MIYO'S WEBSITE - 全盲難聴のんたんの記録と卵巣ガン、そして旅日記。

超未熟児で生まれた後遺症で、全盲難聴(盲ろう)となったのんたん、双子の妹あみちゃんと共に楽しく生きる家族のお話です。
子どもたちは24歳になり、毎日元気に楽しく暮らしています。
卵巣ガンになって思ったことも、少しずつ書き始めました。
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コロナでも金沢。3人で歩いた、3泊4日のおトク旅 12 - 主計町茶屋街(2020年7月25日/2日め)

2020年7月25日 主計町茶屋街で、迷ってみました。


7月25日


歴史あるひがし茶屋街を堪能しましたが、
実は、金沢には、茶屋街がみっつあり、
金沢三茶屋街と称されています。
 ・ひがし茶屋街
 ・にし茶屋街
そして、ここ、
 ・主計町茶屋街(かずえまちちゃやがい)
です。
「ひがし」「にし」に対して、
この街は、「ながれ」と呼ばれています。


主計町茶屋街については、
実は、よく知りませんでした。
本当は、ここを訪れる予定はなかったのです。


けれど、ひがし茶屋街に着いて、
すぐに入った、「多華味屋」さんで、
かき氷をいただいているときに、
お店の方から、
「すぐ近くですからね。
 あとで、ぜひ行ってみてください。
 行って、そして迷ってください。笑」
と言われたのです。


主計町茶屋街とは、
どうやら、迷うところらしいです。笑
そう言われたら、行きたくなってしまいました。


ということで、かなり歩き疲れていたのですが、
もう少しだけがんばって、
主計町茶屋街で、迷ってみることにしました。^^


バス通りと交差する浅野川。川の向こう側に見えるのが、主計町茶屋街です。

浅野川大橋を、歩いて渡りました。


浅野川大橋は、長さ55m、幅員17m。
美しいフォルムのアーチ橋です。
貴重な土木遺産として知られ、2000年に、
国の登録有形文化財に指定されました。


橋には、行燈型の照明や唐草風模様の欄干など、
大正ロマンを感じる意匠が随所に施され、
橋のたもとには、昔ながらの火の見櫓も
復元されています。


浅野川大橋の上から望む、主計町茶屋街。

橋を渡り終えたら、そこは主計町茶屋街です。


「主計町」という名前は、かつてこの地に、
加賀藩士・富田主計(とだかずえ)の屋敷が
あったことに由来しています。
茶屋町として、明治期から昭和戦前期にかけて栄え、
当時の建造物が、今も数多く残っています。
ひがし茶屋街と並んで、
こちらも、重要伝統的建造物群保存地区に
指定されています。


料亭や茶屋が並ぶ、主計町茶屋街。
石畳を歩くと、
「木虫籠(きむずこ)」と呼ばれる格子の奥から、
三味線の音が聞こえてきそうな、
情緒ある町並みです。


とりあえず、川に沿って歩いてみました。料亭や茶屋が続いています。

いい感じです。^^

手前に見えている格子が、「木虫籠(きむずこ)」です。風通しがよく、中からは外が見えるのに、外からは家の中が見えない、というのが利点です。

ようやく、茶屋街の端まで来ました。ここまで、ほとんどすべての家屋が、料亭とお茶屋さんでした。笑

主計町茶屋街のはずれにある、中の橋。上部が木でつくられた、歩行者専用の橋です。


【中の橋】
天保年間(1830~1844)には、主計町の坂井家が橋を所有し、明治42年(1909)年まで橋を渡るごとに一文を支払ったことから、一文橋とも呼ばれていました。金沢出身の作家、泉鏡花ゆかりの橋でもあり、『化鳥』、『照葉狂言』の舞台となったことから、多くの鏡花ファンが足を運ぶそうです。


さて。
それでは、このへんから、
迷ってみましょう。笑


路地にはいります。


川沿いの表通りから路地をはいると、
昼間でも仄暗い裏通りに迷い込みます。
この裏通りこそが、
実は、主計町の魅力の真骨頂なのです。


そして暗がり坂へ。


昼間でも仄暗い、「暗がり坂」。
主計町茶屋街と、坂の上にある神社とを
結ぶ坂です。
かつては、旦那衆が、
人目を避けて茶屋街に通うために
使っていた道だそうです。


右手前は、版画家のクリフトンカーフが晩年を過ごした家屋です。現在は、「かーふコレクション」として、彼の作品の展示・販売を行っています。

対するあかり坂は、五木寛之が命名したそうです。

暗がり坂を上がったところにある、神社(久保市乙剣宮)。

久保市乙剣宮の向いは、文豪・泉鏡花の生家のあった場所で、現在は泉鏡花記念館となっています。泉鏡花は、子どもの頃、暗がり坂を通って学校に通ったそうです。

バス通りまで歩きました。茶屋街の外に出たのですが、レトロな家並みは、まだまだ続きます。梅ののれんがかかったお店は、なんと餃子屋さんです。^^

バス停です。15分間隔で走っているので、便利です。主な観光スポットは、このバスで巡ることができます。

「城下町かなざわ周遊バス」に乗って、ホテルまで帰りました。


怒涛の市内観光、本日の部が、
ようやく終わりました。
疲れました…。笑


「夜討ち朝駆け、ごはん抜き」
すっかり、多動夫のペースです。
そうです。
今日はまだ、
お昼ごはんを食べていないのです。爆


(つづく)

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