コロナでも金沢。3人で歩いた、3泊4日のおトク旅 17 - 加賀橋立 北前船主集落(2020年7月26 日/3日め)
2020年7月26日 加賀橋立・北前船主集落。
7月26日
金沢を出発し、次の宿泊地である、
山代温泉へ向かった私たち。
けれど、目的地まで、
すんなりと直行するはずがない、
多動夫。😂
次に車を停めたところは、加賀市でした。
「ここに、北前船の集落が、
あるらしいんだよね。」と…。
駐車場に車を停めて、集落へと歩きました。
加賀橋立 北前船主集落です。
【加賀橋立 北前船主集落】
江戸後期から明治にかけて、北前船交易で巨額の富を築き「日本一の富豪村」と言われていた橋立町。今も、その町並みが残っています。2005年、文化庁の重要伝統的建造物群保存地区に選定されました。
加賀橋立は、近世前半までは、
茅葺民家が建ち並ぶ半農半漁の集落でした。
ところが、18世紀半ばから、
北前船の船主となる者があらわれました。
1796年(寛政8年)には、
船主34名と船頭8名の存在が確認されています。
彼らは巨万の富を築き、橋立は、
「北前船にかかわる人が居住する集落」
として発展しました。
つまり、ここには、
北前船の船主たちが、
栄華を極めた時代
があったわけです。
陸路が発達していなかった時代に、
大きな輸送力を自在に操って、
各地を巡ることができた、
北前船とその船主たち。
彼らはまさに、ひとつの時代を築いたのです。
しかしその後、
汽船や鉄道輸送が発達したため、
北前船は、輸送の主役の座を追われます。
明治後半から、船主や船数が減少し、
やがて衰退していきました。
けれど、江戸末期から明治初頭の
集落の基本構成は、
今も変わらずに残されています。
宅地は、周囲を塀や石垣で囲み、
建物や塀の基礎石、石垣、参道や
宅地の石段や石敷には、
淡緑青色の笏谷石(しゃくだにいし)が
使用されました。
苔むしたそれらは、現在も残っており、
柔らかな質感を感じさせる集落となっています。
笏谷石を使用した石段が今も残る、橋立の町並みです。
集落を抜けて山林地帯を歩くと、当時の船主の屋敷跡が、今も残っています。
北前船船主 西出家屋敷跡
「北前船の里資料館」に行ってみました。
資料館の畳の上で、入場券を撮ってみました。^^
「北前船の里資料館」には、
藩政期から明治中期頃まで、
瀬戸内、日本海、北海道を舞台に活躍した
「北前船」に関する、さまざまな資料が
展示されています。
たいへん見ごたえのある、資料館でした。
資料館となっている家屋は、
橋立の北前船主・酒谷長兵衛が
1876(明治9)年に建てたものです。
つまり、当時の船主の邸を、
そのまま、資料館にしているのです。
最高級の建材を使った建物からは、
船主の豪勢な暮らしぶりを
うかがい知ることができます。
広大なお屋敷。これが全部、資料館になっています。
館内には、航海用具や船箪笥、
20分の1の船模型をはじめ、
多くの資料が展示されています。
2017年4月には、
「北前船」をテーマとしたストーリー
「荒波を越えた男たちの夢が紡いだ異空間
~北前船寄港地・船主集落~」
が、日本遺産に認定されました。
こんなちっぽけな船に、積み荷を満載し、荒波を越えていきました。
北前船は、大阪から四国、下関を抜け、はるか北海道の利尻まで航海を続けました。そして、各寄港地で売買を繰り返すことにより、莫大な利益をあげました。一隻の船が、日本各地をめぐる「総合商社」であったわけです。
航海は、早春3月に始まります。夏も秋も船で過ごし、北海道まで到達したあと、再び大阪に戻るのは、晩秋か初冬でした。
広いお座敷。お屋敷には、こんなお座敷が、いくつもあります。
北前船の和箪笥。この箪笥の数だけ、活躍した船があったということですね。^^
こんな立派なお屋敷で暮らしていた、
北前船の船主。
次回は、
その豪勢な暮らしぶりをうかがえる、
展示品の数々をご紹介します。
(つづく)