って、鐘を谷底へ投げ捨ててしまいました。鐘に残されている傷や割れ目は、その時のものであると言われています。


鐘を引き摺りあげる弁慶の絵。このあと、比叡山延暦寺で見つけました。

弁慶の汁鍋。弁慶の引き摺り鐘の隣りに置かれています。鋳鉄製の大器で、弁慶が鐘を奪い取った時に、残していったものなのだとか…。僧兵たちが炊事に用いたことから、「千僧の鍋」とも呼ばれています。


1000年も前の話が、
つい最近のことであるかのように、
いきいきと語られる、三井寺。
なにも知らずに来てしまったのですが、
この地の歴史の深さに、驚かされます。


それにしても。
仏の道を説くはずの僧侶たちが、
比叡山と三井寺に分かれて、
争い続けた時代があったとは…。
残念なことです。
僧兵は兵であり、
僧侶とは言えなかったのかもしれません。


⑦一切経蔵。この建物は、仏教の全ての経典、つまり一切経を納めるためのものです。(重要文化財)

中に入ると・・・、

回転式の巨大な八角輪蔵が備えられています。この輪蔵、見上げるほどの大きさで、圧倒されてしまいます。引き出しがたくさん設えてありますが、その中には、版木の一切経が納められています。もともとは、国清寺の経蔵でしたが、 1602年(慶長七年)に、毛利輝元によって移築されました。

小さなサイズの引き出しが、かわいらしいですね。^^

美しい佇まいです。


三井寺に、
こんなにもたくさんの建築物があるとは、
知りませんでした…。
そして、そのどれもが、
こんなにも美しい。


時折吹いてくる風も心地よく、
柔らかな初秋の日差しに包まれて、
広い境内を歩き続けました。


次に訪ねるのは、唐院。三重塔が見えてきました。



(つづく)

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