MIYO'S WEBSITE - 全盲難聴のんたんの記録と卵巣ガン、そして旅日記。

超未熟児で生まれた後遺症で、全盲難聴(盲ろう)となったのんたん、双子の妹あみちゃんと共に楽しく生きる家族のお話です。
子どもたちは24歳になり、毎日元気に楽しく暮らしています。
卵巣ガンになって思ったことも、少しずつ書き始めました。
ベトナム日記は、
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をご覧ください。
ベトナム家族旅行:
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小学生だったころの子どもたちの育児日記は、こちらです。
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ガンになるまでの日々 24 - 発熱(2014年9月8日)

2008年11月9日 「ドラム教室」で。
月に2回、アリオ亀有の中で開催されていた「ドラム教室」に通っていました。教室では、ドラム以外に、カホンやジャンベもおしえていただきました。カホンをたたく長男、うれしそうです。^^ この日は、一家ででかけ、夫が長男をドラム教室に付き添っているあいだ、私と長女はお買い物。そのあとは食事をして帰る、というのが、家族のささやかな楽しみでした。(全盲難聴・のんたん 13歳/中1)


9月8日


T病院に入院し、
腹壁瘢痕ヘルニアの手術をしていただきました。
術後の腸閉塞を起こすこともなく、
順調に回復していました。


ところが、術後5日めのことです。
朝食後、少し熱があることに気がつきました。


37.5度。


ここで私は、またまた、
「たいしたことない。」
と思ってしまうのです。(苦笑)


手術をしたのだ。
お腹を切ったのだ。
そりゃあ、熱くらいはでるよね…。


結局、そのまま放置して、
ベッドで寝っ転がって過ごしました。


午後になって、看護師が検温に来たことで、
私の発熱が明るみにでます。(苦笑)
自分では、たいしたことない、
と思っていたのですが、
そうではなかったようです。


すぐに、別の看護師が来て、
「いつごろからですか?」
「痛みはありますか?」
など、聞き取りが始まりました。


さらに、診察室に行き、
主治医の診察を受けることになりました。
主治医はもちろん、H医師です。^^


ところが、診察していただいても、
熱以外の異常が見つかりません。
手術したところが化膿しているわけでもなく、
H医師も不思議そうにしています。


「どうして熱がでたんだろうね…。」


このとき私は、初めて気がつきました。


「先生、手術したところではなくて、
 お腹の中の右側が、
 なんだか少し、痛いようです。
 心あたりがあります。
 もしかしたら、6年前の卵巣嚢腫が、
 再発したのではないでしょうか。
 右側の卵巣が、腫れているのかもしれません。」


6年前に、G研で手術した顛末を話しました。
そのときに、G研の医師から、
「必ず、再発しますよ。」
と言われていたことも、思い出しました。


あのときに、子宮と卵巣を全摘するはずだったのに、
状態が悪く、手術が続行できなかったのです。
結局、子宮も卵巣も、そのまま、
私のお腹に残っていました。


それから6年。
必ず再発する、と言われていましたが、
特に問題は起こりませんでした。
たぶん、運がよかったのでしょう。
私は、あらためて手術を検討することもなく、
そのまま放置していました。


けれど、少しずつ痛み始めている場所。
そして、発熱。
6年前と似ています。


私の話を聞いたH医師は、すぐに、
院内の婦人科に電話をかけました。
婦人科の外来は、すでに終了していたのですが、
運よく、医師はまだ、院内にいらしたようです。
おかげで、急遽、婦人科で、
診察していただくことになりました。


(つづく)


「ドラム教室」のあとは、たいてい、カルディコーヒーに寄りました。お店に置いてあった音の出るおもちゃを長男が気に入ったので、お買い上げ。^^ 長男が楽しめるおもちゃはあまりないので、気に入ったものがあると、とにかく買っていたような気がします。過保護ですね。^^(2008年11月9日)

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